JAN. 14 1996
ドールを囲んで、どうするんだ。まだ、二人の役者が足りないぞ。
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共和党の大統領候補選びが始まった。みんなドールがかたい、と思っているようだ。しかしドールはすでに過去において候補になるべき人ではなかったのか。すでに時期を逸した政治家ではないのか。そんな、といっては失礼だが、候補でいいのか。本当は、まだ、玉は隠れているのかもしれない。ここの候補者はみんなその影におびえながら、戦いを強いられているのかもしれない。ギングリッチとパウエルは、なにを考えているのか。それが問題だ。それにしても、かれらは何をもって大統領になろうとしているのか。金か、権力か、人格か、それとも未来へのヴィジョンか。それがみえない。
そもそも、すでに、政治という世界が過去のものなのかもしれない。
JAN. 14 1996
ヒラリーの脚があと1インチ細かったら、世界は変わっていただろう。

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クリントンが、何をみて、育ったのか。同じような世代だから、意外と共有された経験をもっているのだろう。プレスリーもビートルズも、ベトナム戦争も、ウェストサイド・ストーリーも、ピッピーも、ウッドストックも、テレビなら、ルール66なんかも、みんな同じ情報を共有して育ったのかもしれない。でも、鉄人ルーテーズのことは、知ってるのだろうか。日本人ならば、こんな有名なアメリカ人はいないのだけど、クリントンたちは、知っているのかな。もちろん、ズレが大きいことは自明だ。でも、共有される経験をもちはじめた最初の、ささわかな世代なのではないか、その世代はアメリカでは早くも大統領になっている、というところに、アメリカの若さがあるんだろう。
ヒラリーがいることが、よくわかる。ヒラリーがしゃしゃりでるのも、なんとなく共感できる。そんな世代なのだろう。いままでにない時代の幕開けにあるのだ。だから失敗なんて、あって、当然なのだ。頑張ってもらうしかない。としよりの大統領よりは、ましだ。ここでは、ただ若い、ということだけが重要なのだ。それだけだが、それ以上に重たいことはないのだ。これが世代、というものだ。
JAN. 14 1996
真剣に命をかけないかぎり政治ができない時代もあったのだ。
どっちが幸福なのか、わからなくなることもある。
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マーティン・ルーサー・キングが、暗殺されたのは、1968年のことだ。すでに30年近い昔のことだ。ブラックがブラックとして生きるには、覚悟のいる時代であった。だからこそ、政治がブラックには不可欠であった。いまも、もう不必要になった、ということはなかろう。しかしキング牧師のような指導者の登場を待ち望んでいるのか、といえば、たぶんノーなのだろう。ブラックの世界ですら、期待されるのは政治ではないのだ。文化が必要なのだ。ブラック・カルチャーは、では、なにか。ジャズですら、時代の流れの中で、パワーを失ってきている。もっと軽くすますカルチャーが求められるのかもしれない。でも、これは、認識不足である可能性も、かなり高い。階層は、ここでは、かなりきついものとしてあることは、確かだ。なぜ、ジョーダンはブラックなのか、みんな貧しい階層からでたのだ。まだ十分に若いペニー・ハダウェイもそうだ。でも、グラント・ヒルは、もう、ちがう。それをどう考えればいいのだ。
JAN. 14 1996
あきらかに、いい時代だった。なやむことがなかった。
おことらしさ、おんならしさ。その役割期待に、みんな自信があった。
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アメリカには、エルビス・プレスリーが似合う。ここにあるアメリカには、すべてのことに自信があった。ほんとは、そろそろくたびれたな、というところもあったはずなのだけれど。プレスリーの世界では、みんな元気だった。とくに男と女の関係は、揺らぐことがなかった。素直に男らしいロールを信じることができたし、だから女も、可愛い女・セクシーな女を演じることにためらいはなかった。しかしこの男らしさは、いわゆる男臭い男らしさではなかった。ジョン・ウェインにみられる男らしさではなくなっていた。エルビスのような逞しさこそが男らしいセクシーさだ、と承認されたのだ。男にも、性的な臭いが期待されるようになったのだ。いま、シルベスタ・スタローンをみれば、この期待が生きていることがわかる。スタローンは、エルビスなのだ。
JAN. 14 1996
スターが美人でなければならない、という時代は終わった。
そもそも、美しさがなにか、そのスタンダードが消滅した。
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ジュディ・フォスターは、美人か、美人ではないか。問題は、この質問がまったく無意味だ、ということだ。昔、この基準を抜きに、銀幕のスターを評価することはできなかった。それほど、絶対的な基準だったのだ。しかし、いま、こんなことをいったら、笑われるだけだ。美人の基準は、まったく多様だからだ。どんな女も、美人になれる時代になったのだ。こんないい時代はない。誰でも、美人になれる、こんな素晴らしいことはない。でも、みんな、不安になる。自分は美人だ、と主張する根拠が消滅しているからだ。美人は、もう、過去のコンセプトであり、これにこだわること自体が、笑い者になるだけなのだ。ならば、なぜ、おんなはまだ化粧に凝るのか。化粧をする意味を考えなければならない。
ジュディ・フォスターに、化粧の臭いはない。もちろん、しているだろうが、化粧が意味をもっていない、ということだ。では、彼女をスターにする根拠はどこにあるのか。演技のうまさか、脚本に恵まれただけなのか、そうではないのだ。彼女は、自分が美人だと、確信しているからなのだ。だから、みんな、そうか、ああなりたい、と、なるのだ。自分に根拠を見つけるしかないのだ。それが美人になるコツだ。簡単なことだ。
JAN. 14 1996
まずは、数なのだ。CNNがいいのは、ただ、女性が多いからだ。
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女性が仕事をする。もう、とうぜんのことだ。専業主婦なんて、過去のことだ。とすれば、男と同じ数の女性が仕事場にあふれるはずだ。すべては、そこからだ。まずは、数なのだ。数が揃わないかぎり、どんなに頑張っても、変革は起こらないのだ。数を侮ってはいけない。数がパワーの源泉なのだ。数が揃えば、出来のいい奴は自然とでてくるものだ。最初から、大きいことを期待してはいけない。まだ、待つしかない。CNNをみれば、これほど、女性が多く登場すれば、否応なしにういい女性キャスターもでてくるな、と確認できるはずだ。そんなものだ。でも、それが難しいのだ。数を集めろ、そこからスタートだ。
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