3045 返信 アマルティア・セン教授 URL 西村元宏 2000/07/23 22:46
各位様

 mikimaki様御推薦のアマルティア・セン教授の御紹介を。

1933年、インドベンガルで生まれる。
1959年、ケンブリッジ大学で経済学博士号。
その後、ケンブリッジ・ハーバード・オックスフォードなどの教授を歴任。
1998年のノーベル経済学賞受賞者。

主な著書のうち日本語に訳されている物は、
「不平等の経済理論」
「福祉の経済学」
「不平等の再検討」
「貧困と飢餓」

セン教授は、現代を代表する世界的に著名な学者です。その偉大さを否定は致しませんが、カラバ様が問題にしていた「東北の農村の貧困がファシズム、ひいては戦争をもたらした。それで、戦前の東北の農村部の貧困を如何にすべきか?」という問題に対して、セン教授は何ら具体案を返しては下さらないと思います。

セン教授は1943年ベンガル大飢饉、1973年エチオピア大飢饉を研究し、「飢饉の原因は食料の総量の不足ではなく、貧困な者が、食料購入(入手)能力(entitlement)を持たないから。すなわち社会的不公正が問題である。」と説明されております。これは多分、正しいでしょう。

しかしながら1920年代・1930年代の東北農村に英国植民地時代のインドベンガル地方や1970年代エチオピアのような「飢饉」「飢餓」など存在しません。(カラバ様も同様な事を述べておられますが。) この時代は「貧困」が問題であったのであり、「貧困」と「飢餓」とは全くレベルの異なる問題です。第一、この時代の東北農村部が如何に遅れていた(労農派風に言うと「半封建的」)とは言え、ベンガル大飢饉やエチオピア大飢饉の時とは社会構造が全然異なります。(この時代の東北農村部の文盲率はほぼゼロですが、1940年代のベンガルの貧民は識字率がほぼゼロでしょう。) 又、セン教授は「自分で収穫物を手に出来る分益小作人は賃農業労働者にくらべ飢餓に陥る可能性が低い恵まれた階級であった。」という主旨の事を述べていますが、この時代の東北農村部は小作農が最も恵まれていない階級でした。つまりベンガルの恵まれていない人は東北農村部の貧農など比較にならぬほど社会的に不利な階級だったのです。

したがって、セン教授が問題にしている「社会的不公正」などは日本においては、19世紀までに解決済みだったのです。セン教授の理論が当てはまるのは、日本においては、天明・天保の大凶作くらいでしょうが、江戸時代の「飢餓」は日本が明治維新を行い、曲がりなりにも近代国家を建設できたことで解消しました。

では失礼致します(^^/~~

追伸 : 私がmikimaki様に「ソマリアかエチオピアに行ってセン教授の理論を実行したら?」というチャチャを入れた理由、お分かりでしょうか? 今の日本経済を考えるのにセン教授は無用ですし、多分、戦前の、それなりに開発の進んだ中進国レベルの日本経済を考えるのにも無用でしょう。