国際関係論履修者の人へ
〜1997年12月16日の授業について〜


以下の12本の紛争解決に関する「主張」をよく読み、うち、第一、第二グループから最低一本第三グループからは二本を選び、発言を求められたとき答えられるようにそれぞれ100字以内のコメントあるいは質問(質問の場合複数でもよいですが全体として100字以内)を用意しておいてください。


第一グループ 奥原美帆 沖村智 佃紀子
第二グループ 松田鉄平 正司光則 市河良隆
第三グループ 後藤貴樹・関根健三郎 布谷一樹 坂上玲子 飯尾琢也 鈴木邦太郎 山本真智子 島崎若菜


草野先生からのコメント(1998年1月に追加)
遅くなりましたが、漸く昨年12月に行ったプレゼンのコメントを送れることになりました。こうした試みは今後も行いたいと思っています。最初にプレゼンに応募してくれた諸君に感謝します。
尚、感想は受けつけますが、これ以上のやり取りはありません。


<第1グループ>

環境情報学部2年 奥原美帆

<草野コメント>
パラグラフごとにコメントいれます。(以下『』内はコメント)

 もめごとは、戦争によってではなく、話し合いで解決するべき。それでも戦争が起こりそうな時、起こってしまった時には、”世界が認める中立な立場の絶大な存在のもの”が、解決に乗り出す。と言っても、いきなり力ずくでやるのではなく、平和的に解決する様に注意したり、調停したり、解決の方法を勧告したり出来たらいい。
 それでもうまくいかない時は、「お前が悪い」と紛争の犯人を決めて、その軍事行動を力ずくの方法で押えつける。しかし、ここでもいきなり軍隊を投入するのではなく、平和を脅かし破壊している国や政治勢力を、じっくり経済的に絞めあげる方法をとる。言ってみれば「兵糧攻め」。平和の破壊者が、武器は元より食糧などを調達する道を絶って、軍事行動をやめさせようと言う方法。これにはきっと、かなりの時間がかかると思うが、殺し合いをするよりはいい。

『そうなのです。君の考えは現在の国連そのものではありませんか。第六章、第七章の規定をみればよくわかります。湾岸戦争の時のイラクへも、空爆の前にまさに兵糧責めをしたのです。ところがそれでもうまくいかないのですね。』

 これをねばり強くやっても、どうしてもうまくいかない時には、やむなく”世界が認める中立な立場の絶大な存在のもの”が自分で「軍隊」を組織して押える。

『ここから現実から飛躍してしまいますね。絶大な存在のものが自分で軍隊をとありますが、これは各国から兵力を出すのですか。それ以外には考えられないように思うのですが。仮にそうだとして、各国の意見がまとまるのでしょうか。島崎若菜さんへのコメントを参照してください。実際に多国籍軍の派遣が行われているのも、その絶大な存在のものによる派兵ができないからなのではないですか。注意して欲しいのは、どこかの軍隊や、幾つかの国同士の連合軍・合同軍が、勝手にそれをやってあげよう、とか無責任に皆がよろしくお願いしますと応援するのではいけない。』

 注意して欲しいのは、どこかの軍隊や、幾つかの国同士の連合軍・合同軍が、勝手にそれをやってあげよう、とか無責任に皆がよろしくお願いしますと応援するのではいけない。

総合政策学部2年 沖村 智

<草野のコメント>
パラグラフごとに入れます。(以下『』内はコメント)

 「紛争をできるだけ速やかに終息」にたいして自信を持った意見もなければ知識もない。ただ、そのために国連が存在しているのだし、それなりの理念をもっているはずである。「湾岸戦争」のとき国連は多国籍軍という名でイラクを攻撃し紛争を解決した。ひと昔に日本は「オイルショック」で苦しめられたように、経済的な圧迫で紛争を食い止めることができるかもしれない。民族問題での地域紛争でも、国民国家相互の、あるいは内部の紛争に、国際連合が介入していくもので、国連平和維持活動(PKO)というものがある。どれも「紛争を速やかに終息」かどうかは分からないけれども、紛争終息のための解決策としては妥当であると個人的に思うし、結局これが何の策も考えていない私の解決策である。しかし、国連が集団的安全保障の組織から大国(湾岸戦争時のアメリカなどなど)の世界戦略に左右される組織へと変わりつつあることが、紛争解決を困難にしていることもあるし、国連の介入以外に大国が紛争に介入し、紛争を大規模化していることもある。

