15273 | 返信 | Re:民族と宗教 (欧州篇) | URL | にゃにゃにゃにゃにゃ | 2002/09/13 22:12 | |
> ユダヤ人側からのナチスによる絶滅収容所の設置がポーランドに集中していたのは、もちろん偶然ではない。ポーランドを中心とする東欧には、中世以来の反ユダヤ主義の伝統が存在したのである。1995年初頭、ホロコーストの生き残りや目撃者の証言で構成された、クロード・ランズマン監督の映画『ショアー』(1985) が、日本でも公開された。 ナチスはポーランド人、ロシア人などのスラブ民族をユダヤ人に次ぐ「劣等民族」と見なし、「抵抗の核」になると見なされた高学歴者・インテリなどを絶滅し、残りを奴隷化、または強制移住させようとしていたことはよく知られているところである。 それゆえであろう、ポーランドはフランスと異なり、対独協力者はほとんど登場しなかったことでも知られている。そうであるがゆえに、『ショアー』で明らかにされたこと、ポーランドでは収容所近郊の農民たちは収容所のなかでユダヤ人絶滅計画が推進されているということを知っていたという事、それにもかかわらずこのことに黙って見過ごすばかりか、むしろ歓迎すらしていたということは大きな衝撃となるものである。 映画『ショアー』の映画監督であるクロード・ランズマンはポーランドの農民や市民へのインタビューを行なったうえで、「ポーランドでなければユダヤ人絶滅計画は実行できなかった」という結論を出している。これは当時、世界のユダヤ人人口の5分の1がポーランドに集中していたこと、ポーランドの鉄道網が充実していたこと、とともに、ポーランド人民衆の反ユダヤ主義を根拠にしているものである。 忘れてはならないことは、第一次大戦後に独立を回復したポーランドに、ほどなくして樹立された「イタリア・ムッソリーニ政権に次ぐ史上二番目のファシズム政権」であるピウスツキー独裁政権が反ユダヤ主義を唱え、これを実行に移していたこと、そしてナチス・ヒトラーがドイツの独裁者になっていくと、ポーランドは(1939年のドイツによる侵略の直前になるまで)ドイツとの友好を深めていたということ、である。ピウスツキーは「連帯」の運動が開始されたころから、ポーランド人のなかで「名誉回復」が叫ばれ、今日ではポーランドの民族的英雄とされているのである。 そして、「アウシュビッツの聖者」=マクシミリアン・コルベ神父、彼は実は反ユダヤ主義の心情の持ち主であったということを、ダーショヴィッツの著した本に書いてあるのを、私は読んだことがある。ただ、ダーショヴィッツはその根拠は示していなかった。 共産党政権崩壊後のロシア・東欧諸国では、かつてナチスが広めていたことで知られる「マルクス主義者は世界制覇をめざすユダヤ人の手先」というトンデモ・デマ宣伝が広まっているという。ロシア人レーニンやグルジア人スターリンさえもが「実は隠れユダヤ人だった」という与太話が飛び交っているという。 そして「カルメル事件」の過程でグレンプ司教は「ユダヤ人によるメディアの支配」などという言い方までしていたという事実がある。 『ショアー』はポーランド民衆の中世以来のキリスト教的反ユダヤ主義をクローズアップするいっぽうで、ドイツやフランスの近代型反ユダヤ主義がほとんど出てこないという批判もある。事実、ホロコースト否定論はフランスのなかから登場してきたもので、それはフランスの新左翼の流れを組む「老いたるもぐら」グループのような「左翼」グループすら同調するという形で登場してきている。極右のフォリソンの本を、「左翼」の「老いたるもぐら」グループが、その系列の出版社から出版するという「極右と『左翼』の奇妙な同盟関係」が形成されているわけである。 ベルナール氏も取り上げている『歴史修正史年鑑』、これは毎年出版されるとても分厚い本で、『記憶の暗殺者たち』を著したヴィダル・ナケをして「そういうものにいちいち反論していたらカナダの木を全部切っても足りない」と言わせるものである。ランズマンも「わたしは『ネガシオニスト』の問題についてはほとんど関心がない」ということを言っていたという。もちろん、日本の事情はフランスと異なり、「つくる会」や小林よしのりの本が本屋に堂々と山積みされている状況である。そういう状況では反論は必要である。同時に、歴史修正主義の宣伝に対するなんらかの法的規制を求める声を出して行くことも必要ではないだろうか? |
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