361 | 返信 | 佐藤信淵「宇内混同秘策」、荒木貞夫「全日本國民に告ぐ」、「日本書紀」 | URL | 渡辺 | 2000/03/08 00:47 | |
クマさん、おひさしぶりです。
宇内混同秘策など読んでみました。なかなかこれも大変です。テーマが広がる一方です。 まだ、だんだん分ってきたという段階ですが、中間報告?をいたします。 -------- 「宇内混同秘策」 佐藤信淵 文政六年(1823年)著 大同館書店 鴇田恵吉校註 昭和一二年七月一日発行 本書は、校註者解説、「宇内混同大論」、「宇内混同秘策」、「源泉法略説」で構成されています。 「宇内混同大論」は「宇内混同秘策」がまとめられているので、「宇内混同大論」の方を引用します。 「宇内混同秘策」の内容は、内政の整備、地方機関の整備、宇内混同の順序(海外征服の順序)からなっています。校註者によると、佐藤は首都は江戸とし、始めて「東京」の名称を使ったとあります。 「宇内混同秘策」解説(鴇田恵吉) 信淵は...大和民族の民族性たる生々発展主義と、日本建國の理想たる八紘を掩[お]ふて一宇となすの精神に基き、これを五代に亘たつて陶煉せる家学によって組織化し、以て宇内混同の大論を草したのである。 P28 「宇内混同大論」 皇大御國(すめらおほみくに)は、大地の最初に成れる國にして、世界萬國の根本なり。 故に能く其根本を経緯するときは、則全世界悉く[ことごとく]群縣と為すべく、萬國の君長皆臣僕と為すべし。 謹て神世の古典を稽(かんがふ)るに、「所知青海原潮之八百重也」とは、皇祖伊邪那岐(いざなぎ)ノ大神の速須佐之男(はやすさのを)ノ命に事依(ことよ)さし賜ふ所なり。 然れば則ち産霊の神教を明らかにして、以て世界萬國の蒼生(*1)を案ずるは、最初より皇國に主たる者の要務たることを知る。 (P47) (*1) 蒼生は、「あをひとくさ」と訓じ、人民のことだと註にあり。 凡そ他邦を経略するの法は、弱くして取り易き処より始るを道とす。 今に當て世界萬國の中に於て、皇国よりして攻取り易き土地は、支那國の満州より取り易きはなし。 何となれば、満州の地、我日本の山陰及び北陸・奥羽・松前等の地と海水を隔て相対するもの凡八百余里、其勢ひ固より擾(みだ)れ易きことを知るべきなり。 P55-56 夫れ啻(ただ)に満州を得るのみならず、支那全國の衰微も亦此れより始まるにして、既に韃靼(だったん)を取得るの上は、朝鮮も支那も、次で図るべきなり。 P57 第八には大泊府(*3)の兵は、琉球よりして台湾を取り、直に淅江の地方に至り、台州・寧波の諸州を経略すべし。 (*3) 大泊府 =「宇内混同秘策」の注に「鹿児島県肝属郡佐多村大泊なり」とあり P63 能々土人を憐み愛して、篤く恩徳を施して之を撫諭すべし。 然りと雖ども迷を執て天朝に帰せず、痛く天兵を拒みて防戦する者に至りては、悉く[ことごとく]殺して免すこと勿れ。是則ち天罰を行ふなり。 P64 --------- 日本書紀をどのように使って、このような「教義」を導き出しているか検討してみました。 (1)「所知青海原潮之八百重也」 日本書紀 巻第一:已にして伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、三(みはしら)の子(みこ)に勅任(ことよさ)して曰(のたま)はく、「天照大神は、以て高天原(たかまのはら)を治(しら)すべし。月読尊(つくよみのみこと)は、以て滄海原の潮の八百重(やほへ)を治すべし。素戔嗚尊(すさのをのみこと)は、以て天下(あめのした)を治すべし」とのたまふ。 原文:月読尊者、可以治滄海原潮之八百重也。=「月読尊(つくよみのみこと)は、以てあお海原の潮の八百重(やほへ)を治すべし。」 これが、世界征服の正当性の根拠となります。 (2)「然れば則ち産霊の神教を明らかにして」 日本書紀 巻第一:素戔嗚尊(すさのをのみこと)、請(まう)して曰さく、「吾、今教(みことのりを)を奉(うけたまは)りて、根国(ねのくに)に就(まか)りなむとす。...」 