12792 返信 Re:ハリウッド映画の人種差別とポルノグラフィの性差別 URL 水原文人 2002/01/29 01:01
どうもアメリカ映画専門家が出て来なくてはいけない展開……

> > そもそもアメリカの戦争映画を見てご覧なさいよ、アメリカ対ドイツの勧善懲悪、自分の敵は悪者だって、ただやっつけることで欲求不満の解消にしてるんですよ。

ここまでは正しい認識ですよ。

> > それをアラブと絡めてアメリカを悪者に仕立てようたって、姑息な手段にしか見えませんね。

ただこの論理的つながりが意味不明。今度は敵を求めてアラブ人、っていうのでは立派に悪いことではないですか。まさに人種差別。

ただしこのほいほいさんの意見も単純すぎる。

> 第2次世界大戦の皇国・日本やナチス・ドイツは間違いなく「悪」の侵略国で、米国が、戦略爆撃という名前の市民殺害法を定着させたという問題はあるものの、日本やドイツの侵略を防いだ「正義」の国であったという評価は、無知・無能な日本の右翼コミュニティを除けば、世界中で定着しています。米国の戦争映画で、ナチスが良く描かれないのは仕方は無い。実際「悪」なんだから。

まぁ実際に悪なんだけど、一方で戦勝国側の歴史がそれをさらに強調したってこともあります。一時期なぞまったく人間ではない、悪魔のような描写。

一方でサム・ペキンパーの「戦争のはらわた Cross of Iron」はそのドイツ軍側を主人公したドラマです。そういうものもアメリカ映画は作っているわけ。もっとも確か資本のかなりの部分はイギリスだけど。

> にゃにゃ・・・様が書かれたように、米国映画に詳しくて、かつ、中東問題の基本的知識のある人間ならば、米国映画のほとんどにおいて、アラブ人がまともな描かれ方をしていないことは認識していると思います。ちなみに、サウジアラビアをはじめとして、米国のアラブの友好国は多数存在しますが、映画におけるアラブ人の役割に、友好的なものはまずありません。
>
> アカデミー賞を受賞した「栄光への脱出」などでは、ベギン元イスラエル首相やシャミル元首相をモデルとしたらしい、ユダヤ・テロリストは極めて同情的にかかれ、彼らが引き起こしたデイル・ヤシン事件のような大量虐殺は、アラブ人の仕業になってしまっています。

それを言うなら『栄光への脱出 Exodus』(しかしスゲエ日本題だ)の翌年に、他ならぬ『アラビアのロレンス』がアカデミー賞を制覇したことを意図的に見落としているとしか思えません。エジプトの俳優オマー・シャリフはこの映画で国際的スターになったし。(『ドクトル・ジバゴ』ではロシア人まで演じてしまった)

監督はイギリス人デイヴィッド・リーンですが、資本はアメリカのコロンビア(ちなみに元はユダヤ系資本)だし、脚本はアメリカ人の共産主義者マイケル・ウィルソンがまず書いてイギリス人のやはり共産主義者ロバート・ボルトが仕上げたもの。

プロデューサーのサム・スピーゲルは確かハンガリーかどっかから流れて来てイギリス経由で(詐欺罪で告発された)アメリカに流れた人物、もちろんユダヤ系です。にもかかわらずヨルダンとモロッコでロケ撮影を敢行。

だから『栄光への脱出』がユダヤ人のイスラエル建国物語だからアメリカで評価されて大ヒットしたというのは物凄い色眼鏡をかけたものの見方で、アメリカのイスラエル支援ともなんの関係もない(だいたいアメリカの大衆はそんなことほとんど知らない)。

だいたいアメリカ社会でも保守派を中心に反ユダヤ主義は濃厚だし。最近ではアメリカの極右は「ユダヤ人と結んでアラブと戦うか、それともビン・ラディンと結んでユダヤ人と戦うか」の究極の選択(苦笑)で、ビン・ラディンを選んでしまったし。今でも地方にいけばおいそれと「私はユダヤ人です」と言えない街だってあるらしい。

