| 9073 | 返信 | ちょっと待った言葉の定義(ダブルスタンダード) | URL | 熊源 | 2001/08/26 03:11 | |
| ども。
言葉の定義をしっかりしないで、考え方を批判しあってもそれこそ『言い合うこと自体が目的』(どうもデスザウラーさんはそのような考えかもしれないが)になってしまうので、止めを さしておきます。 ダブルスタンダードというのは『倫理学』における概念であり、倫理学は哲学が社会学と結びついたものと考えれば『広義の社会学用語』と考えられます。基本的には態度についての形式的分類(評価)の一つでしょう。 ほうとう先生のダブスタ講座より引用 『ロバート・K・マートンはアメリカ社会学の巨匠です。最近でも若手社会学者のなかで根強いファンの多い巨匠ですね。 そのマートンが「自己成就的予言」という著名な論文のなかで次のように述べています。 「リンカーンが夜遅くまで働いたことは、彼が勤勉で、不屈の意志をもち、忍耐心に富み、一生懸命に自己の能力を発揮しようとした事実を証明するものだとされる。ところが外集団のユダヤ人や日本人が同じ時刻まで夜働くと、それは彼らのがむしゃら根性を物語るものであり、また彼らがアメリカ的水準を容赦なく切りくずし、不公正なやり方で競争している証左だとされるだけである。」 なかなかハッキリいってくれてますね。この論文の初出が1948年ですから、いろいろ考えさせられますねえ。 ともあれ、ここでマートンが指摘しているのは、あるひとつの特性が、ある集団では美徳とみなされ、ある集団では悪徳とみなされる、という奇妙な事実です。もちろんこれを当事者たちは「奇妙」とは思っていないものです。おそらく「このどこがおかしい」「あたりまえじゃないか」といわれるのが関の山でしょう。それを奇妙だと見るのは、かれの社会学の眼です。マートンはこれをドナルド・ヤングにならって「内集団の美徳と外集団の悪徳」と呼んでいます。』 URL http://www.honya.co.jp/contents/knomura/double/double00.html つまり、日本という国家がやったことは良いが他の国のやった同じコトは悪いというような態 度です。(その逆もそうだな)つまり、良い悪いって判断にかかわることで、抗議するとかという行動のレベルの問題ではありません。 しかし、判断は行動のための判断であるから行動をともなうことは大いにありうることです。 この定義にあわない『ダブスタ論議』は全部イカサマだと考えています。 止め。ご愁傷様。南無阿弥陀仏。 |
||||||
![]() | ||||||