13552 | 返信 | ナチス下のドイツ | URL | 帽子屋 | 2002/03/18 21:47 | |
帽子屋です。 MEMO様には、詳細な統計まで提示していただき、ROMされている方々にも大変有益なこと だろうと存じます。できれば定量的資料だけではなく、あわせて定性的資料をお読みになられれば、 言うことはもはや何もないのですが。 > 1930年 100マルク=24.0ドル=4.94ポンド=608フラン=48.6円 > 1931年 100マルク=24.0ドル=5.29ポンド=606フラン=49.1円 > 1932年 100マルク=24.3ドル=6.93ポンド=608フラン=86.4円 > 1933年 100マルク=30.4ドル=7.16ポンド=601フラン=120円 > 1934年 100マルク=39.5ドル=7.84ポンド=601フラン=134円 > 1935年 100マルク=40.3ドル=8.22ポンド=601フラン=141円 > 1936年 100マルク=40.4ドル=8.13ポンド=674フラン=140円 > 1937年 100マルク=40.5ドル=8.20ポンド=1005フラン=141円 > 1938年 100マルク=40.3ドル=8.24ポンド=1397フラン=141円 > 1939年 100マルク=40.2ドル=9.06ポンド=1595フラン=155円 > (昭和国勢総覧 東洋経済新報社 第2巻 10-21より計算) >御覧のように、上記5通貨のうち、1930年代を通して最も安定していたのがマルクであり、逆に最も値下がりしたのが円であります。ドイツと日本の通貨政策は、両極端をなしていました。 > >もう一表、同時期の独英のGDP、米日のGNP、フランスのNDPを挙げておきます。 >(GDPで揃えたかったのですが、資料不足であきらめました。見にくくなりますが御勘弁下さい) > > 1930年 824億マルク 904億ドル 46.4億ポンド 3000億フラン 139億円 > 1931年 690億マルク 758億ドル 43.0億ポンド 2900億フラン 125億円 > 1932年 567億マルク 580億ドル 42.4億ポンド 2520億フラン 130億円 > 1933年 584億マルク 556億ドル 42.6億ポンド 2440億フラン 143億円 > 1934年 655億マルク 651億ドル 45.2億ポンド 2250億フラン 157億円 > 1935年 731億マルク 722億ドル 47.2億ポンド 2210億フラン 167億円 > 1936年 812億マルク 825億ドル 49.5億ポンド 2490億フラン 178億円 > 1937年 909億マルク 904億ドル 52.9億ポンド 2940億フラン 234億円 > 1938年1002億マルク 847億ドル 55.5億ポンド 3580億フラン 268億円 > 1939年1093億マルク 905億ドル 58.7億ポンド ? 331億円 > (マクミラン世界歴史統計 K1 ほか) > GDP:国内総生産 > GNP:国民総生産:=(GDP)+(国民の国外での所得)−(外国人の国内での所得) > NDP:国内純生産:=(GDP)−(減価償却) > 米英仏日の四ヶ国では、通貨切り下げて、やっと景気を回復しました。ところが、ドイツだけは、通貨を切り下げることなく、つまり「ソーシャルダンピング」に頼ることなく、経済を立て直しています。 > このことは、ある程度は評価できると考えます。 フランスが1937年に劇的にフラン立てのGDPが回復しますよね。これは言うまでもなく36年に起きた、フランの金本位制離脱によるものです。これにより古典的金本位制が最終的に終焉を迎えることになります。アメリカ・ドイツは、依然為替レートに変動が見られないことから分かるように、実は「金本位」をとっていますが、事実上前者は金輸出停止、後者は1931年のドイツ・オーストリア関税同盟のフランスの横槍による破綻でおきたいわゆるドイツ金融恐慌の際、「為替管理制度」を導入し、ヒトラー政権以後の34年からは軍事工業化のための原料輸入統制を行っており、実質金本位離脱が行なわれているのです。 つまり、ドイツとアメリカのみ<ほぼ>固定相場だった訳(アメリカは変動する)です。イギリス(31年金本位停止)・フランス(36年停止)と1936年までの日本(以後戦時体制下の為替管理政策に移行)において為替レートが大幅に下落する理由は、金本位制下金と結び付けられていた絆が断ち切られ、為替需給関係により相場が変動する変動相場制へ移行する(ただし、金本位制は平価をはさんで変動するから微妙に上下動する)ことにあります。この2つの違いはとても重要です。 とどのつまり。 フランス・イギリス・日本は為替を下落させて景気が回復したのではありません。 景気が回復しつつある結果、為替需給の関係により、自由市場である為替レートが下落したのです。 MEMO様は、まったく逆に事態を捉えて誤解しておいでです。 実のところ、アメリカ・イギリスは、1935年頃にはすでに、景気は回復基調にありました。