FEB. 4 1996
本物の道化が、哀れなピエロのマジックを暴露した。そんな試合だった。
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kidd君。最初このゲームをロスにみに来ない君を、ぼくたちは可哀想に、と思っていたのですが、来ない方が正解だったかもしれません。マジックは、もう、だめでしょう。少なくとも、現状では、何もできません。同じカムバックでも、ジョーダンの場合とは意味が違いすぎます。なんで、マジックの復帰を期待したのか、わかりません。あの体をみて、誰も不安に思わないのでしょうか。脚の細いこと、あれは、プロのプレイヤーの脚ではありません。筋肉がない普通のおじさんの脚です。しかも、中年そのものの上半身です。なんで、それで走れるのでしょうか。江夏が太鼓腹で野球をするとは、訳が違うのです。ここは、NBAなのです。
マジックの夢を、誰が保証するのだ。マジックは復帰したのか。
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マジックの足のおぼつかないこと、その恐怖を隠すように、懸命のポーズで走っても、ストップすることができないから、情けない走り方にならざるをえないのだ。昔は、そんなはずではなかったはず。ハーパーにちょっとボールを奪われそうになっただけで、尻餅をつくその格好は、あまりにも哀愁が漂うピエロだ。みていられない。フロントは、なんで、そんなマジックの復帰を許したのだろう。マスコミは、なんでそんなマジックの復帰を喜ぶのだろうか。マジックは、その自分の姿をどう理解しているのだろうか。ブルズは特別だから、で、自分を、周りを納得させるのだろうか。スーパースターは、永遠でなければいけない。復帰したら、その瞬間から永遠の輝きをみせなければいけないのだ。マジック・ジョンソンに、そんな過大な期待はできない。
M.J vs M.J:しかし二人は双子ではないのだ。
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ジョーダンは、完全に引いていた。スーパースターは二人いてはいけないのだ。その日は、あきらかにマジックのもので、ジョーダンはありえない脇役をやらざるをえなかった。だから、ジョーダンは17ポイントしかとらなかった。それが役割期待というものなのだ。ジョーダンにしてみたら、今季最低のスコアだろう。でも、仕方がない。その役で、シナリオが仕組まれていたから。もしも、マジックが25ポイントでもとれるプレイをしたならば、ジョーダンはもっと高いスコアととって、バイプライヤーの役をもっと見事に演じきったはずだ。できれば、ジョーダンは、そんなかっこいい役をしたかっただろう。でもスターの演技がダメならば、それを喰って脇役が目立つなんてことは、できない。それくらい、ジョーダンはわかっている。スーパースターであることの真の意味が、わかるからこそ、ジョーダンは17で我慢したのだ。
主役の交代。これしか、ブルズに選択はなかった。マジックのために。
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しかしこれは、芝居ではなくて、ゲームなのだ。ブルズは負けるわけにはいかない。だから、いつものジョーダンの役を演じる代わりが必要なのだ。とうぜん、ピペンが演じる。ピペンは、いつものように最初からとばした。ブルズが安泰になるまで、続けざまにシュートを入れた。溜息がでるほどだった。ジョーダンも、ピペンにボールをパスしながら、ピペンの演技の見事さに、自分を忘れて感嘆したはずだ。それをいつもは、ジョーダン自身がやっているのに。そんなに、ピペンは華麗で、躍動的だった。久しぶりの(ブルズのなかでの)主役なのだ。そんなピペンも30ポイントとったら、ベンチに引っ込んだ。それ以上とったら、マジックを傷つけるから、なのだ。ショーになってしまった。ゲームのはずが。凡戦だ。
これはマジックとロッドマンの試合だった。
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マジックに、真の絶望をみせたのは、デニス・ロッドマンだ。かれは、超一流のプロだ。この試合は、マジックとロッドマンの死闘?に、その本質があるのだ。その戦いも、しかしあっけなく、最初のクォーターで決着がついてしまった。マジックは、ロッドマンの相手にはなれなかった。ことごとく、マジックはロッドマンの前に屈辱感を味わされてしまった。同じフォワードとして、その実力の差がこれほどまでつくとは、誰が予想しただろうか。
ロッドマンには、意地と尊厳があった。だから、マジックと闘ったのだ。
