13531 返信 ナチスの経済政策ほか(2): 帽子屋様 URL memo 2002/03/17 22:28

** 13429番 帽子屋様 **

丁寧な返信をありがとうございます。

1939年までの為替相場を紹介します。

1930年 100マルク=24.0ドル=4.94ポンド=608フラン=48.6円
1931年 100マルク=24.0ドル=5.29ポンド=606フラン=49.1円
1932年 100マルク=24.3ドル=6.93ポンド=608フラン=86.4円
1933年 100マルク=30.4ドル=7.16ポンド=601フラン=120円
1934年 100マルク=39.5ドル=7.84ポンド=601フラン=134円
1935年 100マルク=40.3ドル=8.22ポンド=601フラン=141円
1936年 100マルク=40.4ドル=8.13ポンド=674フラン=140円
1937年 100マルク=40.5ドル=8.20ポンド=1005フラン=141円
1938年 100マルク=40.3ドル=8.24ポンド=1397フラン=141円
1939年 100マルク=40.2ドル=9.06ポンド=1595フラン=155円
(昭和国勢総覧 東洋経済新報社 第2巻 10-21より計算)

御覧のように、上記5通貨のうち、1930年代を通して最も安定していたのがマルクであり、逆に最も値下がりしたのが円であります。ドイツと日本の通貨政策は、両極端をなしていました。

もう一表、同時期の独英のGDP、米日のGNP、フランスのNDPを挙げておきます。
(GDPで揃えたかったのですが、資料不足であきらめました。見にくくなりますが御勘弁下さい)

1930年 824億マルク 904億ドル 46.4億ポンド 3000億フラン 139億円
1931年 690億マルク 758億ドル 43.0億ポンド 2900億フラン 125億円
1932年 567億マルク 580億ドル 42.4億ポンド 2520億フラン 130億円
1933年 584億マルク 556億ドル 42.6億ポンド 2440億フラン 143億円
1934年 655億マルク 651億ドル 45.2億ポンド 2250億フラン 157億円
1935年 731億マルク 722億ドル 47.2億ポンド 2210億フラン 167億円
1936年 812億マルク 825億ドル 49.5億ポンド 2490億フラン 178億円
1937年 909億マルク 904億ドル 52.9億ポンド 2940億フラン 234億円
1938年1002億マルク 847億ドル 55.5億ポンド 3580億フラン 268億円
1939年1093億マルク 905億ドル 58.7億ポンド ? 331億円
(マクミラン世界歴史統計 K1 ほか)
GDP:国内総生産
GNP:国民総生産:=(GDP)+(国民の国外での所得)−(外国人の国内での所得)
NDP:国内純生産:=(GDP)−(減価償却)

米英仏日の四ヶ国では、通貨切り下げて、やっと景気を回復しました。ところが、ドイツだけは、通貨を切り下げることなく、つまり「ソーシャルダンピング」に頼ることなく、経済を立て直しています。
このことは、ある程度は評価できると考えます。

もっともドイツでも、債務の増加はありました。しかし、1938年のメフォ手形残高は120億マルク、国債残高は80億マルク、合計してもGDP比では20%くらいです。この点では、今の日本の方が無茶苦茶でしょう。何しろ、国債残高だけでGDPの70%を超えておりますから。

ちなみに、上の表の値をマルクに換算して比べてみると、以下のようになります。

1932年 独 567億マルク 米2387億マルク 英612億マルク 仏414億マルク 日119億マルク
1938年 独1002億マルク 米2102億マルク 英674億マルク 仏256億マルク 日190億マルク
(6年間における実質成長率は、独95%、米34%、英24%、仏−5%、日56%)

独英仏の力関係の変化に注目すると、1938年における英仏の対独宥和政策の背景を伺うことができます。

ROMを意識して書いたので、帽子屋さんにとっては当たり前の説明が多くなってしまったかもしれません。

** 余談 **

福寿草さんの13481番投稿「日の丸・君が代を強制する人達の人間性」は、意義のある問題提起だったと思います。