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主張1、2の考察、そして4班の結論

本項の目的は二つの対立する主張、すなわち、<主張1>および<主張2>の、 第3者機関に対しての微妙に対立する意見についての考察と、いかにして<主 張1>の意見をとったのかを叙述し、次項の最終案に繋げることの2点とする。

では、はじめに<主張1>と<主張2>の2つについて、それらの内容と相 違点について要約し、列挙していきたい。 まず、二者が原発に於ける情報公 開をどのように捉えているかだ。ここの部分に関しては二者ともに概ねの一致 を見ている。つまりは、情報公開を前提にすることによって、国民が核の平和 利用を確認でき、また原発行政へ参加できるということで、国民にとってプラ スになると言うことで概括できる。特に二者ともに「核の平和利用」に関して は完全に一致していると言って良い。このことは「非核三原則」を掲げる、世 界で唯一の被爆国として、日本が原発を扱うに当たって細心かつ砕身の注意と努力が 必要であることを、日本人として当然だという考えは理解に難くない。 そして、情報を公開出来ないようでは、非核三原則を守っているのかという懸 念を国民に抱かれても仕方がなく、それを払拭するには、情報公開を行うこ とが必要不可欠であるということも、一致している。 

また、「国民の原発行政への参加」と言う点でも同様に不一致は見られなかっ た。二つの主張を読むと、原発行政へ国民が参加することによって、核の被害 からの安全を守ることが国民にとって最大の利益だといえる。今現在の原発行 政において、問題点として挙げられるのは、政府及び官僚と電力会社の癒着構 造だ。この事実は我々が原発行政について調べるに連れ、分かってきたことで あり、これ以前の項ですでに述べてある。政府が企業よりであるということは、 国民にとって不安材料であると言える。つまりは、政府が安全よりも企業の利 益を優先するのではないかという、懸念を国民に抱かせることに繋がる。実際 問題として、非公開になっている情報の非公開事由は、「核防護」よりも圧倒 的に「企業秘密」であることの方が多いと言うことが、フィールドワークを通 じて分かった。実に意想外な事実と言えるのではないだろうか。このことから も分かるように、本当に政府は企業の利益よりも国民の安全を優先してくれて いるのだろうかという不安を抱くのは必至だと言えよう。この不安をかき消す 為には、情報公開が必要だと言うことも、両主張では一致を見ている。また、 本当に安全であるのならば、情報を公開して然るべきであるので、公開しない というのは、国民の不安に繋がるということも双方ともに言質をとっている。 このことへの対策も、前記に同じだ。

また、<主張1>においては、これらに補足するように、情報公開が不穏な 噂やデマへの対策にも有用だと、付記している。六ヶ所村では核燃料再処理工 場で労働に従事している労働者は企業によって中国から連れてこられて、強制 労働させられており、その労働者が死ぬと企業が海へその死体を捨てていると 言った、まさに荒唐無稽で、かつ不安を煽るような噂が流れているようだが、 これは情報公開が不十分であることに根ざしている事実だと言えよう。     

次に、<主張1>、<主張2>が情報公開をいかにすべきか、その方法論に ついてだ。ここの部分が最も議論に時間と労力を費やした箇所だ。

前述にあるように、原発の情報公開を行うにあたって、いわゆる第三者機関の 様なものをつくり、その機関が政府の情報公開を監視し、また情報公開を推進 していくようにすべきだ、と言うところまでは比較的あっさりと全員の意見は まとまった。しかし、その機関がどのようなものであるべきかは、なかなかま とまりが見られなかった。その議論の要点は、

  1. 何を基準に情報公開すべきか
  2. 機関の権限について
  3. 機関の構成委員について
の三点だ。これら三つの 内、最大の問題であったのは、1の何を基準に情報公開すべきかというもので あった。残りの二点については次の最終案と重なってしまうため、割愛させて いただく。では、その議論を概説していくことにしよう。

  何を基準に原発の情報公開を推進していくか

  三つある議論の中でも、この議論が最も白熱し、時間を要し、かつメンバー 間の人間関係にまでほころびと亀裂を生ませ、後日にしこりを残すこととなった、 難題とも言うべき議論だと言えよう。 まず、<主張1>がどのようにこの議 論を捉えているかを説明しよう。<主張1>は情報公開を行う基準を「安全に 関わるか否か」の一点としている。国民の、強いては諸外国の人々たちの安全 に関わってくるようであれば、その情報を全て公開するよう、第3者機関が政 府に勧告を出す、というのがその主張だ。その根拠には、もし原発に事故 が起こった時の被害の甚大さ、惨状を挙げている。つまり、安全に関わるか否 か、という論点以外に、企業秘密や核防護を考えていては、原発の事故から本 当に国民、諸外国民、自然などの、企業秘密などよりも、もっともっと大切な 大事なものを守ることはできない、ということを<主張1>は言っている。確 かに、原発の事故が実際におき、チェルノブイリやあるいはそれ以上の事故が おこった場合のことと、「企業秘密」などを、鑑みると明らかに安全性の方が 重要なように見える。いや、実際にはそうなのであろう。この主張には、安全 を訴える国民の権利と、開発結果の情報などを守りたいという企業の権利とを、 平等に扱わず、国民の権利だけをとってしまっていいのかという疑念が残る。

