751 | 返信 | 「生長の家」と政治について | URL | クマ | 2000/04/08 04:30 | |
mikimamiさん、こんにちは。 読書ノート、詳しく読んでいただいたようで、ありがとうございます。 「生長の家」は「反共宗教団体」でもあり、「天皇主義宗教団体」でもあります。 ただ、今では落ち着いてきていると私は思います。統一協会・創価学会の最近の「反共のための連携」の流れに比べれば、生長の家は、はい、落ち着いたものです。 生長の家の教祖・谷口雅春さんは、詳しいことは省きますが、もともとは出口王仁三郎の大本教の信者だったんですよね。そこから分派して生長の家を谷口さんは作られた(そのあいだいろいろと思想遍歴があるようですが)わけですが、戦前、むちゃくちゃな弾圧を受けた大本教の流れであるにもかかわらず、谷口さんは弾圧を受けていません。それはひたすらに天皇万歳・侵略万歳を唱え、国策に協力したからです。 一応、教義について言っておきますと、いわゆるシンクレティズム、よくいえば寛容、悪く言えば折衷主義、でして、オウム・統一協会のように排他的なものではありません。 で、政治との関わりなのですが、弘文堂『新宗教辞典』をそのまま引用しますと、 「生長の家は政治への志向を強くもち、早くから愛国主義的な運動を展開してきた。昭和20年(1945)、政治結社 生教倶楽部を結成したのを初めとし、同28年 生長の家選挙対策委員会、同33年、国家対策委員会などを組織している。その間、民族主義的な国民運動に積極的に関与し、同年自民党右派が主導した国民運動団体自衛国民会議(翌年、日本国民会議と改称)に発起人として加わっている。・・・ 運動目標は、1・戦争の根絶、2・共産革命を阻止する国民組織の編成、3・非常事態発生の場合の動員体制の確立、4・偏向教育の打倒であった。 このような運動を展開しつつ、昭和32年6月には新宗連を脱退して独自路線を明確にしながら、昭和39年 政治結社生長の家政治連合を結成し、政治への取り組みを本格化していった。生政連の規約によると、その事業の主なものは1・政界浄化、2・自主憲法制定、3・教育正常化、4・日の丸掲揚促進、5・唯物思想克服、6・選挙応援などが挙げられている」(前掲書P.564) 次に、宗教学者の村上重良氏の『新宗教』(評論社)から該当部分を引用します。 「日中戦争から太平洋戦争までの間、生長の家は、天皇絶対、聖戦完遂を唱え、会社・工場に進出して労働者教育で実績をあげた。1941年、発展を続ける生長の家は、宗教団体法による宗教団体となった。谷口は、「日本の国体こそ実相の世界の顕現」「軍の進むところ宇宙の経綸が廻る」と説いて、戦争に積極的に協力し、大陸に進出して満州光明思想普及会を設立した・・・1945年、・・・ 谷口は公職追放となったが、教団では1952年、日本教文社を設立して出版活動を再開した。・・・ 生長の家は、政治・社会問題に対しては、帝国憲法への復帰、天皇の元首化、日の丸掲揚、靖国神社国家護持、堕胎防止等を唱え、反共を基調とする民衆運動を展開した。」(前掲書P.156) たとえば防衛族・タカ派の玉置和郎、やはり自民党タカ派で参議院のドン、村上正邦などは生長の家の会員ですね。石原慎太郎もそうだったと記憶しています。 生長の家は、日本を守る会 → 日本会議、英霊にこたえる会などの有力なメンバーです。 また、南京大虐殺否定派・改竄常習者として有名な田中正明の本は、先に名前が出てきた出版社・日本教文社から出ています。 学生分野では「反憲法学生連合」(反憲学連)という団体を作っています(今も活動しているかどうかは知りません)。 私は生長の家は守備範囲ではないので、あまり詳しくなく、今どのような活動をしているのかについてはあまり押さえていません。が、少なくとも選挙支援からは手を引いたようです。 また、一般の会員、生長の家は女性会員の「白鳩〜」(正確な名前は忘れましたが)が強いということですが、そうした人々が自分たちの属している宗教団体の政治性をどれだけ認識しているかというと、あまり感じていないのでしょうね。基本的には「救われたい」という思いで宗教活動をやっているわけですから。 というわけで。それでは。 |
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