アメリカ人は抑圧された民衆が独立して国を作るか、作ろうとする話が好きだから、『栄光への脱出』も『ロレンス』も評価されたんですよ。彼ら自身の歴史がそうなんだから。さらに移民の話も好き、彼ら自身が移民の国だから。どっちかと言えば『アラビアのロレンス』の方がさらに人気があるのは、T.E.ロレンスという複雑な主人公にドラマが集約されているのと、冒険映画の要素がより強いからでしょう。映画としても出来がいいし。(『栄光への脱出』のオットー・プレミンジャーもすばらしい監督ですが、『栄光への脱出』は彼のなかでそんなにいい作品ではない。一方『ロレンス』はやはりデイヴィッド・リーンの頂点でしょう)。

> マスメディアにおけるアラブ人像が、米国の中東政策に「それなり」の影響を与えているという専門家も多いです。(イスラエル大使館広報担当・滝川義人氏のような、歴史ねつ造主義者にして、自称・中東専門家を除けば。)
>
> このような状況を認識するだけの知識があれば、上のような与太な発言はできないところでしょう。

だからこれもアメリカ映画の歴史を知らない「与太な発言」と言われてしまいます。「中等専門家」は映画を見てないんだね、と「映画専門家」に言われてしまいます。

戦後アメリカ映画の歴史を見れば、敵役はまずドイツ人、そして永らくロシア人や共産主義者(『007』シリーズが典型、これがだいたい『ダイ・ハード』の一本目くらいまで続く。例外として『ランボー』がアフガンに行く映画があったけど、この敵はやっぱりソ連だし)、そして冷戦終結と湾岸戦争のころからはアラブ人テロリスト、というのが大雑把な流れです。その合間には(たとえば『ザ・シークレット・サービス』のように)アメリカ人がテロリストである例もあるし。

要はその時代その時代でいちばん「タイムリー」で雰囲気のある悪役を求めるのがハリウッド映画です。砂漠の民というエキゾチシズムは理解できない他者=悪、恐怖の対象、というイメージの連鎖に大変都合がいい。

だから90年代以前とそれ以降では、アラブ人が偏見を持って描かれていると言っても役割が違う。それ以前はエキゾチシズムと、せいぜい非文明の野蛮人というくくり(ヴァレンチノなんて20年代にアラブの首長役で世界の先進国の女性を虜にしたわけだし)。それに対して90年代以降、とくにここ数年は露骨に危険な敵としてです。他に敵に使える相手もいなかったところへ、タイムリーにアラブ=テロあるいはアメリカの敵というイメージがマスコミを中心に流されたから、これほど商売上都合のいい悪役はいなかった。

アメリカの外交政策とハリウッドにおけるアラブ人描写を結び付けるのはいくらなんでも想像が肥大しすぎで、事実がほとんどともないません。アメリカをはじめ国際社会がイスラエル建国を支持したのは、ある意味でホロコーストのリバウンド効果みたいな側面があった(しかももともと反ユダヤ主義的な伝統がある東欧が反ユダヤ主義者のスターリンの実質支配下に入ってしまえば、パレスチナ以外には本気で行く場所はない)。その後イスラエルをアメリカが支援し続けたのには、中近東における唯一の民主主義体制の資本主義国家であるという理由は無視できません。他の国はみごとなまでに揃って独裁国家だし。

決して「ユダヤの陰謀」とかそういう空想的な理由ではないと思いますよ。映画界にユダヤ系が多いのは事実ですが、政治的主張を商売に優先させるほどナイーヴではありませんよ。ましてユダヤ人はアメリカでもけっこう未だに差別されてるのに。

いずれにせよ大衆的なアメリカ映画というものが常にアメリカにとっての敵を求めて、描き続けて来た(捏造し続けて来たと言ってもいいかも)のは確かで、そこに商業主義的な大衆文化の怖いところがあります。