JAN. 9 1996
ここにも、神様がいたんだ。
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Q.J
クインシー・ジョーンズ。昔、もう25年以上も前にジャズをやっていた人からすると、クインシーが今のような地位を獲得するなんて考えられないことだった。クインシーはジャズの世界の人で、こんなポップの世界に君臨する人になるなんて、誰も予想しなかった。それだけ、ジャズがジャズとしての孤高の世界にこもっていた時代だった。しかしクインシーは、その境界をすんなり超えて、新しい音楽の世界を開いていった。フージョンというジャンルのなかで、簡単に頂点にたってしまった。時代がどのような音楽を求めているのか、クインシーにはすべて読めていたのだろう。時代と共に生きる感覚に優れていた。いま、ジャズは、もはや60年代の輝きをもつことはできない。新しい音が期待されているのだ。音は、いきものなのだ。
JAN. 9 1996
TAKE THE A TRAIN
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SORRY
地下に入った瞬間から、ある種の緊張感が走る。地上では、危険を感じないのに、地下に降りた時から、無意識のうちに身構える自分が分かる。慣れていない、というのではない。余所者を排除するパワーが地下にはこもっている。ここが真のニューヨーカーの居所だ、と主張されてる気分になる。地上では、ティファニーで楽しく観光客でもしていなさい。でも、ここはそんな客は許さないよ、というきついルールが感じられる。入るには覚悟が必要なのだ。なんの覚悟なのか、まだ分からない。だから不安と緊張感が背中にぞくっと走るのだろう。
地下鉄は、踏み絵だ。
A列車でいこう? そんな気軽に乗れるものじゃないんだ。ここで生きる覚悟が試されているんだ。
JAN. 9 1996
NIGHT IN NEW YORK
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みんな仕事をよくやっている。けっこう遅い時間でも、オフィスの明かりはついて、お姉さんやおばさんも、仕事をしている。職住接近ならば、いいわけだ。目一杯仕事して、その足でブロードウェイにでかけてショーをみて、その後、みんなで食事を楽しんで、12時過ぎになっても、家はすぐそこの歩いて10分のステュディオだから、安心。帰ったらシャワーを浴びて寝て、朝は8時に起きれば、十分仕事に間に合う。オフィスも、家から10分なのだ、歩いて。
もちろん、郊外に住むという選択もある。それもひとつの生き方なのだ。どっちを選ぶか、それは自分で決められるライフスタイルの問題なのだ。郊外だからといって、通勤地獄はない。電車はぼろいが、ゆったりと座れ、仕事もできる。新聞を読んで、一日のプランを練ることも可能だ。よくできたシステムだ。なんで、こんなことができないのだ、東京。
JAN. 9 1996
ベーグルって、なーに?
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誰かが言っていた。ベーグルはおいしい。食べてみた。なんだよ。こんなの、どこがいいんだ。やはりパンは日本だね。しかし思った。食は文化だ。しかももっとも身体への刷り込みが徹底した文化であるがゆえに、もっとも保守的だと。しみじみ、そう思った。若くはないのだ。
BODY IS SUPER-CONSERVATIVE.
頭はこんなに柔軟なのに、なんでこの体はこんなに保守的なんだ、と、考えること自体が間違っているのだろう。頭と体はきっと直結しているのだ。頭は体で、体は頭でもあるのだ。としたら、ベーグルをおいしく食べないと、いかん。でも、うまくないぞ、いーや、うまいのだ。どっちだ。わからん。
JAN. 9 1996
BLIZZARD IN NEW YORK
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猛吹雪がニューヨークを襲った。ロスでは、暖かく海岸で泳ぐ人がいるというのに。この対照性がなんともいえない。いいのだ。奇妙なことに気づいた。ここは、こんな雪が降っても、タイヤにチェーンをまくということがないのだ。みんな、スケートをしながら、道路を走る。しかも、人も、車道のほうがまだ雪が少ないので、歩道ではなく、車道を歩く。みんな平気だ。なんだ、危ない、なんてことも、やっぱりルールなんだ、と発見。何が合理的なことなのか、考えさせられた。その選択は、それを支える価値から導き出されてくるのだろう。この雪でも、チェーンなしで車を走らす価値前提は何なのだろう。ニューヨーカーにとって、危険とは何か。こんなにのろのろと走って、苛立たないのだろうか。いつも、クラクションをがんがんに鳴らすのに。もしかしたら、チェーンの存在を知らないのかもな。
JAN. 9 1996
SONY IN NY
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これが日本企業なのかな、と、思ってしまう。こんなかたちでニューヨークに似合っている企業もあるんだ。とうぜん、日本では異端なのだが、だからこそ、ここではこんなにかっこいい、ということの意味を考えなければいけないのだ。顔をしっかりみせて、ゲームに参加しないと、馬鹿にされてしまう。根回しもいいが、出る顔とその顔をみせるタイミングを間違ってはいけない。SONY には、うまいな、と感心してしまう何かがある。ここでこんなにいい顔をしっかりとみせているだから。もっと、みんなもうまくやろうよ、と思う。内しか見ない顔はだめだ。大蔵省(本社のメタファー?)をみたって、最後は何も助けてくれないのだから。ここは、自分の顔に自信がないと、殺されるところだ。がんばらないと。
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