『国連が大国の世界戦略に左右されているのではないかとの問題意識は重要なのでしょうね。ただ、印象論としてはわかりますが、おおなるほどといった証明がほしいですね。ユーゴの現在に至る過程で、アメリカが出ていった、同じようにソマリアでということですか。』

また、私が重要だと思うのは、米英仏ロ中という国連安保理事会の常任理事国が、せかいの兵器輸出の約八割を占めていることであると思う。もしこの兵器輸出がなければ、例え紛争が起こっても、それが拡大したり、長期化することはないはずである。

『この点は、布谷一樹君へのコメントをみてください。主張は全く正論なのですね。でもなくならない。その理由はなんなのだろうか、という点を是非考えてください。だれかが利益を得手いるという点も重要でしょうね。貿易商だけでなく、兵器を作って生計を立てているひともいるわけです。』

私の意見として、
1)紛争解決のために国連の活動が重要であり、武力制裁を認める。
2)国連の改革が最重要で、必要ならば常任理事国のこうたい、大国の他国介入にたいする厳しい規制が必要である。

総合政策学部2年 佃紀子

 「紛争はできるだけ速やかに終息されねばならない」としたら、どのような解決策を提示するか。その前に、紛争は、永久凍結を目指すよりも、一時休戦をいかに長く続けるかを考えるべきだと思います。というのは、人間に闘争心がある限り、紛争をやめないと誓うことは難しいからです。これを踏まえた上で、私は次のことを提案します。それは、国際システムの多様化と国連の権限の強化です。
 この国際関係論の授業で見てきたように、国と国との平和は、力の均衡で成り立っています。しかし、グローバルな今の世界においては、国と国との力の均衡だけで紛争を防げるとは思いません。国という境もあやふやになりましたし、地球全体の秩序を考えなければ生き抜いていけない時代だからです。そこで、国際システムを充実させる必要がでてきます。ここでいう国際システムとは、ASEANなどの地域協定から、国連のような国際機関も含まれています。できるだけ多くの国と同盟を結び合い、インターネットのように、くもの糸のつながりを作ります。そして、国連のような国際機関が全体の秩序を保つのです。そうすれば、抑止力が高まり、力の均衡化につながると考えます。
 しかし、国益を優先させる国がいることは確かです。協定を結びたがらない国もでてくるでしょう。これは、話し合いの場を多く設けると同時に、他の国際システムがつくり出す平和のムードにとけこませることが必要です。したがって、国際システムの多様化が重要なわけです。
 また、紛争が起きてしまったらどうするか。これは、国連がイニシアチブを取るべきだと考えます。今よりも、紛争時における国連の権限を強化し、紛争を起こすことによるデメリットを強く打ち出すことが必要です。そして、速やかに一時休戦にこじつける必要があると考えます。

<草野のコメント>

これも至極まともです。新味はないが、説得力はあるというところでしょう。地域や国際機関の充実は、まさに、現在の国際社会が進めている方向ですね。問題は、今回のIMFによるアジアの諸国に対する支援に、アメリカ国内の共和党を中心とした人々が反対している事実に見られるように、なかなか目指すものが実現できないという点です。国際システムに入りたがらない国に対しては、話し合いの場を設けて…とあります。実際には入りたい(ミャンマーのASEAN加盟、中国のWTO(これは中国も本当は今のままのほうがよいとの見方もある)のに、入れてくれない例もあります。特に、前のコメントにもあるように、人権、民主化を守っていない、市場主義経済に完全に移行していないからという理由です。

<第2グループ>

総合政策学部2年 松田鉄平

「紛争を終わらせるための解決策」
 私は紛争地域に国連が指揮する軍隊を派遣して、強制的に戦闘状態を終結させるべきだと考える。なぜなら「話し合い」によって戦闘が早期に終結する可能性は低いからである。当事者たちは自分が正しく、相手が悪いとの考え方を強く持っていて、相容れることはまずありえない。和平交渉の場において、自陣営の利益を最優先に考えるために、和平の合意は困難である。戦闘が長期化すれば被害が拡大し、相手に対する敵意が強くなる一方になる。紛争が新たな紛争の原因にすらなると考えられる。従って紛争解決の第一段階においては圧倒的な軍事力を投入することによって強制的に戦闘を終結させるべきである。つぎの第二段階において戦闘から引き離して落ち着いた状態で和平交渉を行って、根本的な解決を目指せばよいのである。前述の軍事力は国連が常設軍として保有する。圧倒的な軍事力と言うに足りるだけの軍事力を量と質の両面において用意しておく。国連軍を組織する兵隊や武器、その他の設備は国連に加盟国の義務として拠出させる。国連軍の訓練および指揮は紛争防止専門の下部機関を設立してこれを行わせる。中立的な機関を設立することによって大国の恣意性が及ばないようにするためである。そしてこの国連軍をどのような紛争に対しても必ず出動させる。このルールが確立されていれば、何らかの理由で武力進攻を意図する勢力も、たとえ武力を使って攻めても、国連によって止められるとわかっているので、合理的に考えるならば攻めることを思いとどまるはずである。国連の常設軍は紛争を未然に防止することができるだろう。
 しかしこの解決策には、実現可能性の問題の他に重要な問題点が考えられる。それは国連軍を出動させる権限をどの機関に与えるべきかという問題である。安全保障理事会に権限を与えれば大国の意向に左右されてしまう。かといって新機関に与えた場合には新機関が独走してしまう危険性がある。

