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編集後記


編集作業に移る際、私たちがグループワークを通じて主張したかったことは漠然 とではあるがそれなりに把握していたつもりだった。しかしいざ文章化となると なかなかうまくいかずあれこれと思案することの繰り返しであった。しかし実際 のプレゼンテーションの時間が非常に短く、自分たちが伝えたかったことが、プ レゼンテーションの技法にも疎かったために、うまく聴衆者に伝えることができ たか、とても疑問であったしまた、今回のグループワークにおいて唯一といえる 不満な点であった。ゆえにいかに自分たちが頑張って取材をし、それをまとめて 議論をし、そしてグループとしての方向づけをおこなったか、その「努力」の全 てが伝わるよう、「願い」を込めて編集にあたった。その成果がでたかどうかは 読んでくれた人が判断することではあるが、少なくとも私たちは素晴らしいもの ができたと深く確信している。 (新井正和)


大変長くかかりました。(でも、その原因の一部かもしれない…)やっと編集 後記にたどりついたー、と思ったら大量にスペースを与えられてしまった!何 を書けばいいのか?それなりに苦労をしたのかしてないのか実感がないし、思 い起こせば迷惑だけかけていたような。ということで、澁川さんごめんなさい、 今までありがとうございました。あと、6班のみんな、やっとできたよ。いろ いろ手伝ってくれたりして感謝しています。ま、一年間背負ってきたものがお とせてよかった、よかった。 (東 晋吾)
SFCに入学し、草野先生の現代政治を履修してから早1年。自分たちのグル ープワークの活動と成果が、このような1冊の本として出版することになりま した。あるいは激論を交わし、あるいは喧嘩をし、そして最後にはいい仲間に なっていた思い出深いグループワークの成果が、こうして形にして残せたこと は、大変幸せなことだと思います。自分たちの努力と、苦悩の結果が、何年か 後も見ることができるというのは、かけがえのない思い出を詰め込んだアルバ ムと、同じ意味を持つのかもしれません。そんなアルバムがある幸福を、私は 心の底から感謝しています。

本報告書は草野先生をはじめ、ゲストコメンテーターの方々、取材に応じてく ださった方々、さらにはTA、SAみなさまの御協力の上になり立っています。 本当にありがとうございました。こうやって完成されたこの報告書が、単に思 い出のアルバムとして終わらずに、多くの人の目に触れ、現在の日本で進行し てるであろう情報公開、あるいは規制緩和などの改革に、なんらかの良い影響 を与えることを切に願っています。 (小野塚 征志)


そうさ、情報公開なんて、あまっちょろいもんさ。
行政に情報を求めたってダメ。
ウラ情報は、ウラにこそあるんだから。
みんなもっとおりこうさんになれば、これくらいの情報はすぐ手に入るのにな。
あ、やべ!!
ゲシュタポの犬どもだ。
い、いえ、何もしてませんよ。
ぼ、僕はれっきとした純粋アーリア人で‥‥。
「ああ、我が闘争」も日夜熟読しています‥‥。
ぎゃ、う、ぐ‥‥‥。
いやはや、いつの世も情報の重みは大変なものです。 変な情報を握ってしまったら、命さえ落しかねないんですから。 まあでも、この groupwork も命を落しかねないものでした。 presentation 前の一週間は特に過激で、 それ故にいざ presentation が終わって「普通の生活」に戻ってみると、 平穏さに体がうずいてかえって落ち着かなかったことを思いだします。
#でもそれ以来 groupwork 中毒気味なの、僕。

・今月の標語: 気をつけよう。甘い言葉と(危ない情報と)暗い夜道。
・今世紀の標語: 手を出すな。その白い粉(とgroupwork)は悪魔の薬。
・古来よりの諺: やめられない止まらない。カ●ビーかっぱえ●せん(と groupwork ) (武田 響)


とにかく、ここまで遅れてしまったのは、ひとえに私の至らなさにあったと 思われます。今回の報告書の出版目標はなんと1年前だったのですが、いろい ろな遅れが積み重なり、このような、グループワーク終了後1年半たってよう やく完成するということになってしまいました。

原稿は昨年春の段階でほぼ出そろって、昨年夏前の発行を目指しておりました が湘南藤澤学会の改組などもあり、結果的に、原稿自体もかなりの時代遅れに なってしまった部分が多々あります。その他にも、おそらく読まれていて「 ここは違うよ」と思われる部分ももしかしたらあるかもしれません。 研究報告書という、素晴らしい機会を草野先生、湘南藤澤学会の諸先生方、 皆さんに与えていただき、出版にこぎ着けたのはいいのですが、これが実行性 のある本格的な報告書かと問われると、まだまだ若輩者の意見、という厳しい 御叱責を受けることは、覚悟をしなくてはならないなという感もあります。

しかし、これは正真正銘、95年の春学期に当時の1年生を中心とした受講生 (この本を手にする頃には大方は3年生になり、研究生活へと入っていくこと でしょう)たちの苦闘の記録であります。

草野先生が、「この授業の価値はグループワークにある」とおっしゃったのを、 聞いたことがあります。このキャンパスは、ただでさえ人と人との出会いの 機会が非常に多い のですが、この授業は、入学したての1年生に対して確実に最初の「非常に親 しい」友人関係(または、恋愛関係)を提供する場として機能しているという ことは、この3年間、履修者として、そしてSAとしてこの授業に関わってきて 強く感じています。

もちろん、SFCのイントロダクションとしての社会的問題意識をみんなで共有 できるということの意味も大いにありますが、私としては前者の役割の大きさ を感じることが、いまでも良くあります。

SFCの中でも、この授業は「首つり3科目」の一つに数えあげられ、多くの学生 が初めての夜間残留をこの科目で経験することが多いといいます。SFCで学ぶ ということが高校時代とは全く違う、という最初のメッセージを、 この授業は強烈に印象づけていると思います。(無論、やりすぎとの批判はあ りえますし、残留ということに快感を覚えるようでは、いけませんが)

そのような意味でも、このグループワークで評価されるべきは、内容が間違っ ているとか、学生だからとかいうことではなくて、 実は仲間と一つの問題を共に追いかけたという時間と場の共有なのではなかっ たかと思うのです。

福沢先生の時代から、慶應義塾は共に学ぶことを大切にしてきました。 その伝統が、形をかえ手法を変えながらも、本質的なところで連綿と続いてい ることに、一塾生として非常に誇りに思うと共に、このような成果を成し遂げ るに至った受講生の皆さんのこれからの活躍を祈ってやみません。 (澁川 修一)

※この部分のみ1997年1月24日に加筆訂正しました。また、本報告書中 の肩書は、1996年春の編集時のままであります。御了承下さい。



Atsushi Kusano
Sat May 10 19:48:44 JST 1997