5177 返信 Re:日本のキリスト教社会...新改訳聖書について URL 渡辺 2001/01/26 03:17
ベルナールさん:>
> それでは、黒丸さんが言及されている「新改訳」聖書について、ご説明しておきましょう。この『新改訳聖書』というのは、表紙に大きく「聖書」とかかれ、小さく「新改訳」と付記してあります。
> これは、要するにいわゆるファンダメンタリストの教派の人々、及びそれに近い傾向の人々が集まって作ったもので、英語訳のNIVにほぼ相当します。聖書協会訳などは、すでに十分な学問的批判を取り入れた優れた訳になっております。しかし、黒丸さんの記事に出てくる「保守バプティスト」の一部に見られる原理主義者たちにとっては、まさにその点が気に入らないわけです。つまり、彼らの教派のファンダメンタリスト的心情にかなわない点がいろいろ気になるわけです。
> この「新改訳」が、ファンダメンタリスト的傾向をもつ諸宗派の人々の間の内輪だけにとどまっているだけなら問題も少ないでしょうが、知らない読者は知らずに買ってしまう場合があります。

議論に参加するつもりはなかったのですが、「新改訳聖書」について事実に反する部分があると思いますので投稿いたしました。

「新改訳聖書」は原典から直接翻訳されたもので、
 (1)原典にきわめて忠実に翻訳されたものです。
 (2)まれにみる詳細な註があり、採用した写本などが明示されています。

(1)について
聖書を古文書として学問的に研究する場合においても、特に構文や語にこだわらない場合には「新改訳聖書」でも用をなします。
「ものみの塔」の「新世界訳」聖書を検証したことがあります。そのとき、原典と共に「新改訳聖書」を参照しましたが、「新改訳聖書」は一部の例外を除き、きわめて忠実に翻訳されています。
(Bible Works というすぐれた、というより驚異的な、ソフトがありますので、基礎的なコイネー・ギリシャ語、ヘブル語の知識があれば、簡単に原典を調べることができ、古代からの翻訳の比較、原典の単語解析までできます。)

(2)について
採用した写本、異読、参考資料など詳しく書かれているので、翻訳がどの写本を採用したかなどの疑義は減少します。
逆に言えば、古代の文書をそのまま翻訳すれば注釈は必ず必要になるはずです。

一方、「新共同訳」は、(1)わかりやすさに重点を置いていることと、カトリックとプロテスタントが妥協した翻訳であるために、原典から離れた翻訳個所があります。
率直な感想として、「新共同訳」には首を傾げたくなるような個所があります。その理由としては、(2)特定の仮説を意識的に取入れたため内容を調和させる必要が生じ、また、(3)カトリックの教義や慣行に合わせるため語彙を選択したり本文を改変したのではないかと思われます。
調べるのにかなり時間がかかりますので、簡単に思い出せる実例を述べます。
 (1)については、たとえば申命記1:1の「ヨルダンの向こう」が「新共同訳」では「ヨルダンの東」と訳されています。原典では話者の位置関係で「ヨルダンの向こう」が「ヨルダンの東」であったり「ヨルダンの西」であったりしますので、新共同訳では(統一性はないですが)位置を固定するために「東」「西」に変えているようです。
 (2)については、創世記のヨセフがエジプトに売られる記事が該当するのではないかと推測します。新共同訳だと「ヨセフが兄弟達にエジプトに売られた」という創世記自身の記事、新約聖書などが述べている伝統的な解釈(創世記45:4, 使徒行伝7:9)と矛盾するというおかしな事が生じています。創世記がE,J二文書から編集されたという学説を適用したのではないかと推察いたします。(同じ民族に複数の呼称を使うための混乱を、単に調和しようとしたとは考えにくいのですが...)
 (3)に該当すると推測するのですが、ルカ22:17 で素直に訳せばイエスがぶどう酒を「互いに分けて飲みなさい」と言うところを「互いに回して飲みなさい」と訳しています。
 (*)どの範疇に入るかわかりませんが、「新共同訳」に「満願の献げ物」(たとえば民数記29:39)という違和感のある訳があります。これは「誓願の献げ物」が適切です。なんらかの事情があると思われます。

このような事例があるため、新共同訳を引用して、神学に合わせて聖書が改ざんされていると、ある聖書批判のサイトで一般化して論じているのを見たことがあります。しかし、その批判は新共同訳の翻訳の問題にしかすぎません。新共同訳は意訳が翻訳方針ですから、原典が忠実に訳されていない個所があるのは当然です。

聖書の翻訳には目的があり、最近では動的(dynamic equivalent)に翻訳することも評価されていますので、用途に応じて使用すべきものです。注釈なしで読める翻訳も存在意義はあると思います。
資料的に用いるには、すでに述べたように「新改訳聖書」が適しています。なお、文語訳も一部に文語訳ならではの良い訳があります。(「汝言えり」など。)