16024 返信 [ URL ピエール 2002/11/06 03:46
皆さん、こんにちは。

先日、東京の九段会館で開かれた「生きるということ~日本人の誇りと勇気」と題するシンポジウムを聞く機会があった。主催は「靖国神社崇敬奉賛会」。プロパガンダ映画『プライド』で東条英機を演じた俳優の津川雅彦が基調講演、「新しい歴史教科書をつくる会」副会長で明星大教授の高橋史朗、雑誌『祖国と青年』元編集長の打越和子の3人がパネルディスカッションをした。その模様を報告する。

まず、津川の話の要点を列挙する。(ピエールによる補足含む)

① 私のような文化人が皆さんに提供する最終目標は「元気」だ。「人生で起こったことはすべて正しい」と思える、「そのために今日がある」と肯定的に生きる元気を与えるのが使命だ。人生いろいろあるが、肯定的に受け入れる。そう思える自分に誇りを感じる。(拍手)

②「勇気ある人」とは、たとえば「忠臣蔵」の大石内蔵之介だ。忠義のために尽くす姿に、誇り高き美意識を見る。特攻隊も国のために自分を捨てた誇りある人たちだ。(拍手)彼らの辞世の歌などを見ると、己に対する誇りと高い教養を備えていたことがわかる。当時の若者は教養と誇りを持っていた。(大拍手)最近の「茶髪」「金髪」の連中になど、望むべくもない。(笑)やはり、「全体のために個を抑える作業ができる人」は誇り高くて勇気がある。「滅私奉公」の精神だ。それを、切羽詰った土壇場ではなく、普段から常に考えていることが、「生きる」ということにかかわってくる。しかし、それをないがしろにしてきたのが、憲法の57年間だ。(「そうだ!」の声)

③ 人間には「真面目」と「非真面目(不真面目ではない)」がある。「真面目」とは政治や経済などの「社会」に関するもので、生産的な心、「本物の世界」と言ってもいい。これに対し、「非真面目」とは「文化」に関するものであり、「遊び心」である。いわば「ニセモノの世界」だ。しかし、この「ニセモノ」は「本物の感動の再現」である。つまり、雄大で美しい自然に感動したら、人はそれをなんとか自分で再現してみたくなる。それが歌であり詩であり絵画である。祭りも、「大漁・豊作の再現を祈る」という意味で「ニセモノ」だ。この「遊び心」を、今の「真面目な」日本人は低く見ている。しかし、戦前は「遊び心」があった。たとえば、天皇陛下が歩いていらっしゃると、「お歩きあそばします」と表現する。陛下の一挙手一投足が「遊び心」で表現されている。「遊び」を高位に置いていたのだ。そういう文化をもったのは、世界で日本だけだ。(大拍手)

④ それを戦後57年間、ないがしろにしてきた。北海道の広野に咲くヒマワリと、ゴッホが描くヒマワリの感動は異質のものだ。前者は現実世界そのままで、いわば「俗」。後者は「聖」だ。俗を聖のレベルまで昇華させるのが「文化」である。こういう文化をおざなりにしている日本人に憤りを感じる。文化を政治的にしか見ていない。「真面目な」観点からしか見ない。共産主義は文化をプロパガンダとしてしか使わない。(大拍手)最近、端午の節句と雛祭りを文部科学省が「文化的差別だ」と言い出している。「男は男らしく、女は女らしく」のどこが悪い。(拍手)大阪のバカな女知事が「相撲の表彰式で土俵に上がらせろ」と言っている。冗談じゃない。相撲は男の文化だ。文化を破壊しようと言うのか。(拍手)「真面目」な理屈が「非真面目」な世界を席巻するのは、野蛮な行為なのだ。(拍手)

⑤ こんなことを言うからといって、私は右翼ではありませんよ。右翼が日の丸・君が代の印象を悪くしている。暴力や脅迫で主張を押し通そうとするのは間違っている。(拍手)

