DEC. 24 1995

Merry Christmas!

GOD'S VOICE








Dec. 23 1995
マイケル・ジョーダンをみれば、わかる。
神は、やはり人なのだ。
人は、ついには神にもなれるのだ。

寒さなんか、感じない興奮がある。シカゴ、ユナイテッド・センター。
すべてが、違う。ここにだけは、熱狂が自然を超える意志があるのだ。
ジョーダンとピペン。神様と機械
人が創造した最高のものが、ゴッドとマシーンだ。その対照性のなかで、神が活き、機械が活かされる。誰も、このコンビを超えることはできない。しかし、あまりにも完璧であるがゆえに、人の息づかいが必要になるのだ。ここに、ロッドマンがきた。もう、完璧なトリオだ。
ジョーダンとロッドマン。善玉と悪玉。
この対照性のなかで、ロッドマンは、はじめて意味をもった。ロッドマンは、いま、一番、ブルズのなかで輝いている。観衆は、それを見逃さない。リバウンドにこだわるロッドマンには、もっとも人間臭い何かがある。それが、輝き、包み込む観衆の共感を呼ぶのだ。あまりにも人間的な。
ジョーダンとロングリー。逆転した中心と周辺
センターが強いチームは強い。オニール、オラジュワン、ロビンソン、ユーイング、どのチームもセンターがいるから強い。ブルズだけは、違う。センターが周辺にいることで、ゲームが多様性を帯びるのだ。ロングリーの危うさが、ゲームを面白いものにするのだ。がんばれ、ホワイト・ロングリー。



Dec. 21 1995
いえは、なにをするところなのか
なんでもあり、なのだ。
これしかない、ではないのだ。


大學にいく。コロンビアはいいところだ??
でも、いかなくても研究はできる。なぜだ。
「いえ」はもう今までの家庭ではないのだ。
ここにいると、つながることがどのようなことなのか、実感できる。
ニューヨーカーは、ネットワークを駆使して、自分の生活を楽しむ。
桑原さんは、そんな研究生活?をおくっている。それが可能なのだ。
いえは、いいところだ。愛があるから。
いっしょに暮らすことで、愛がみえる。
いえは、もう家庭を超えた何かなのだ。
核家族の幻想から、目覚めなければならない。
そんな家族が理想だなんて、誰がいったんだ。
近代派には、もう、語るべきことがないのだ。



Dec. 20 1995
雪は降りつづく。それとの対照性のなかで、ニューヨーカーは登場するのだ。
WHITE & BLACK, OUT & IN, and AMBIENCE & STARS.


ニューヨーカー心得、その1:
なんでもいいから、黒できめろ。そうすれば、だれでも、そのときからニューヨーカーになれる。簡単なことだ。考えないで、いい。悩まないで、いい。快適で、便利で、知的にみえる。得だ。
ニューヨーカー心得、その2:
道路の信号は、馬鹿みたいに守るな。赤でも渡れ。そうしないと、なんで、じっとしているの、と白い目でみられる。すべては、自分のことなのだ、死へのジャンプだって、同じだ。赤だ、いけー。
ニューヨーカー心得、その3:
ティファニーも、コーチも、みんなおみやげやだ。だから、ブランドの紙袋は隠せ。きれいなスカイブルーをみたら、あれー、おのぼりさんじゃん、と、レッテルが貼られる。顔がとても赤くなる。
ニューヨーカー心得、その4:
傘はささない。それが、またおしゃれなのだ。singing in the rain. あれ、ふるいかな。ブラック・コートに、ホワイト・スノー。雨じゃないから、いいんだ。耳隠しも、もちろん黒だ。あったかい。



Dec. 19 1995
雪が降っている。やっと寒い季節になった。


街を無謀に走っていた夏の車たちも、注意しながらのろのろと走る。信号が意味をもちはじめた。赤そして青、黄色には注意が必要。ニューヨーカーも、雪には謙虚にならざるをえないようだ。
TVでは、ヒューストン・ロケッツとフェニックス・サンズが熱い闘いをしている。 オワジュワンとバークレーが、いる。うまい技と無茶な力がぶつかる。
みるほうも、うなずき、ためいきをつき、つくづく違いを感じてしまう。いかん。
まだ、闘いはつづく。決着は、まだだ。そこには、どこをみても、雪がない。



Dec. 11 1995
新しい思考の生成はいかにして可能か。
簡単じゃないことだけは、確かなようだ。

ロックフェラーのクリスマス。
そこに集まったのが貧しいぼくらだとしたら、
その光景は何を意味するのか。
じつに簡単なことだ。
クリスマスには、だれにも幸福なんて訪れない。
と、いうことだけだ。
世界は、ボランティアでいっぱい。
優しさが救いなのだ。
イルミネーションは闇の夜にしか輝かないのだ。
ニューヨークのポリスはいつでも俳優になれる。一緒にいると、映画のなかにいるような気分になれる。でもちょっとこわい。バン、と、一発きそうだ。その快感に酔いたくて、ここにいるのかもしれない。ここは現実か、それとも素直に映画のなか、か。メリー・クリスマスはいつなのだ。


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