<草野のコメント>

一つの考えです。実際にそのように主張する人も多いですね。問題は、現在の国際システムが世論やメディアという、不思議な(といったら批判はありえましょうが)影響力をもったアクターに敏感であり、各国の為政者もそれを無視し得ないという点でしょう。全く次元の違う話ですが、橋本首相が佐藤孝行氏を総務庁長官にし、わずか10日ばかりののちに、世論を気にして更迭しました。私は、そのまま突っ走るか、任命権者の首相が辞めるべきだったと今でも思っています。圧倒的な軍事力というところが、私は理解するとしても、多くの人はそれに賛成するでしょうか。にもかかわらず、そうすべきというのであれば、一つの見識です。純軍事的にみても、最初に大量の軍事力投入は常道ですから。

総合政策学部二年 正司光則

 重要なのは、誰が(主体)、どのような基準で、どのような方法で、紛争を停止させるかという事である。この枠組みに基づけば、私が提起する解決策は、その紛争解決を国益とする十分な軍事力を持つアクターが(主体)、国連決議に基づき(基準)、外交交渉及び、武力行使によって(方法)、紛争を停止するというものである。
主体:
 国連には、統一した意思は存在せず、常設軍を保持していないことから、過大な期待をするのは誤りである。実際、ボスニア紛争の例を見るまでもなく、国連が活性化するのは、大国である米国が主導権を握っているときだけであった。また、国連は意思強制権力を保有しないことから、主要国にとって利害関係が希薄である、もしくは、各国の思惑が錯綜するような地域での民族紛争には限界が伴うため、今後も常設軍なるものを創設することは困難であろう。
基準:
 もちろん、各国は自らの国益に従って行動する。そして、その行動に正当性を賦与し、絶対的ではないにせよ一定の縛りを与えうる基準は、国連決議しかない。また、国内紛争への武力行使には、内政干渉の問題が伴う。クルド難民問題でブッシュ大統領が直面したように、内政不干渉の原則は、ある程度の制約を与えている。しかし、私は、国連安保理決議688における「人道援助のための内政干渉」を経て、米国が、現地の要請無しにソマリアへ軍事介入したように、内政不干渉の原則は、必ずしも国際社会の絶対的な原則ではないと考える。
方法:
 紛争停止に武力の存在は不可欠である。理由は二つある。
 第一に、最終的な手段は武力行使しかない。相手が武力を行使して、侵略をもくろむ場合、もしくは、武力の行使によって、政権を奪取しようとする場合、それを阻止するためには、最終的な手段としては、武力行使しかあり得ない。
 第二に、平和的解決は、武力の存在が伴って作用する。ボスニア紛争でのデイトン合意に見られるように、調停などによる平和的解決は、圧倒的な武力を保持するアクターが、場合によっては軍事力を投入するという意思を見せることによって、すすむのである。

<草野のコメント>

全体として、至極わかりやすい、新聞の社説に出てきそうな解決策です(これは否定的な意味ではありません)。そして実際の政策決定者が議論する場合、だいたいこれと同じ手続きで行っているのではないかとも思いました。国際ルールとしての内政不干渉は現在では、IMFによるインドネシア支援などにみられるように形骸化が著しいですね。

総合政策学部2年 市河良隆

<草野のコメント>
わかりやすい議論の仕方です。時間が短いときには、こうした工夫が必要です。コメントは適宜パラグラフごとに入れます。(以下『』内はコメント)