「根国」すなわち「地上」を教化する使命があるとする根拠と思われます。 (3)「以て世界萬國の蒼生を案ずる」 日本書紀 巻第一の記述では、月読尊が保食神(うけもちのかみ)を殺すとその死体から牛馬、穀物が生まれる。天照大神は「是の物は、顕見(うつ)しき蒼生(あおひとくさ)の、食ひて活くべきものなり」と言う。 (4)宇内 日本書紀巻第三: 上は乾霊(あまつかみ)の國を授けたまひし徳(みうつくしび)に答へ、下は皇孫(すめみま)の正(ただしきみち)を養ひたまひし心(みこころ)を弘めむ。 然りして後に、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむこと、亦可(よ)からずや。 原文:上則答乾霊授國之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都掩八紘而為宇不亦可乎。 以上、(1)〜(4)は日本書紀巻第一の一連の物語、日本書紀巻第三の「掩八紘而為宇不亦可乎」から世界征服の正当性と義務を導き出しているようです。 (「日本書紀」は岩波文庫を引用) 佐藤信淵の主張は記紀を聖典とする神道原理主義ととらえると理解しやすいのではないかと思います。 しかし、正確な記紀の引用や文脈からの解釈がされているとは思えません。 佐藤信淵がすでに持っている信念を記紀で正当化しているようにみえますが、このような読み込みかたが要求されていたのかもしれません。 現代の人は天皇制とは日本独自のもので普遍的でないと普通考えます。 しかし、海外列強を目の前にした原理主義者が、神道を世界的視野のなかで普遍化し、本来は日本の建国神話にすぎないものを世界的規模に拡大したものではないでしょうか。 普遍化できなければ、逆に建国神話はたんなる土着の神話になってしまうわけです。そのことが、建国神話の拡大解釈を促したように思われます。 したがって、このような解釈が生まれたのは早くてもヨーロッパとの接触以後ではないかと推測します。 建国神話は天皇の日本の武力支配の正統性の根拠であることが前提になければ、世界征服の解釈もなりたちません。 ----------- 荒木貞夫の「全日本國民に告ぐ」と少し質が違うのですが比較してみました。 共通点としては、 (1)建国神話の一説を使って、近隣諸国の征服を宇内統一の使命と解釈している。 (2)征服は宣教活動である。(産霊の神教を明らかにする、皇道の宣布。「産霊の神教」とは「神勅」のことだと鴇田恵吉の註にあり) (3)征服は救済事業である。 (4)抵抗する者は殺害してよい。(従順は善であるが、反抗は罪である。) (5)日本の軍隊は皇軍である。(佐藤は天兵、皇師と表現。皇軍と皇師はともに日本書紀では「みいくさ」と読み、同義と思われる。) 違いとしては、 佐藤は経済を重んじ、それなりに理路整然としているのに対し、荒木は合理精神を「唯物論」と排除し、「魂」を強調する。 引用した書物では、どちらも「経世家」(政治家?)と紹介されています。 ----------- 「全日本國民に告ぐ」荒木貞夫 大道書院、昭和八年二月十一日発行 我が建國の眞精神と、日本國民としての大理想としての、混然たる融和合一の示現とも称すべき「皇道」は、その本質に於いて四海に宣布し、宇内に拡充すべきものである。 故にこれが支障となるところのあらゆる事実は、実力を使用しても断固として排除しなければならぬのである。 P18 皇道國徳に反する者あらば、この弾丸(たま)この銃剣で注射をする。注射に先だって反省するならば敢て血を見る必要はない。 又最小限の注射によって反省して、即ち帰順降伏するならば最早(もはや)武器を執る必要はない。然しどうしても利かなければ茲(ここ)に最後まで注射をする。 P27-28 陛下以外の何者の命令でも動くことはない。陛下の御心のまゝに動く、これが日本の軍隊であるといふことを先ず納得されたい。 P90 --------- |
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