⑥ 映画『プライド』で、東条英機の役をいただいたときは、正直言ってぞっとした。私は戦後教育を受けた第一世代。東条は「極悪人」だとずっと思っていた。しかし、役づくりのために、周囲が私を寄ってたかって教育するのだ。東条は刑死にあたって、「100年は言い訳をするな」と言ったという。100年経てば、世界が大東亜戦争を正しく理解するだろうということを見抜いていたのだ。(津川は明らかに太平洋戦争を賛美している)東条は誇りを持っていたんだ。極東軍事裁判を担当したアメリカ人は、ニュルンベルク裁判の際のドイツ人と、日本人の違いに感動した。彼らは死刑を言い渡されると、見苦しく弁解したり取り乱して命乞いをした。しかし、日本の「戦犯」とされた人たちは「Death by hanging」の判決にも黙ってこくっと一礼しただけで従容と死についた。これが日本のサムライ魂ですよ。(大拍手)それにしても、実にいい加減な「裁判」だった。「南京大虐殺」だって、南京の人口は20万人しかいなかったのに、朝日新聞は30万と言い、のちに訂正している始末だ。アメリカ人の弁護士でさえ、「この裁判は無効だ」と言っている。兵隊が兵隊を殺すのは合法で、連合国は日本を裁けないのだ。日本を裁くなら、広島・長崎の無辜の市民を大量虐殺せよと命じたアメリカの大統領を裁かなければならない。こう主張するアメリカの弁護士のインテリジェンスに感動した。

⑦ 昨年9月の米国のテロ事件で、ブッシュが自爆テロを特攻隊になぞらえる見方があったが、冗談じゃない。(「その通り!」大拍手)真珠湾奇襲で、日本は軍事施設を狙ったのであり、一般市民・非戦闘員は一切殺していない。正当で崇高な軍事作戦だった。(拍手)真珠湾の水深は20メートルしかない。飛行機から魚雷を落とせば、海底に当たって敵艦に損害を与えられない。そこで、山本五十六は魚雷に羽を付けて深く沈まないように工夫、飛行機も水面ギリギリを飛行して攻撃する訓練を何回も繰り返して準備した。パールハーバーは素晴らしい攻め方なんですよ。あと100年すれば、日本中が真珠湾攻撃への拍手で包まれるだろう。(拍手)宣戦布告の数時間前に攻めちゃったのが「だまし討ち」というが、これは屁理屈だ。アメリカはABCD包囲網を作ってフィリピンまであらゆるところで防御を固めて待ち構えていた。でも「ハワイは絶対攻めてこない」と判断していた。それを日本人の知恵で覆した攻撃は本当に素晴らしい。それをどうこういうのは「ヤクザの因縁」のようなものだ。

⑧ テロがあった時、石原都知事(津川のデビュー作である「狂った果実」の原作者)は「9・11はアメリカにとっての原爆になった」と言った。その通りだ。アメリカは原爆で一般市民を虐殺した。「原爆があったからビンラディンが登場した」のだ。このことを日本は朝日新聞含めてもっとアメリカに言わなければならない。(拍手)ついでだが、なぜ朝日が中国びいきなのかは、天安門事件(ママ)の時に日本のメディアが全部退去させられたとき、朝日だけが残留を許されたからだ。

⑨ そもそも、キリストやユダヤやイスラムといった一神教が争いの元だ。よくないですね。日本のように、どんな神様でもOKというのが平和的で素晴らしい。日本の神道は世界で一番進んだ宗教だ。(大拍手)