 「できるだけ速やかに紛争を終息させるてめにはどうすればいいか?」と言う問いに対して、僕が用意した結論は「武力をも考慮に入れた速やかな制裁の実行」です。
 みなさんは、このような毒をもって毒を制すと言うような考え方に納得しないかもしれません。暴力を止めさせるために暴力を使うことは矛盾することだからです。しかし忘れてはならないのは、力こそが秩序生むと言うことです。

『ホッブスの考え方ですね。』

 皆さんが欲しい物があったときに盗まないで金を払って買うのはなぜでしょう?なぜなら盗めば国家と言う権力が自分を捕まえるからです。子供が母親の言うことは聞かないのに父親の言うことには嫌々ながら従うのは、父親が権力であり、従わなければ殴るからです。

『父親に従うのは権力があるから、権威があるから、その両方などによるのではとの反論は可能ですね。つまりそれをつきつめれば暴力によらなくても、紛争終結は可能ということになりませんか。』

 国家間紛争、抵抗運動による紛争に力を行使する場合、いくつかの問題点があります。それは、第一にいったい誰が制裁を実行するのか?第二に緊急を要する紛争問題に対して、正しく迅速に意思決定が行われるのか?と言う2点です。
 制裁を実行するのはやはり国連しかいないと考えます。それぞれの国家には威信があり他の国家が文句を言ってきても聞きません。では国家の威信を上回る物は何か?それは国家連合の正義、つまり加盟国の総意です。

『君の議論の最大の論点だと思いますが、どうでしょう。国連は主権国家の集まりで、意見が一致するとは限りませんね。現在のイラクへの査察問題のように。そこをどのようにクリアするか。もう一つは、制裁の脅しの前に、何らかの形で紛争当事者に平和への働きかけはするのでしょうか。国連憲章の6章のように。』

 一方、正しい判断で、迅速に制裁を実行できるかと言うのは難しい問題です。なぜなら正確性とスピードには一方が満たされれば、一方が欠けると言う関係が成り立つからです。制裁の決定権をより国連機関に集中させ決定の迅速かを図ると共に決定内容を管理する監視機関を強化し力の暴走を防がなければならないでしょう。
 まとめますと、力の無い秩序は曖昧さを呼び新たな紛争を起こすだけです。ですから、力を紛争に速やかに実行することを主張します。このような、力に裏付けされた秩序は紛争を終息させるだけでなく、国家の甘えを絶つことによって紛争の発生すら防ぐことにもなるのです。

<第3グループ>

総合政策学部2年 後藤貴樹 総合政策学部2年 関根健三郎

「軍事行動即時強制停止措置に関して」
 紛争に置ける軍事行動を考えるにあたって、紛争当事者の規模によって場合分けして考えねばなりません。
 まず第1に紛争当事国が大国であった場合、もしくは当事国双方に大国が関与している場合、これは外交努力による停戦工作によってのみ解決できるものであって、即効性のある解決策は存在し得ません。下手をすると第3次世界大戦に発展しかねません。できれば3すくみに持っていく事が、純軍事的には1つの方法ではありますが。
 次に紛争当事国が小国であった場合、紛争の最も効果的な解決方法は紛争当事者双方を圧倒的に上回る軍事力によって強制的に停止させる方法です。介入する勢力は基本的に中立な立場である事が望ましく、その最も適任な組織が、国連軍になります。そしてその圧倒的な軍事力を背景に、双方に即時停戦がなされない場合は双方に壊滅的な打撃を与えることを勧告します。これには双方を同時に相手にして即時に壊滅させられるだけの戦力差が必要となります。この条件を満たせない場合には、紛争がソマリアの様に泥沼化する可能性があるので行なえません。具体的には、通常兵器による純軍事力の行使や、催眠ガスや弛緩剤などによって生態系や生命を損なう事のないBC兵器などの使用、これでも停止しない場合には、双方に国連の監視の下に大規模戦術核兵器を供与もしくは双方に核の照準を合わせる事によって、核抑止力によって停戦を強制するという方法もあるにはあります。
 第3に紛争が1国内の内紛であった場合、実効政府が存在する場合には内政干渉にあたるために外部勢力は一切手出しできません。内紛によって実効政府が崩壊した場合、実効政府が存在しない場合には「国家」として認められませんから、その地域を国連保護領としてその地域に国連が介入します。その場合の処理方法は前述の第2のパターンに準じます。
 以上が考えられ得る最善の武力行動即時停止措置です。