次に<主張2>のここの部分に関する意見をまとめてみよう。<主張2>で は、<主張1>と違い情報公開の基準を一本に絞らず、むしろ多元的に考え、 種々の決定要素を比較検討し、それらを天秤にのせることで、情報を公開する か否かを決めようと提案している。つまりは、情報をなるたけ非公開にしたい 企業の権利、あるいは核防護を唱える国家側の権力と、より多くの情報を得た い国民の権利を同等のものと捉え、それらの決定要素の論理的優位性、あるい は倫理的妥当性を議論し、決定もしくは妥結していくことが、第三者機関とし て最も適当であるはずだと述べている。恐らく、この提案が最も第三者機関と して適当であろうと、メンバー間に於いて当初は思われていた。何故なら、今 現在実際に存在している第三者機関はそのような形を取っているので、極々自 然にこの提案は受け入れられていた。だが、この大学という場所が、そのまま で終わらせることを許さなかった。メンバー達が大学生という自由な発想を追 い求めるべき存在である以上、社会で何の気なしに受け入れられていることを、 鵜呑みにしているようでは、社会の束縛の様なものを受けていると見られても 致し方ないであろう。 

では、我々がどのような論理で考え、どのような理由をつけていき、結果、 <主張1>をとるに至ったのかを述べることにしよう。 両主張の相違点は上 記に記した通りだ。この「何を基準に情報を公開するか」と言う議論を、法学 の問題に置き換えるならば、法的安定性と具体的妥当性のどちらをとるかとい う議論になるであろう。法的安定性とは、「有罪か無罪か」、「違法か合法か」 という「法の幅」を明確にし、何者かによる法の拡大解釈、誤用を避けるべき だとする考え方で、それに対し、具体的妥当性とは、法の幅を持たせ、その状 況に応じて的確な判断を下せるスペースを持たせようというものだ。どちらが 良いのかというのは法学の世界でも結論は出ていないが、法的安定性は拡大解 釈などが入り込む余地がないが、柔軟性に欠け、具体的妥当性は柔軟ではある が、何者かの恣意性が介入する可能性をはらんでおり、どちらも一長一短だと 言える。ここで、法学の世界から話を元に戻すと、<主張1>は情報を公開す る基準を一つしかもっておらず、情勢の変化などに弱く、即応性がないため、 タイムリーな政策を打ちだしずらい。しかも、その基準は偏っていると思われ てもしかたない。だが、強権の恣意が入り込む余地はほとんど無く、何者かに 柔稟される恐れは少ない。それに対し、<主張2>は基準をいくつも持ってい るため、幅があり、環境の変化に対し即応性がある。また、様々なアクターの 意見を考慮に入れるため、公平という良い印象を与えやすい。だが、それが持 つ柔軟性のために、何者か(恐らくは、政府であろう。)の恣意が介在し、そ の通りに動いてしまう可能性をはらんでいる。そのことにより、せっかく第三 者機関を作っても、今ある諸々の機関の様に形骸化してしまう恐れがある。

以上のことを踏まえた上で、どちらの見解を取れば良いのかを話し合った結果、 <主張1>を取ることになった。その理由を叙述していこう。 まず、第一の 理由は、今ある多くの第三者機関のようなものは、<主張2>のような形態を 取っているが、既に形骸化してしまっていると言うことだ。このことを打破す るためには、機関をより「マシーン」に近ずけ、公平でなくとも、正常に作動 するようにすべきだというのが、議論の結果だった。次に第二の理由として挙 げられるのは、政府、電力会社、原燃、電力中央研究所、の癒着関係だ。恐ら くこれが最大の理由であろう。その主旨は、<主張2>のような機関を造った として、それが、期待通りに公平な判断を下したとしよう。例え、そこまでは うまく行ったとしても、それ以外の所では、電力会社よりの体制であるために、 結果的には今現在の状況と変わらないのではないか。だが、癒着構造を変革す るには、膨大な時間と労力が必要となるだろう。また、それらをかけたとして も、変革が実際可能なのかどうかは不明だ。ならばいっそ、第三者機関を 国民よりにすることによって、結果的にバランスを保つことが、最も手っ取り 早く、簡単な妙案なのではないか、というのが議論の結果であった。 上記の 二つの理由により、<主張1>の見解を取ることになった。 この議論を踏ま えた上で、次の最終案を見て頂き、残りの機関の権限、構成メンバーについて も、理解されることを期待して、次の項へ引き継ぎたい。   



Atsushi Kusano
Thu May 8 15:35:48 JST 1997