10915 返信 「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱の余り崩れ落ちたのだ」 URL かさ 2001/11/01 23:17
こんばんは、かさです。

 イランの映画監督マフマルバフ(水原さんは本職なので、お詳しいでしょう。不備があったら指摘して下さい(^^;)のアフガニスタン関連の小論についてのレヴューを投稿します。このレヴューはもともと書評掲示板用に書いたものですが、なかなか書評掲示板が開設しないので(クマさ〜ん)、こちらに投稿させていただきます。半分酔っぱらって書いたので、ちょいウェットですが(いま論文を書いているので、それ以外の文章は反動でこうなるのです(^^;;)。

 今回はマフマルバフだけ取り上げましたが、この現代思想臨時増刊号は、ウォーラーステイン、フクヤマ、デリダなどの著名人の論評に加え、板垣雄三や栗田禎子などの第一線のイスラーム研究者やカルチュラル・スタディーズの上野俊哉など、幅広い論考を収めています。お薦め。

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M.マフマルバフ
「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱の余り崩れ落ちたのだ」
  『現代思想 10月臨時増刊号 これは戦争か』2001.10.25 67頁-75頁。

 イランを代表する映画監督、マフマルバフがバーミヤンの仏像破壊の際に著した小論の抄訳。評者は未見だが、朝日新聞で紹介されたらしいので、ご存じの方も多いかも知れない。

 タリバンの「原理主義」的性格について、多くの非難が浴びせられている。その際にやり玉に挙げられる一つが、タリバンがバーミヤンの仏像を偶像崇拝として破壊した事件である。

 私は、このニュースを聞いたとき「まったく馬鹿なことをしでかしてくれたものだ」と呆れた人間の一人である。確かに、イスラームの黎明期、ムハンマドがメッカの偶像を破壊したこともあった。しかしその後のイスラームは異教徒に寛容であり、経典の民ではない仏教徒やヒンズー教徒さえも(無節操にも!)許容したのは有名な話である。

 そう、一見極めて厳格な教義を持っているかに見えるこのイスラームという宗教は、原理主義者から見ると無節操とでもいうべき現実に対する適応力の高さと教義の再解釈の柔軟さ故に、前近代ではキリスト教世界よりはるかに寛容な異文化の共存する社会(最も、それはユートピアではなく不平等の上での共存であったが)を実現させた宗教であった。

 タリバンのような教条的な原理主義は、イスラームの歴史上、非常に「イスラームらしくない」、近代に入ってからの現象なのである。

 ・・・しかし、もし宗教が阿片ならば、その阿片を必要とする社会的状況そのものが問われねば−むろん、問われた後には改善されねば−ならないのではなかったか。先ほどの私に欠けていたのは、この基本的な問いであり、その問いを突きつけたのはマフマルバフのこの小論であった。

 マフマルバフの問いは挑発的である。「仏像は破壊されたのではない。恥辱の余り崩れ落ちたのだ」。何を馬鹿なことを。バーミヤンの貴重な文化遺産である仏像が、偶像崇拝を否定する危険な原理主義者集団であるタリバンによって破壊されたのは、アル・ジャズィーラの実況中継によって、全世界に周知の事実ではないか!

 では、なぜマフマルバフはこの馬鹿げた問いを発したのか?

 マフマルバフは陰鬱なアフガニスタンの現状について語る。アフガニスタンでは24時間に7人が地雷で死んでおり、地雷除去に来たグループが絶望のあまりに引き返していった。ヘラートでは2万人が飢えて死んでいくのを目の当たりにした。平均寿命は41.5歳であり、2歳以下の子供の死亡率は二割に達する。「・・・なぜ誰もこの高い死亡率の原因について発言しないのか。腹を空かせたアフガン人の死を防ぐ手だてについては話されないのに、なぜみな仏像の破壊についてそんなに声高に叫ぶのか。現代の世界では、人間よりも像の方が大事にされると言うのか」。国土の僅か7パーセントの農地ではケシが栽培されるが、その利益はマフィアに奪われる。子供が唯一、パンとスープを得られる場所はタリバンの神学校である。

 マフマルバフの怒りは、アフガニスタンの特産物である麻薬(そう、まさしく阿片だ)についても向けられる。アフガニスタンで作られるケシの価格は5億ドルである。5億ドルならば、イランが同じ価格で穀物を買うことで、なんとかアフガニスタンのケシ栽培を止めさせることが出来る筈だ。しかし、5億ドルのケシの末端価格は800億ドルであり、その差額から中央アジアの国家が経済的利益を受け、最終的には欧米で消費される。アフガニスタンが麻薬を生産するおかげで周辺地域の経済は安定し、そのためにアフガニスタンの麻薬生産は止むことがない・・・

 国連の統計に拠れば、2000万人のアフガン人の10パーセントが死に、60パーセントが餓死に向かっているという。

 マフマルバフは言う。

   まだ心が石になっていなかった唯一の人は、バーミヤンの石仏だった。
  彼の全ての威厳を以て、この悲劇の無法さに屈辱を感じて崩壊したのだ。
  パンを必要としている国家を前に、必要もなくそこにあった仏は恥を感
  じて倒れたのだ。仏は貧困と、無知と、抑圧と、そして大量死を世界に
  伝えるために崩れ落ちたのだ。しかし無頓着な人類は、仏像の崩壊につ
  いてしか耳に入らない。こんな中国の諺がある。「あなたが月を指させ
  ば、愚か者はその指を見ている」。

   誰も仏が指さした死に瀕している国を見なかった。知らせようとした
  ものを見ず、都合のいいように解釈を行うのか。タリバンの無知、彼ら
  の原理主義は、アフガニスタンのような国の不吉な運命に向けられる世
  界の無知よりも深いのか。

 本当に恥じるべきは誰であるのか。仏なのか、自ら言うようにマフマルバフ自身なのか。小論はイランからアフガニスタンに強制追放されたアフガニスタンの詩人によって詠まれた詩で閉じられる。

 なお、本小論の全訳は、ハタミ大統領への書簡やインタヴューとともに、11月中旬現代企画室より刊行される予定である。