総合政策学部2年 布谷一樹

「兵器輸出撤廃による紛争解決」
 私が紛争解決の手段として考えたのは、紛争当事国への兵器の輸出の撤廃です。兵器輸出がなくなっても、直接、根本的な紛争解決にはつながらないかもしれません。しかし、紛争当事国双方から武器、弾薬がなくなることは、今回のテーマである「とりあえず暴力行為が停止する状態」の達成に有効であり、ひいては根本的解決へもつながると考え、紛争解決への一つのステップとしてもこれを提示します。
 もっとも、アメリカをはじめとする兵器輸出国は、輸出により利益をあげること以上に、その地域への自国の影響力を強めようという意図があり、なにか強力な力が働かなければ容易に兵器輸出を撤廃するとは考えられません。また、国連の中心たる安保理常任理事5ヶ国が世界の兵器輸出の8割を占めており、国連による規制も実効性は薄そうです。
 そこで私はマスコミ世論の影響力を利用する方法を考えました。今や為政者にとって世論の支持、不支持は、政策を決定する上で、重要な要素となっています。それは、「アメリカはベトナム戦争を世論によって敗北し、湾岸戦争を世論により勝利した」などとも言われるほどです。そして今日、例えば環境問題や人権問題などにはマスコミは非常に敏感に反応するようなっています。ましてこれからはインターネットなどの普及により、ますます情報化が進むことが見込まれます。そこで私は、紛争の悲惨さと、そこに流れ込み流血の惨事を招いている兵器の輸出についての情報を流し、環境問題のようにマスコミを敏感に反応させることを考えます。それが実現し、兵器輸出が世論の攻撃の的となれば、兵器輸出は減少すると考えます。
 私は以上のように、マスコミ世論を利用した兵器輸出の撤廃を紛争解決の手段として、提案します。

<草野のコメント>
1 全体として気持ちはわかるが現実認識を深める必要があります。たとえばアメリカの兵器輸出を制限するには、連邦議会で法案を可決し、法律にする必要があります。しかし、各選挙区に兵器産業の工場があり、ただでさえ国内での兵器市場が縮小している今、輸出を減らさないように、彼らは議員に働きかけています。議員は当選が第一ですから、はいや、少なくすべきだとは言いにくいということになります。兵器産業が裾のが広く、雇用創出効果も高いということもあります。
2 中国、ロシアなどでは、中央政府も兵器輸出の実態を正確につかんでいるとはおもえません。というのも、地方の各軍区が、民営化を奨励され、兵器輸出をビジネスのたねにしているからです。
3 授業でも言いましたが、紛争地域は、格好の新兵器の実験場ですし、経済成長をすると為政者は兵器をほしがるというメカニズムもあります。

以上の理由から、なかなか削減は困難というのが現実です。しかし、君の言うように、ねばり強く、世論も動員しつつ、却って兵器を購入することが、中長期的にはその国の安全保障を阻害するということをわからせることが必要ですね。

総合政策学部2年 坂上玲子

<草野のコメント>
パラグラフの中に入れます。(以下『』内はコメント)

「国家間紛争の解決策」
 民族や国家を大義名分とした争いにおける問題点は、私は国民一人一人の自己発現能力の低下に原因があると思いました。紛争を免れ、平和という土台の上に幸せを築いている国には国家や民族といった後ろだてなしで自己をアピールすることのできる能力を持っている人がいっぱいいます。

『ここ、たぶんその通りと思いますが、より具体的に教えてください。』

 そこで私が思いついた解決案は各民族の一般大衆を権力者の意思に安易に従わぬ程、道徳的で、且つ歴史的、現実的発想をないがしろにしないレベルにまで教育し、物事を解決させる手段として、武器ではなく、政治的手腕で平和的解決を行なわせる術を身につけさせる、というもの。

『現在、様々なかたちで途上国への支援が行われていますが、まさにこの点、教育の重要性が環境と並んで鍵のテーマとなっています。問題は教える人材が不足していると言うことと、教育の機会を受ける機会が限られているという点です。しかし中国、12億の人々に日本人が享受しているような義務教育を行うとすれば莫大なカネがかかります。これも問題です。ですから、鈴木邦太郎君へのコメントにもあるように、まず経済的に豊かになり、その過程で途上国の人々は君のいう教育を受ける機会をえることになるのだと思います。』

