22459 | 返信 | タキトゥスの言及も後世の捏造 | URL | 森永和彦 | 2003/08/06 01:32 | |
> 先に、文法学者 (クインティリアーヌス) や天文学者 (プトレマイオス) [2] 等にイエスへの言及を期待する滑稽さを指摘しておきましたが、さらにあなたが引用したリストにある名前における言及の不在については、明確な虚偽がありますので、以下に若干例を具体的に明示しておきましょう。 すでに述べておきましたように、後世の捏造の疑いがあるものは除外されています。 > ローマの歴史家タキトゥス (Publius Cornelius Tacitus, 55頃-113以後) は、西暦64年にローマを襲った破壊的な大火の皇帝ネロに帰する噂に言及した後、その『年代記』(15・44) において以下のように述べています。 > > > そこでネロは、この風評をもみ消すために、身代わりの被告をこしらえ、非常に手の込んだ罰を与える。それは、日頃から忌まわしい行為で世人から憎まれ、キリスト信奉者と呼ばれていた者たちである。この一派の呼称の由来になったキリストなる者は、ティベリウス帝の治世下において、属州総督ポンティオ・ピラトによって処刑された。その当座は、この有害極まりない迷信も一時は収まっていたのだが、最近になって再びこの禍悪の発祥地においてのみならず、世界中からおぞましくも破廉恥なものがことごとく流入してもてはやされるこの都においてさえ、猖獗を極めていたのである。そこで、まず信仰告白をした者たちを、さらに密告によって他のあまたの者が捕らえられたのだが、彼らは、放火の罪よりは人類憎悪の罪に問われたのだった この部分は、ヨセフスの「キリスト証言」ほどの稚拙な捏造ではなく、一見して奇妙というわけではありません。 しかしよく検討してみると、やはり後世の捏造の疑いが極めて濃いものなのです。 Robert Taylorの著作_Diegesis_ (1834)によると、15世紀にJohannes de SpireがVeniceで『年代記』を出版するまで、上記の部分は知られていませんでした。それ以前のキリスト教弁護者は、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』における「キリスト証言」を捏造したと思われるEusebiusも含めて、この部分に触れていません。 また、一見して捏造が明らかなヨセフス本とは違い、文体や前後の接続も一見して整っていますが、Tacitusが一貫してgeneris humaniとの語順で書いているにもかかわらずこの部分だけhumani generisとなっています。語順が違っても意味は同じですが、他の部分では語順が一貫しているのにここだけ異なっているのは奇妙です。また、この本も『ユダヤ古代誌』と同様に詳細な歴史書ですが、「キリスト信奉者」が「猖獗を極めて」いたにもかかわらず、この短い言及を除いて他の部分で触れられていないというのも奇妙なことです。やはり、後世の捏造と考えられます。 もしも仮に、この部分が後世の捏造ではなく、Tacitusの原文にあったものだとしても、やはりイエズスの実在性の証拠にはなりません。 まずこれが書かれたのは120年ごろで、イエズスが処刑されたとされる時期の90年後ですので証拠にはなりません。また内容が間違っています。ピラトの職名が「総督」(上に引用された訳)となっていますが、この職名は当時は存在せず、ピラトは別の職名だったのです。「総督」という職名の人物がかの地を統治するようになるのはTrajan帝の時代(98-117)です。当時の歴史に詳しくない人物が書いたことは明らかです。 ついでに、処刑された人物の正しい名前に言及せず、「キリストなる者」として言及しています。あたかも「キリスト」が名前であったかのように。しかし、ローマの記録には「キリストが処刑された」などと書いてあるはずはなく、処刑された人物の正しい名前が書かれてあるはずです。このことからも、この部分を書いた人物がTacitusであったと否とにかかわらず、ローマの記録を直接調べたものではなくキリスト教文書からの情報であることは明らかです。 参考 http://www.atheists.org/church/didjesusexist.html http://home.inu.net/skeptic/exist.html なお、キリスト教がいかにして誕生したのかについて、ミトラ教の影響を指摘しながら説得的に解明した記事を参考に挙げておきます。 http://www.atheists.org/church/jesuslife.html |
||||||
![]() |