それが表立って表れないのは、アメリカの場合ニューデール政策が、旧来の<経済の自由理念>に反することから、議会の抵抗を受け中途半端に終わったことと、労賃の下方硬直性により物価が下がっても労働者の賃金が維持され、結果として新規雇用が抑制され、経済回復が行き渡らなかったことも原因の一つとされています(実は解雇されなかった労働者の生活水準は、恐慌期を通じ大きく向上していたと言われています)。 言うまでもなく、イギリスとフランスは、宗主国製品の輸出と宗主国宛の債権の支払いを円滑にさせるため、自国の為替レートの維持を放棄する一方で、植民地諸国にわざと高為替維持をさせるなど、輸出促進政策も同時に採られております。日本のソシアル・ダンピング問題と日印・日蘭会商にいたる過程は、植民地諸国の高為替と日本の低為替があいまって生じた問題です。余談ですが、通説ではブロック化経済により日本が締め出されたのだとされ、大東亜共栄圏へひた走る理由を与えることになりますが、これは英・蘭政府にとっては、植民地維持のためには日本に植民地諸国への輸出だけではなく植民地産品の安定した購入の要請であり、植民地諸国の経常収支の維持に主眼があったのです。この会商の結果、日本は輸入割当を飲まされることになり、混綿技術を武器にして世界でもっとも安価な綿花を買い付けにより、世界最強の競争力を誇った日本紡績資本の利害は、日本の軍事工業化の利害の要請の前に膝を屈することになります。これこそ、資本家の利害が貫徹しない、軍・封建ファシズム国家として戦前日本を捉える見方に、一定の説得力をもたせた事例のひとつです。 すでに指摘しても、なぜかMEMO様に無視されてしまっていますが、ドイツの場合問題なのは、景気が回復しつつある結果、輸入が増え総合収支が大幅に悪化していながら、為替管理により高為替政策を維持し続けた結果、外貨が流出し続けたことです。それまで貿易収支が常に黒字であったドイツは、1934年、始めて貿易収支赤字国に転落することになります。この目的は軍事工業化にあり、その政策に反対したシャハトは、解任されます。 ドイツが高為替政策を採らなければならなかった理由は、実はドイツが債務国であり1931年段階で255億マルクの債務を抱えていた(第一次大戦賠償は含まない)ことにもあるようです。各国の切り下げの結果、148億マルクに減額されました。対外均衡の危機の最中、為替を固定相場で維持し続けた理由はこの辺にあるのでしょう。これは対外資金流出を惹起することになりますから。 そして外貨が枯渇する寸前に、ドイツは生存圏をもとめ第二次世界大戦が勃発することになるのです。 > もっともドイツでも、債務の増加はありました。しかし、1938年のメフォ手形残高は120億 >マルク、国債残高は80億マルク、合計してもGDP比では20%くらいです。この点では、今の>日本の方が無茶苦茶でしょう。何しろ、国債残高だけでGDPの70%を超えておりますから。 すみませんが、MEMO様は致命的に誤解されています。 25年も累積されていながら国際収支に問題が生じないのに(実は当たり前のことなんだが)、たかだか5年しか累積せず20%でしかないドイツで収支問題が生じるのは、いかにドイツが貯蓄能力が弱く債務国であったか、というドイツ経済と金融構造の脆弱性の表れ以外の何者でもありません。 つまり無理だったのですよ。最初から。 > ちなみに、上の表の値をマルクに換算して比べてみると、以下のようになります。 > > 1932年 独 567億マルク 米2387億マルク 英612億マルク 仏414億マルク 日119億マルク > 1938年 独1002億マルク 米2102億マルク 英674億マルク 仏256億マルク 日190億マルク > (6年間における実質成長率は、独95%、米34%、英24%、仏−5%、日56%) > 独英仏の力関係の変化に注目すると、1938年における英仏の対独宥和政策の背景を伺うこと> ができます。 これも致命的な間違いというか、MEMO様の言いたいことと持ち出した資料がミスマッチです。 多分私が「もっとも安定している通貨フラン」で説明したので、それならとマルクを持ち出したのでしょうが、36年までの自由市場下(金本位制度は自由取引による自己調整市場です)のフランを使うことで、為替管理通貨としてのマルクの特色を照射するために持ち出したのであって、統計という定量的資料で説明するならば、それにみあう適切な資料を持ち出さない限り、まったく論として意味をなしません。経済規模の拡大で、ナチス・ドイツの成功をなんとしても証明したいなら、この場合【購買力平価】でにより各国の経済規模を出すべきでしょう。 一時1ドル75円になったとき、60円台に入れば日米のドル換算規模の経済が逆転する、いや既に逆転したのではないか?と話題になりましたが、誰も力関係に変化があったとはおもわなかったでしょ?購買力平価が違いすぎるからです。 妄言多謝 |
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