 具体的には、バンス・オーエンやベルフィアルコフが言うように、きっちり民族を移動させた後、今現在国連軍が維持している国境ガイドラインを仮の国境と定めた上で、今から50年後、教育面、生活水準面、福祉や、レジャー、芸術などあらゆる角度から国民満足度の高かった方の意見を飲むという方法をとり、そして勝利国には賞金及び、国際的地位の保証、そして国連からの期限つき年金負担など、指導者のみではなく国民も喜びそうな褒美を用意し、ひとまず武力を用いて要求を通すというやり方から民族を、国民を遠ざけることこそ一番肝要なことだと思いました。

『ここから急に、話が非現実的になりますね。冷戦の終結をだれも予想できなかったわけですから、この案も全く否定はできないでしょう。しかし、国民満足度が僅差で、どちらかに勝利がもたされたとしたら、必ずや敗北した側は不満をもつことになるでしょう。その結果、混乱が起きるのではないでしょうか。これは、隣人は敵という考え方からすると至極もっともな推論です。』

 さて、この解決策を実行する上でもう一つ提案したいことは、ベルリンの壁を築く際に万博とまではいかなくても大大的なセレモニーを行なって欲しいのです。そしてその時に各国からその紛争国への贈物として、平和を土台にしているからこそ、作ることのできる玩具やレジャースポーツグッズ、そして日本で言えば、ラブジェネレーションやロングバケーション、アメリカでいえば、フルハウスやビバリーヒルズ青春白書など、日常生活を送ることの楽しさや素晴らしさを伝えるホームドラマやアニメなどを贈り、紛争国の人々が今までの生活で一体何を失い、これからどれだけの幸せを手にすることができるかといった指針を、メッセージを送ることができれば、世界は平和と言う名の幸せにまた一歩近付けるのではないかと思います。

『君にも是非、先日のNHKスペシャル、すなわちルワンダの大虐殺がどうして起きたのかをフォローした番組をみてほしいと思いました。君の「日常生活を送る楽しさやすばらしさ…」の考え方を、ああした現実とどうつなげたらよいのか、是非考えてください。』

 ただ、ここで一つ気になるのは、紛争国の両首相が自国の国民が一兵隊から、家庭人へと変わっていくことに著しく不満を覚え、抵抗するのではないかということです。戦後アメリカが日本に行なったように戦争責任者として、その時のトップを消去できれば話しは簡単なのですが、今の時代はそうもいかないと思うので、紛争責任者ファミリーは期限までの50年の間、監視役の家庭教師付きで、アメリカかどこかのプール付の邸宅に住んでもらい、できればダイアナ妃のようにマスコミで取り上げられるほどのボランティア活動をしてもらうことによって、国際的に保護することができればいいんじゃないかと思います。

総合政策学部2年 飯尾琢也

 戦争の起こる原因から解決策を考えてみました。経済的利益に戦争発生の原因の一つがあり、戦争を長期化させ、被害を拡大させるものとして、武器の供給国の存在が上げられると考えました。
 戦争による利益を望んでいるのは指導者だけであり、市民は望んでいないのではないかと思います。それは、市民が経済的利益を求めて死に直面するような戦争を選択するとも考えにくいからである。経済的利益を追求することで、国内の問題から意識をそらしたり、あるいは、国の国際的地位を高める、といった利益を得られるのは指導者であると考えられるからです。従って、戦争解決には、指導者を取り込んだ解決を図ることが大切だと思います。
 次に武器の供給国が戦争を長期化させ、被害を拡大させるという問題である。供給国は、兵器を実践で試せること、経済的利益など戦争によって多大な利益を得ている。しかし、戦争の解決にはマイナスの影響を与えている。そのため、供給国に手を引かせることも戦争終結には必要である。経済的に国の相互依存が強くなってきている現在、湾岸戦争の時のように、経済制裁を促すような措置を取ることで、かなり効果があると考えられる。
 解決策としては、指導者同士、あるいは指導者と中立者との対話を通して、戦争による不利益を訴え解決に向かわせる、といいたいところであるが、実際問題として、それほど簡単には、対話による解決は成功しないと思われる。そこで、経済制裁など全ての国が両国から手を引き、経済的な影響をもたらし、市民レベルから戦争反対の雰囲気を作り出すことが大切であろう。また、とりあえず戦争を停止させるためには、一時的な軍事的制裁も考える必要があると思う。
 かなり消極的な対策であるが、自主的解決を図った方が、長期的には良いのではないか。また、将来的に国際機関の強制力を高めていくためには、戦争の解決に国際機関を参加させるメリットは大きいと考える。

総合政策学部2年 鈴木邦太郎

<草野のコメント>
コメントはパラグラフ中にいれます。(以下『』内はコメント)