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ロッドマンは、この試合、1人で23のリバウンドをとり、自ら10ポイントをあげた。レイカーズのリバウンドが全員で29しかとれないのをみれば、ロッドマンが、いかに、ゴールの下でのロールプレイヤーに徹していたことがわかる。マジックには、ジャンプする力さえなかった。それでは、リバウンドがとれるわけはない。リバウンドが勝負の分岐点なのだ。どのチームでも、シュートの入る確率なんて、50%いけば満足なのだ。ということは、残りの50%をどっちがとるかで、勝負は決まるのだ。そこに、フォワードの役割があるのだ。ロッドマンは、その事実とその意味を十分に理解する天才なのだ。そのかれが、マジックの安易なフォワードのコンセプトに、絶望なまでの仕置きをしたのが、この試合の本質なのだ。「なめるな」ということだ。ロッドマンは、執拗にマジックをおいこみ、せめこみ、マジックを辟易させた。ロッドマンひとりが、マジックの復帰に、「甘い」という事実をみせた。それができるのは、本物の道化であるロッドマンしかいないのだ。この試合は、ロッドマンだけがゲームをしていた。
ヴァン・エクセルは、意外にいい役者だ。
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第1クォーター残り0秒で投げたヴァン・エクセルのロングシュート、そして28対28。それは、マジックへの別れの鎮魂歌だったのだ。マジックの復帰は、致命的に間違っていたのではないか。そんな気がする試合だった。ここまでが、本物のゲームだった。
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しかし、不気味なことが、その後、起こった。ブルズは、次の試合に、なんとデンバー・ナゲッツに負けてしまった。ジョーダンが39ポイントもとったのに。反対に、レイカーズは、ジョンソンの活躍で、なんとユタ・ジャズに勝ってしまった。カール・マローンが39ポイントも稼いだのに。わからん、マジックは、もしかしたら、いきているのかもしれない。生意気な発言は、慎まないと、いけないのかもしれない。そんな気がした。
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マジック・ジョンソン、やはり偉大かもしれない。
FEB. 2 1996
くちびるをどう操作すれば、ほほえみになるのだ。
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表情は、関係のなかで決まるものだ。顔の表情は関係の外化なのだ。関係が悪ければ、怒り、良ければ微笑む。ただそれだけのことだ。反対は可能なのだろうか。顔の表情を創ることで、関係が形成されるのか。それもある。笑顔をつくれば、見知らぬ客も気分がよくなり、ものを買う、という関係はマーケティングが教えることだ。その場合、笑顔は関係を生成する手段であり、表情が関係を形成するのだ。幸福だから、微笑む。微笑むから、幸福になる。素直な外化と戦略としての関係づけ、その違いは大きい。
賢明な男と女とは、素直なのか、戦略家なのか。どっちだ。
FEB. 2 1996
ほんもの? そんなものは、どこにもないのだ。
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写される人がいて、写された”もの”がある。ものは、人ではないから、ほんものではない。どこまでもものだ。そのものをみて、そのものにうっとりする人がいるとき、そのものは、やはりほんものではないのか。ほんものと同じような感情を、そのものに抱くのに。その差は、どこのあるのか。その差はどれほど重要な意味をもつ差異なのか。わからん。
FEB. 2 1996
どれでもおとりください。みんな、ほんものです、ほんと。
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オリジナルはどれだ。そのコピーはどれだ。そんな詮索はもう無用だ。オリジナルを無限に再生することは可能だし、そのコピーをいかようにでも操作して、好きなように新しいオリジナルを生成させることも可能なのだ。心配ない、もうオリジナルの価値幻想から醒めればいいのだ。ポップは、コピーの価値を芸術にまで浸透させた。えらいものだ。
FEB. 2 1996
ロッドマンが、マドンナにほれた。
なぜだ。ふたりは、くるったのか。
ロッドマンはどれだ。なぜ、それがわかるのか、記せ。
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下の左。だってバスケットのかっこうしてるんだもん。
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ロッドマンは誰だ。なぜ、いないか。その根拠を記せ。
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ロッドマンは、今遠征で、デンバーあたりにいるもん。
ロッドマンはきれいか。なぜ、そう思う。理由を記せ。
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きったない。だって、わたしの方がビジンなんだもん。
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ロッドマンは男か。なぜ、自明なのか。比較して記せ。
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わたしは女じゃない。だから、きっとかれはオトコよ。
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