⑩ 狩猟民族は「個人の権利関係」がはっきりしている。英国がもとで、英国は狩猟民族の国だ。獲った獲物は誰のものなのか一目瞭然で「俺のものだ」と主張できる。日本のような農耕社会では、採れた作物が誰のものなのかと考えるという発想がそもそもない。日本はみんなが協力し合う「和」にのっとった社会なのだ。その価値観にのっとった憲法にしなきゃならん。個人の権利第一のアメリカはみんな銃をもっている。「俺の権利が第一で、他人の権利は第二」なのだ。アメリカで服部君がピストルで殺された。相手は「フリーズ(動くな)」といったが、彼は「プリーズ(どうぞ)」と勘違いして手を広げて近づいていった。あの犯人は無罪になった。人間の信頼関係がない社会だ。「人と人との間」と書いて「人間」なのだ。是非「人間宣言」を憲法の前文に盛り込みたい。(大拍手)僕が正しいと思ったことを率直に口にできる地盤ができている。(大拍手)

⑪ どうも、憲法の「個人の権利を第一とする」とあるが、これがすべての間違いだ。そして憲法の致命的欠陥は第9条の軍隊の放棄だ。28年前、自宅に賊が入って生後5ヶ月の娘を誘拐されて、自宅の戸締りを真剣に考えるようになった。国防も同じだ。ましてや北朝鮮のように核をもっている国が隣にいるのだ。ソビエト(ママ)も無頼の国で、ガスで人質を何人も殺した。その情報公開もしない。世界中から拉致を繰り返してきたのが共産主義。その共産主義がこの世からなくなることが平和への第一歩である。軍隊の放棄は本当に馬鹿げている。

だいたい以上である。

次に、パネルディスカッションの主な発言。
【津川】日教組はGHQの意向を受けて日本をダメにするのがそもそも目的の先鋭部隊で、それを共産党が後押しした。それが「ジェンダーフリー」を言い出しているのはわかる気がする。男の本性は昔から「めめしい」のだ。優柔不断で嫉妬深い。だからせめて「強くなりなさい」と教育するのだ。それに対して、女は強い。それは子供を生むからだ。危険を察知する知恵も備えている。あまり強すぎると恐ろしいから「やさしくなりなさい」と教えるのだ。これは、神がそう創りたもうたのだ。女が男をやっつけるように強くさせるような教育はいびつだ。「家庭を出なければ女権を守れない」と考えると核家族化が進み、子への愛がおろそかになる。児童虐待は10年で30倍になっている。まさしく祖父母から子育てを教えない核家族が原因だ。「家付き、カー付き、ババア抜き」が悲劇を呼ぶ。

【高橋】男女を区別するのは「差別」ではない。福岡の高校では男女が同じ教室で体育の授業の着替えをするという。「男は男らしく、女は女らしく」という基本を大切にしながら男女同権を実現することはできるはずだ。「関係性の危機」の時代。人間の「間」の取り方がわからなくなってきている。親の「懲戒権」を否定するのはおかしい。教育は「他律」や「強制」から始まるものなのだ。

【打越】「男の子は男らしくなくていい」のなら、何になればいいのか。何でもない存在になるのか。神戸の酒鬼薔薇少年は「僕は国籍のない透明な存在」と書いていたが、象徴的だ。こうあって欲しいという親の願いが今の男女同権教育には見あたらず、子育てとして愛がない。こどもたちは困惑している。世の中も、公のために自分を捨てる美しさ、すなわち「義」こそが靖国の原点だ。それが美しいと感じられないのは、文化がなくなってきているということ。先祖の願いを自分で引き受けて生きるほうが豊かだ。民族の願いを引き受けていると自覚すれば、人生が豊かになる。

シンポジウムは約3時間。聴衆は約500人。お年寄りから学生まで。中には先生に引率して来られたと思しき高校生も。もちろん、例の「キリストの幕屋」の女性たちもいた。私はまるで「異次元」に入り込んだようで、不思議な雰囲気だった。

ピエール自身の感想は別途書きます。とりあえず、この世界と人間を創造したユダヤ教の「ヤーウェ」やキリスト教の「神」を否定しながら、その一方で、男女の性差を「神が創りたもうたもの」と平気で言ってのけるノーテンキさに、おもわず微笑を誘われます。じゃあ、その「神」って誰だよ? アマテラス? 神武?

皆さんも考えてみてください。