 少数派による政府への抵抗運動のケースを考えてみます。ここで言う小数派とは、minorな民族のことを指すものとします。
 まず、少数派は何に対して不満をもち、抵抗運動を起こすのでしょうか?さまざまなケースがあるでしょう。経済的な不満、言語の問題、majorityからの人種的差別などが考えられますが、これらをまとめると、支配文化(国民文化)に対する、民族文化の反抗として捉えることができます。
 近代国家には、人々に国民としてのアイデンティティーを保持させるようなイデオロギー装置が組み込まれています。それは、国の起源を表す神話であり、歴史であり、身近なものでいえば、博物館であったりもします。それら大きな意味での「国民文化」を通じて、人々はその国家の一員としての自意識を確認するのです。

『一月冒頭の授業で、中国旅行のことをお話しましたが、君の言ういうとおり、国民としてのアイデンティティーを感じさせるために、抗日記念館が小学生、中学生の授業に使われていました。』

 しかし、もともと本質的には民族的同質性や共通の祖先や血などというものによっては定義することができないのが、近代国家というものです。国内のminorityなどによって 「国民文化」の虚構性が指弾される時、近代国家は危機に瀕することになるのです。これまでの近代国家が内包してきた矛盾が、今吹きだしていると考えられます。
 以上を踏まえて、私は次のような解決策を提示したいと思います。それは、より普遍的に各民族を、majorityもminorityをもつなぎとめる新たな理念を国家が打ち出すのです。過去に共通項を求め国家の紐帯とする方法は、もはやその力を失いつつあります。一方、民族の純潔を訴えて、民族国家を建設しようとしても、民族の純化を求める紛争は永遠に繰り返されることになるでしょう。
 新たな理念とは、経済的な豊かさの追求や、人権、平等第一主義など、そこに未来への指向性があり、国内の各民族に共通するものであればよいと思います。要するに、紛争を一時中断し、人々が新たな理念のもとに、団結する必要があるのです。理想主義的な解決策ですが、解決への一つのアプローチとして、提案します。

『二つコメントがあります。民族の浄化を訴えて、民族国家を建設しようとしても…とありますが、全くそのとおりと思います。しかし、わかっていてもそれを繰り返してしまうおろかさをどのように止めるかというところが問題ですね。それには、人権、平等第一主義を唱えることで実現できるのでしょうか。いささか疑問です。
第二は途上国を歩く機会の多い私には、人権とか平等とかは西欧の概念であって(だから間違っているということでは全くありません)、それよりも何よりも、明日のくいぶちを如何に確保するか、国民(あるいは支配地域の住民)に食糧を確保するかが彼ら為政者の課題です(というとすぐに、インドネシアなど腐敗している政府が沢山あるとの反論があるでしょう)。人権、民主化はそれを達成したあとの課題のように思います。ということは、途上国の人々の経済レベルをどのようにしてあげるかが課題なのです。』

総合政策学部2年 山本真智子

<草野のコメント>
パラグラフごとに入れます。(以下『』内はコメント)

 国家間の紛争及び、国内の小数派対政府の紛争の解決策を提示する;
1)国際裁判にかける 2)無秩序状態をつくる 3)情報制裁をする。いづれの案もある一つの発想点から引き出したものである。その発想とは、「隣人は敵」というもの。とにかく隣の奴が気に入らない、という人間の本質に着目した。

『人間の自然状態は「万人のための万人に対する戦争状態」といったホッブスの考え方に影響されていますね。それとも自分の経験から?「隣の奴が気に入らない」という言い方は、君らしくないような気もしますが、とまれ、人間は基本的に相互不信があるのですね。』

 戦争・紛争・闘争、といった語を聞いた時、「国際」という修飾語を思いつく人は自分自身を含めて多いと思う。ちがう言語や文化の国が戦争する方が同じ言語や文化の者同士が対立するより、人々の画点が行くからだろう。しかし「隣人は敵」の発想によれば、内戦・国内紛争のほうが基本で、その延長線上に国家間戦争や国際紛争がある、となる。実際、憎い相手を殺すのと、何のイメージも(どんな最悪なイメージさえも)ない相手を殺すのと一体どっちが ’普通’だろうか。

