22835 | 返信 | 「元号拒絶」を嗤うを嗤えない時 | URL | 上海 | 2003/08/24 01:43 | |
久々の帽子屋節、Coolですね!! それにしても、もの書きを生業とされる方は、どうしてこうも文章が洗練されているのか・・・ >「世界に誇る」偉大な存在へすがりつこうとされる心性の持ち主には、「皇紀」という劣化対 >抗バージョンだろうが「元号」という複製バージョン(事大主義と従属ナショナリズムの混合 >体ですかね)だろうが、簡単に感情移入してしまうのでしょう。肩肘はる必要もないでしょう >に。 >日本文化とはいえ、自分とそこまで関係が深い訳でもないようなことを誇る気になれず、誇っ >ても自分が偉くなるわけでもないだろうと思う人間としては、よくわからない心性なので大変 >面白く感じました。八木沢様、長大な御論考、ありがとうございます。 Tpknさんも豪放磊落、明解明瞭です。 >ただ、恥ずかしさに関して言えば、人それぞれで違っております。はっきり申しますと、《天 >皇を象徴としていただく幸福な国民》なんかでいることは、私にとっては顔から火が出るほど >恥ずかしいことであり、ちっとも幸福でもなんでもないのですね。 で、書く事がなくなったので、水原さんがおっしゃるように >天皇制は、元号にしても「好き」だ「嫌い」だと駄々をこね続けるにはいささかおもしろ過ぎ >るネタに満ちた存在でもあります。好き嫌い以前に、それにまつわるいろんなことについて >「なぜなのか?」を考察しないと、有益な議論にはならないと思いますが。 の観点から、好き嫌い以前に「なぜなのか?」の一例を紹介します。 合法だの違法だの、つまらん話しを盛り上げてくれる方達が最近多い事もあるので、世界に誇る 日本の「法律の神様」である最高裁とサラリーマン地裁のお話しです。 箕面忠魂碑違憲訴訟と神坂直樹氏裁判官任官拒否訴訟の顛末です。 神坂哲が会計事務所に勤務しながら、弁護士無しで始めた箕面忠魂碑訴訟は日本の司法界に大き な波紋を投げかけ続けてきました。一審違憲判決は、筋書き通り最高裁で合憲となりました。 さて、神坂哲氏の息子さんの直樹氏は1991年に司法試験に合格後、裁判官を希望しましたが、 最高裁は1994年4月、理由を開示しないまま任官を拒否。 直樹氏は、修習中の教官による(1)箕面忠魂碑訴訟の参加、(2)判決修習での西暦使用、(3)検察庁での取調修習の拒否などを理由に再三に渡り任官撤回強要行為を行ったことに対して、思想・ 信条の差別であるとして1994年7月、最高裁を相手取り任官拒否取消を求める行政訴訟を東京地裁に提訴しましたが、一度も公判が行われないまま却下されました。 控訴しましたが、その後も公判が行われないまま確定。 さらに、1995年5月、国賠訴訟を大阪地裁に提訴しましたが、1999年12月10日結審し、2000年 5月26日に敗訴しました。 「判決修習での西暦使用」が問題視されるなど、元号の使用は、時と場合に寄っては「踏絵」に される訳ですね。 今も日本には4000基もの忠魂碑が存在しますが、この数の膨大さは、天皇(制)や「国家神 話」が、この国、この社会に如何に根深く食い込んだものであるかを感じさせるものです。 この「アホらしさ」はおおいに嗤いたいと思います。 |
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