5396 | 返信 | Re:華北戦記 -「岡村寧次」+強姦罪+慰安婦団 | URL | 渡辺 | 2001/02/12 02:40 | |
+αさん:>
------------ > どなたも、華北戦記をお読みになっていないようなので、以下に引用します。 >..... > 『岡村寧次大将資料 戦場回想編』 (稲葉正夫編・原書房刊)には、岡村大将が昭和士二年から十四年にかけて、第十一軍司令官として華中の漢口に在任中に、兵隊の強姦事件が多発していたことを憂慮し、「戦地強姦罪」という特別の法律を作って兵隊を取り締まるよう、陸軍中央に要請したとのべられている。しかし、これはあまりにも一方的で、兵隊ばかりで注く将校をも取り締まるべきであった。かれらを不問に付したということは、まったくの片手落ちである。ここにもまた、一人の最高級軍人の兵隊蔑視をハッキリとみることができる。おおむね佐官以上の軍人、とくに軍の中央にあつたエリートや将官クラスは、兵隊をまるで人種でもちがうかのように、蔑視していたのである。 ------------ 「戦地強姦罪」について、該当資料を引用しますので、ご参考にしてください。 日本の陸軍刑法は、明治41年(1908年)4月9日以来、昭和17年(1942年)まで改正されず、占領地においては国内法を適用することでカバーしていました。(陸軍刑法、海軍刑法 第4条) 昭和17年改正前の陸軍刑法では占領地では、掠奪にあたり強姦する罪(第86条)はありますが、強姦という罪はありません。これは国内刑法(第177、178条)を適用します。しかし、戦時に国内法を適用する不都合もありました。 「暴行又ハ脅迫ヲ以テ」とあることを理由に、憲兵が摘発したものが不起訴にされることが少なからずあったとのことです。[註1],[註2] 岡村寧次[おかむらやすじ]中将(当時)の申言により、昭和17年に陸軍刑法、海軍刑法が改正され「第八十八条ノ二」が追加されたとのことです。[註3-3] 第八十八条ノ二 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス 2 前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処ス 以下、資料の引用です。 --------------------------------- [註1] (昭和12年)12月25日 ○上砂中佐事務打合わせに来部 中佐曰く近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしものに斯く致さるることとなると努力の甲斐なしと <一部省略> 自分答ふ <一部省略> その他純理論よりすれば姦淫は当時の情勢上刑法一七八に所謂抗否不能に乗ずるものと認むべきも中には斯かる者全部なりと断ずるを得ざるべく容易に要求に応じたる者も之あることを考へざるべからず 斯く観じ来たるときは姦淫したる事実あれば直ちに強姦なりと断ずるは早計たるを免れざるにあらずや [小川関治郎「ある法務官の日記」(みすず書房,2000年), P127-128 ひらがな表記にして引用] [註2] (昭和13年)八月二三日五十嵐憲兵隊長報告のために来訪、小池口における上等兵以下三名の輪姦事件を取調べたところ、娘はたいしたる抵抗もせず、また告訴もしないから、親告罪たる強姦罪は成立せず、よって不起訴とするを至当とするとの意見を平然として述べた。同列した軍法務部長もまた同じ意見を述ぶ。 それに対し、私は叱咤して云った。強姦罪が親告罪であることぐらいは予も知っている。これは法を作ったとき内地を前提としたものであろうことを深慮しなければならない。抑々われわれの出動は聖戦と称しているではないか。神武の精神は法律以前のものであり、また一面被害の良民は銃剣の前に親告などできるものでないことを察しなければならない。憲兵は須らく被害者をみな親告せしめよ、そうして犯人は厳重に処分すべしと。 [稲垣正夫編「岡村寧次大将資料(上)」(原書房,昭和45年), P301] [註3-1] 第三編 二十 戦地強姦 私の第十一軍司令官時代強姦の非行が多くそれにゆいていろいろ配慮したことは第四編[註3-2]において詳述するとおりであるが、私は当時の陸軍刑法において強姦に普通刑法同様親告罪であることも、また根本的に間違いであると考え、昭和十五年二月内地に帰還したとき阿南陸軍次官に対しこれを改め戦地強姦罪を設くべき旨申言したところ、正義の士である阿南次官は即座に同意し改正すべき旨を断言した。それから二年を経過して昭和十七年漸く戦地強姦罪が制定されたのであった。 しかし、この北支方面軍時代は第十一軍時代に比べて強姦罪が著しく少なかったのは幸いであった。予後備兵が極めて少なく、大部は年若い現役兵や補充兵であったこともその原因の一つであったと思う。 これら若い兵隊が軍法会議で陳述した内容が共通していたことは、家郷を出発する送別宴の席上などで、既に戦地の務めを終えて帰郷した先輩から、中国戦線では良いことがあるぞと強姦を示唆されていたので、ついムラムラとその気が起きたということで、最初中国戦線に出動した予後備兵が、昔時の出征兵と比べて、如何に風紀観念が乏しくなっていたかを知ることができたのである。 [「岡村寧次大将資料(上)」, P282-283] [註3-2] 第四編 十 軍、風紀所見(その三) <一部省略> (二) 慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦事件が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。 現在の各兵団は、殆どみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。 <一部省略> (三) 憲兵報告の一節。蚌埠在住の中国人に嫁した日本中年女性は言う。中国兵は、掠奪するが強姦はしない。日本兵は、掠奪しないが強姦をする。可否何れにかあらん。頼みとするのはただ天主教の神父のみと。 刑罰種目中最も多いのは上官暴行と強姦である。そうして犯人の年齢別を見るに最多数は三十三歳である。 <一部省略> (四) 来陣した中村軍務局長の言によれば、戦地から惨虐行為の写真を家郷に送付する者少からず、郵便法違反として没収したものすでに数百に達しているという。 好奇心も甚しいというべし。 [「岡村寧次大将資料(上)」, P302-303] [註3-3] 陸軍刑法(昭和17年(1942年)改正で第八十八条ノ二を追加) 第九章 掠奪及強姦ノ罪 第八十六条 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ住民ノ財物ヲ掠奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス 2 前項ノ罪ヲ犯スニ当リ婦女ヲ強姦シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処ス 第八十七条 戦場ニ於テ戦死者又ハ戦傷病者ノ衣服其ノ他ノ財物ヲ褫奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス 第八十八条 前二条ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス 第八十八条ノ二 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス 2 前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処ス 第八十九条 本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス 陸軍刑法は下記サイトから引用いたしました。 http://duplex.tripod.co.jp/hou/hm41-46.htm |
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