6061 返信 叙勲制度と天皇制 URL あしな 2001/04/14 01:15
 日本国のあの勲何等という叙勲制度について、そもそも勲等をつけて人物の功績を序列化するのがけしからんという当然の批判もあるが、ここで少し等級にこだわる。
 新聞の叙勲者名簿などを見ると中曽根大勲位以下の公務員について、もらってる等級と役人の偉さがだいたい相まっている事が分かる。ここで役人の偉さに言及する。うろ覚えの知識で不正確なのだが、高校の時の日本史の教師に元々の律令制の勲位は官位と相まっていたというかぶっちゃけた話、勲6等は従5位の末席扱いだったと教わった覚えがある。もちろん古代と現代では官僚機構が全然違うのだが、近代でも戦前の軍人・官僚は、「位」についてはわかりやすい軍人の場合、現役の少尉だったら正8位、大佐だったら従5位だったそうで、これを現在の叙勲者名簿の自衛官の階級と見比べた場合、現代のそれが退官後の70歳前後での叙勲であることを考慮に入れれば、殆ど戦前の位階システムと一緒であるかのように見える。
 また、大企業などのトップがそろそろ引退という時期になると、叙勲の位を少しでも上げることが、その会社の総務担当の部署の任務となるというようなことを何か(週金だったと思うけど)で読んだ事があるが、非役人がこのような形で叙勲制度に組み込まれていることによって、国内での「偉さの尺度」が叙勲制度において一元化されることになる。この時その中での序列の在り方が上記のようなものであるならば、現在でも、国内の政治経済文化の支配的な階層においての序列は、殿上人、公卿というような、「天皇との距離の近さ」によって構造化されていると見なすことが出来る。
 
 ところで、村山政権が発足した頃の週金紙上で、インタビューに答える中で、白川勝彦は、宮沢喜一氏が「耳を貸す範囲」として、「1に旧華族、2に東大出身の官僚、3に東大出身者」というようなことを言っている。これは一例だが、上記の序列構造によく一致する。またときどき言及を目にする、日本国の支配階層における三層構造という話でも細部の違いこそあれ、天皇・皇族を中心とする同心円として語られている。

 ここまででの話をおおざっぱにまとめると、日本国の支配層にあって意識化されている序列構造があり、それは天皇への距離に置き換えられるようなものである可能性がある、となる。

 もちろん「高位」の人々の多くは、パワーエリートとであり実際的な「力」を持っているわけだが、それを権威付けし正当化する仕組みは上記の通りである。むき出しの権力よりは公認された権威をまとったそれの方がより強力と考えられる点でも、このシステムは支配層に都合がよい。単に「強そう」な状態から何となく「偉そう」な状態になるわけだから。
 一方で天皇が現行憲法下において公的には殆ど無権利したがって無責任とされていることも叙勲制度による支配層の序列化に有利に働く。政治的失脚の恐れのない天皇は安定した基準点として序列の安定、序列の核心部に位置する支配層の権威の維持に貢献する。このような事情は恐らく「天皇制を権威として利用する旨味」の一例であろう。細かいことを追求し出せばきりがないが、今日はこの辺まで。