13853 返信 Geary-khamis方式による1930年代世界経済の考察: 帽子屋様 URL memo 2002/04/08 00:38

#恋熊さん、13754番のレスありがとうございます。ある程度の内容がまとまったら返信します。
(まとまらないかもしれません)

** 13552番 帽子屋様 **

> ちなみに、上の表の値をマルクに換算して比べてみると、以下のようになります。
>
> 1932年 独 567億マルク 米2387億マルク 英612億マルク 仏414億マルク 日119億マルク
> 1938年 独1002億マルク 米2102億マルク 英674億マルク 仏256億マルク 日190億マルク
> (6年間における実質成長率は、独95%、米34%、英24%、仏−5%、日56%)
> 独英仏の力関係の変化に注目すると、1938年における英仏の対独宥和政策の背景を伺うことができます。
(13493:memo)

> これも致命的な間違いというか、MEMO様の言いたいことと持ち出した資料がミスマッチです。
>
> 多分私が「もっとも安定している通貨フラン」で説明したので、それならとマルクを持ち出したのでしょうが、36年までの自由市場下(金本位制度は自由取引による自己調整市場です)のフランを使うことで、為替管理通貨としてのマルクの特色を照射するために持ち出したのであって、統計という定量的資料で説明するならば、それにみあう適切な資料を持ち出さない限り、まったく論として意味をなしません。経済規模の拡大で、ナチス・ドイツの成功をなんとしても証明したいなら、この場合【購買力平価】でにより各国の経済規模を出すべきでしょう。
(13552:帽子屋)

為替相場もある程度は購買力を反映します。恣意性が小さくて分かりやすいという長所もあります。
もっとも、様々な角度からの評価はあった方がいいでしょう。今回は、Geary-Khamis(ゲアリー=ケイミス)方式によるGDPの比較を紹介します。

1930年 独 1652 米 7692 英 2383 仏 1868 日 1143 瑞 241 伊 1164 ソ 2523 中 3843
1931年 独 1484 米 7102 英 2260 仏 1756 日 1153 瑞 233 伊 1157 ソ 2572 中 3882
1932年 独 1346 米 6164 英 2278 仏 1642 日 1249 瑞 226 伊 1195 ソ 2544 中 4005
1933年 独 1487 米 6035 英 2344 仏 1759 日 1372 瑞 231 伊 1187 ソ 2649 中 4005
1934年 独 1602 米 6501 英 2499 仏 1742 日 1375 瑞 248 伊 1192 ソ 2909 中 3656
1935年 独 1747 米 6998 英 2595 仏 1697 日 1412 瑞 264 伊 1306 ソ 3348 中 3951
1936年 独 1929 米 7993 英 2713 仏 1762 日 1515 瑞 280 伊 1309 ソ 3613 中 4201
1937年 独 2045 米 8334 英 2807 仏 1863 日 1588 瑞 293 伊 1398 ソ 3980 中 4099
1938年 独 2204 米 8003 英 2842 仏 1856 日 1694 瑞 298 伊 1408 ソ 4052 中 3996
1939年 独 2411 米 8640 英 2869 仏 1989 日 1960 瑞 318 伊 1511 ソ 4303 中 ?
(世界経済の成長史 1820-1992年 アンガス・マディソン 金森久雄 監訳 (財)政治経済研究所 訳 2000年 東洋経済新報社)
#単位:1億1990年Gearly-Khamisドル
#30年代にGDPが1000憶GKドルを上回っていた国はすべて載せました。

Gearly-Khamis方式について、上掲書から説明を引用します。

>(イ) ある年(基準年)をとり、その年のGDP(国内総生産)を構成するすべての生産物について、それらの「国際平均価格」(各品目1単位が何ドルであるかということ)を確認する。ただ、この場合、建前は「国際価格」とはなっているが、実際には米国の価格に近い価格(ドル表示)が、「国際価格」にされているのが現実である。
>(ロ) 各国のGDPを構成する各生産物に、このような「国際平均価格」(実際にはドル価格)で、価格をつける。そしてそれらを合計して、各国のGDPの総額が何ドルになるかを表示する。

大ざっぱな言い方をすれば、
「1930年のドイツのGDPを、1990年の米国の物価で計ると1652億ドルになる」
「 1939年のソ連のGDPを 、1990年の米国の物価で計ると4303億ドルになる」
ということです。

なお、Gearly-Khamis方式によるGDPで各国の額面のGDPを割ると、各国通貨の「Geary-Khamis購買力平価」を求めることができます。

表に戻ります。ドイツと日本の縦の変化に注目していただければ、これまで私が述べてきた二つの主張:

# 1933年のナチス政権成立後、ドイツ経済は急速に復興した
# 日本は欧米諸国に先駆けて恐慌から回復した(東北農村は取り残されましたが)

を再確認することができます。

また、為替相場とGearly-Khamis方式による表でそれぞれ「横の比較」をしていただければ、ドイツの高為替政策、日本の低為替政策の影響を読み取ることができます。

>ドイツが高為替政策を採らなければならなかった理由は、実はドイツが債務国であり1931年段階で255億マルクの債務を抱えていた(第一次大戦賠償は含まない)ことにもあるようです。
(13552:帽子屋)

これは納得がいく指摘です。勉強になりました。
ですが、ナチスの経済政策に対する評価を下げる要素にはならないでしょう。それだけの悪条件を克服して、景気を回復することに成功したのですから。
ドイツ以外の先進資本主義国の間には、早く通貨を切り下げた国から順に景気が回復していったという傾向が見られます。単純化すると、以下のような図式になります。
【 日本→英国(スターリングブロック諸国)→米国(ドルブロック諸国)→フランス(「金本位制」諸国) 】
「高為替政策を採らなければならなかった」というのは、かなりのハンデキャップだったわけです。

** 余談 **

とほほさんの13803番投稿での態度は、見事だったと思います。