10429 | 返信 | Re:民衆の責任/反論です −関東大震災 | URL | 渡辺 | 2001/10/09 00:52 | |
これはルキュさんの「10421 Re:民衆の責任/反論です −関東大震災」2001/10/08 への返信です。
(http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=10421&range=1) このテーマのスレッドの頭は: http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_thread?base=10356&range=1 ------- 渡辺投稿:> > > ルキュさん、あいかわらず、同じ調子でやっていますね。 > > このテーマについては、たびたび話題になりますが、半月城さんの下記のURLで十分議論されていると思います: > > 関東大震災(http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#kantou) > > ちなみに「この時期は朝鮮人がしょっちゅう爆弾テロを起こしていたことは」事実ではありません。 > > 私は、過日の「天皇の責任」について、まとめ などを書いていて時間がありませんので、この件については議論しませんが、紹介いたしましたURLを一度じっくりご覧いただき、勉強の足しにしてくださいませ。 ルキュさん、紹介したサイトはご覧いただけましたか? このサイトは、投稿での議論なので、じっくりと議論を追って読まないと、よく理解ができません。 しかし、最初の「デマ」が どういうものか、そういうものがあったのかも不明なようです。しかし、「デマ」が誰によって積極的に利用され、流布されたのかは分かりましたね? 半月城さんが、しっかりした議論を展開されているので、私の出る幕はないようです。 ルキュさん:> > ただいまご紹介のWebサイトを読んでいるところですが、「この時期は朝鮮人がしょっちゅう爆弾テロを起こしていたこと」は事実であると考えられます。 > 以下がその根拠です。これらがすべて官憲の捏造で、すべて冤罪であるとはとうてい信じられません。冤罪事件を持ってきて全員が無罪だったかのように言う人がご紹介のサイトにも居ますが、それは事実ではないことが以下の記事から分かると思います。1923年9月1日以前にかなりの事件が起こっており、流言飛語を民衆が信ずるのにもそれなりの理由があったのだと分かります。 > > > 『鮮人爆弾事件予審(宇治郡笠取村、宇治川水電隧道工事工夫。日本人親方の爆殺未遂。京都地裁)』 大阪朝日 1910/11/20 京附 〔2/6〕 宇治・京都 【犯罪】 ><以下省略> 記事の内容を確認せずに、信じられるとか信じられないとか、どうやって判断されたんでしょうか? さて、関東大震災のあった1923年とその前年の記事の見出しは下記のようなものです。 日本内地で実際に「爆弾テロ」があったとする見出しに絞ると、関東大震災の前年の1922年から「官憲の捏造」であろうと1件もないようです。 一方、1923年では、「爆弾」検索でヒットしたのは 68.以外、69.-74.からはすべて関東大震災の「デマ」がらみのようです。 『「この時期は朝鮮人がしょっちゅう爆弾テロを起こしていたことは」事実ではありません』というのが正しいようですが、いかがでしょうか? とりあえず、紹介いたしました半月城さんの議論を、一度じっくりお読みください。 ------- 「爆弾」をキーワードとした「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」の結果 http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/cgi-bin/shinbun/shinbuns.cgi?midashi=%C7%FA%C3%C6&shinbun=&local1=&local2=&bunrui=&_ymd=no&year1=&month1=&beforeyear=&beforemonth=&afteryear=&aftermonth=&karayear=&karamonth=&madeyear=&mademonth=&perpage=200&page=1 1922年(大正11年) 56.『爆弾の為/鮮人の惨死/爆発に触れて(山陽電気阿武郡川上村水力電気発電所工事)』 中国 1922/1/18 〔〕 ・山口 【労働災害】 57.『安重根の弟安聖根、元老大官を狙ふ/爆弾と宣伝書を携へ潜に内地に入り込む』 大阪毎日 1922/5/8 〔7/1〕 東京・東京 【民族運動】 58.『鮮人百名爆弾を携へ和船十数隻に分乗して三子島部落民を襲撃す』 神戸又新日報 1922/6/27 〔6/5〕 呉・広島 【社会】 59.『鮮人約二百名/火薬庫に乱入/爆弾火薬等を奪ひ/渡子島上を下への大騒ぎ/呉署必死の大活動(三子島海軍火薬庫工事)』 中国 1922/6/27 〔〕 音戸・広島 【警備】 60.『更に応援警官隊が渡子島暴動地へ急行/爆弾の行方判明せず』 神戸又新日報 1922/6/30 〔7/8〕 呉・広島 【社会】 61.『屋根裏から爆弾発見/鮮人三名を暴動、爆発物違反、内地人三名殺人未遂で起訴』 神戸又新日報 1922/6/30 〔7/8〕呉・広島 【社会】 62.『鮮人が屋根裏に隠した爆弾続々と発見/広島県警察部の大活動』 福岡日日 1922/6/30 〔1/2〕 呉・広島 【民族運動】 63.『爆弾を投じたのは日鮮人の眼を醒す為と/田中大将を狙撃した金益相』 神戸又新日報 1922/7/1 〔7/7〕 長崎・長崎 【民族運動】 64.『鮮人の盗んだ爆弾発見/之で全部の見込』 大阪朝日 1922/7/1 〔7/8〕 呉・広島 【社会】 65.『田中大将を狙撃した金益相の豪語/「爆弾を投じたのは日鮮人の目を醒ます為だ」と法廷で陳述』 大阪毎日 1922/7/1夕 〔2/1〕 長崎・長崎 【民族運動】 66.『爆弾持つ鮮人/懲役一年(米原分署に検挙、長浜区裁で判決)』 大阪朝日 1922/8/27 京附 〔1/10〕 坂田郡米原・滋賀【社会】 67.『渡の子島爆弾事件/有罪に決定(三子島海軍火薬庫工事)』 中国 1922/10/14 〔〕 音戸・広島 【警備】 1923年(大正12年) 68.『徳寿丸で来た怪鮮人/朝鮮から警官六名が追跡/鐘路爆弾関係者か』 福岡日日 1923/1/17 〔1/7〕 下関・山口 【民族運動】 69.『火薬庫警戒/爆弾を携えた鮮人』 芸備日日 1923/9/4 〔〕 呉・広島 【警備】 70.『東京横浜の変災に乗じ/鮮人団爆弾放火で暴る/不逞の行動から隊に戒厳令』 福岡日日 1923/9/4 〔1/3〕 ・東京、神奈川 【社会】 71.『爆弾を持つ鮮人/軽井沢に捕はる/碓井峠の大警戒(大阪電話)』 芸備日日 1923/9/5 〔〕 軽井沢・長野 【警備】 72.『大震災の混乱した中に凶暴を働いた朝鮮人の顛末/放火したもの爆弾を所持するもの−−其他東京付近だけで数十件』 大阪毎日1923/10/21 〔7/1〕 東京・東京 【社会】 73.『列車中に爆弾と導火線/姫路駅着後三等車室から発見さる/引致された怪鮮人五名』 神戸新聞 1923/11/17 〔7/1〕 姫路・兵庫【社会】 74.『目鼻がつかなくなった列車内の爆弾遺棄事件/嫌疑晴れて放還された四名の鮮人労働者』 神戸新聞 1923/11/18 〔6/8〕 姫路・兵庫 【社会】 |
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