『前のほうのコメントの中で、つい最近起こったルワンダの大虐殺の例を読んでみてください。君のこの仮説が証明されています。ユーゴも勿論そうでした。』

 各案を説明・考察する。
 案1)は次のような手続きをふむ。まず裁判所が地球規模での利益を数値化する。次に、紛争下の国や集団がそれぞれ主張している国益や集団の利益をも数値化して、地球規模の利益の数値表と照らし合わせ、数値の近い方の主張を通す。これでは時間がかかりすぎる、との批判が想像できる。これを補うために、判決がくだるまでは人為的に臨時の国境線をひいて紛争当時国が直接接触しないようにする。こうすれば世界中の各国が数値、という客観的な物差しではかられることとなり、隣人だから、という地理的デメリットが無くなる。

『裁判所というのは国際機関を想定しているのでしょうが、ということは各国の代表ですよね。利益の調整はどうするのでしょう。前半のところが折角、国際社会の現実をふまえた分析なので、処方箋もあまりジャンプアップしないほうがよいと思いました。』

 案2)A対Bという対立構造が自動車貿易については成立しても、石油貿易についてはABの中の半数は対立しても半数は友好だ、という状態が必ずある。AB間で紛争がある時はAB両者が自動車についての構造しか見ていないからである。だからこれを解決するためには石油のような異なる対立構造をもつものを顕在化させて対立構造を多様化し、敢えて無秩序状態を作れば一体誰が自分の敵なのか不明になり、隣人への憎悪が相対的に減る。

『これは相互依存が進化すれば、紛争が少なくなるという一つの仮説に沿っています。』

 案3)経済以外に制裁できるものでより有効なものに情報がある。経済はひとりでには潤わない。経済潤う→情報入る→経済潤う→情報入る、の循環が不可欠である。この循環を断つと、国家や集団は孤立感を感じる。紛争解決は最終的には当事者の方針転換にゆだねられていると考えると、孤立感を与えることが紛争解決の動機をつくる。

『これについては、孤立感を感じると、指導者が却って、自暴自棄に陥り暴走する可能性があると反論できるのではないでしょうか。政策過程論で話したように、指導者は常に合理的とは限りませんから。ということは、君のこの処方箋は合理モデルに基づいているといえます。』

環境情報学部2年 島崎若菜

 紛争解決の手段として私は、大義名分を下す機関としての国連と「世界の警察」といわれるアメリカの力を協調させていくことで生まれる解決策を提案したい。実際、解決方法としては個々の事例によって変わってくると思われるが、武力解決と平和解決が挙げられる。しかしこのうち武力解決については国連憲章が第2の原則として掲げているものに武力の使用を禁ずる、といった条項が見てとれる。しかし昨今のペルー人質事件のように、場合によっては「武力には武力を」的な面もいなめないのではないだろうか。そしてこれを定めているがゆえに、国連は独自の国連軍を組織することはできない。したがって多国籍軍というかたちをとらざるを得ない状況がある。そして国連の原則のひとつに、行使力は停戦合意後にしか講ずることはできない、という点もある。これは言い替えれば、戦争や紛争の当事者にはなれない、ということである。このことからわかるように、国連には限界があるのである。
 したがって国連は紛争の平和的解決に邁進するのであるが、それでこれに代わる力を持つものとは何であろうか。このことをかんがみた場合、私はアメリカの存在であるように感じる。なぜなら、まず第一に、アメリカは「世界の警察」といわれるように、経済、政治、軍事、あらゆる面において国益を保持している点である。これは各方面に足場を持っているがゆえに守る範囲も必然的に増加することからいえるものである。第二には、ヨーロッパにおいてはNATO,アジアにおいては日米安全保障条約、というような世界の安全保障の面でもアメリカのプレゼンスは不可欠であるという点である。
 それゆえに私は、紛争解決においては以上の国連とアメリカが協調して力を行使すること、そしてお互いの利点を尊重しあい、生かしていくことであると考えている。その際に留意するべき点というのは国連とアメリカが競合し合わない体制、状況をつくりだすことであり、このことが紛争の早期解決につながるものと、私は考えている。

<草野のコメント>
国連とアメリカの力を利用するという、現在の国際状況に合った解決策ですね。但し、事実関係についてもう少し知っておいたほうがよいところもあります。それは国連が武力を行使できないという誤解です。それは第七章42条をみればわかります。そのあとの43条を読めば加盟国は安保理事会に自国の軍隊を利用させるということまで書いてあります。なぜそれができないのかは、冷戦の初期を思いだしてください。安保理事会は米ソの拒否権の嵐でした。地域紛争の多くは米ソが関係していましたから、国連軍を送ろうと思っても、どちらかが反対してそれができないということになったのです。PKOは、その代わりのものとしてできたということは授業で話しました。


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