26745 | 返信 | 1987年大韓航空機「爆破」事件 真相解明の日は近い | URL | 森永和彦 | 2004/04/17 08:21 | |
総選挙で極右が惨敗したこともあり、韓国では1987年大韓航空機「爆破」事件の真相解明へむけた期待が高まっています。 韓国では、真相究明市民対策委員会などの努力により、「北のテロ」という神話はすでに打ち破られ、「韓国政府がいつ事件の真相を発表するか」に関心が集まっています。 韓国における真相究明の動きが、日本ではほとんど報道されないため、日本人の大多数がいまだに「北朝鮮のテロ」という虚構を信じているのは残念です。 小説『背後배후』の著者の徐鉉佑서현우さんが『統一評論』によせた文章を保存しておきます。 <KAL858便事件> 大韓航空機858便事件、真相が究明される日は近づいている! 徐 鉉佑 希代のミステリー、KAL858便事件! この間、多くの疑惑が提起され、再調査を求める声が強かったにもかかわらず、事件の実態が徹底して隠蔽されてきた、いわゆる「金賢姫-KAL858便爆破事件」(以下、この事件とする)の真相が究明される日が近づいているようである。 最近の真相究明を求める運動の成果、そして現在の状況がそれを雄弁に示唆している。筆者自身、最近のこの問題に関する動きを見ながら、まさに「隔世の感」を禁じえない。 昨年はこの事件の真相究明運動において、かつてない大きな前進が見られた1年であった。 それまでは一言でいって「犠牲者家族」たちを中心に少数の人々のか細い声によって続けられていた真相究明運動が、事件発生から16年(16周忌)を経て、ようやくマスコミと大衆の関心を呼び起こし、その声が水面上に浮上したのである。 具体的にいうならば、この間、一貫してこの事件に目を背けてきたマスコミが、この事件に対して本格的な関心をしめすようになり、とくに事件の真相究明に取り組んだ放送3社(KBS、MBC、SBS)を筆頭に、ほとんどのマスコミがこの事件を大きく取り上げ始めた。 筆者は現在のそのような状況をつくり出す上で、天主教(カトリック)司祭らの力が決定的に作用したことを知っており、ここで改めて天主教司祭の方々に敬意を評したい。 筆者は事件発生から17年目を迎える今年、事件の実態が歴史と国民の前に明らかになると確信している。 真相究明運動の火の手-小説『背後』 昨年(2003年)の真相究明運動における成果とはどのようなものであろうか。 それはまさにこの事件の疑惑に対する広範な大衆的共感の獲得と真相究明運動の広がりであるが、その端緒は昨年5月に出版された小説『背後』であったと自負している。 小説『背後』は、この事件が韓国国家安全企画部(以下、安企部とする)の自作自演劇であるとの視角から執筆した小説であり、1989年に出版された『疑惑のKAL機事件』以後、14年ぶりに韓国ではじめて出版された、この事件の疑惑を扱った小説である。 『背後』の出版は、沈滞の沼にはまり込んでいた、この事件の真相究明運動の局面を転換させた。 事件発生当時から、この事件に疑問を感じていた筆者が小説『背後』を執筆しようと思い立った契機はすでに『統一評論』に掲載された拙稿でも明らかにしているが、さる1998年10月、安企部自らがこの事件に関する疑惑の提起と再調査の意思を表明したことにあり、たとえ後にその意思があやふやになってしまったとはいえ、そのことに筆者は強い衝撃をうけたのであった。 強い社会的関心 筆者はそのとき、この事件の真相が究明される日がそう遠くはないと判断した。そして2年後(2000年)に暴露されたいわゆる「スージ金事件」の実態は、筆者をして小説『背後』を執筆する意思と勇気を高めさせたといえる。 そうして小説『背後』は世に生まれ、その後、筆者が願ったとおりに、それが契機となって局面転換の機運が盛り上がり始めた。 そんな中、筆者を某テレビ局のドキュメンタリー担当のプロデユーサーが訪ね、また天主教のある神父から連絡が入ったのであった。そして事件に関する検討を重ねた末に、テレビ番組の制作が決定され、全国の天主教聖堂での巡回講演会が始められたのであった。 このような動きの結果はついに昨年の11月3日と11日、この事件の真相究明を求める200余人の天主教司祭らによる2度にわたる声明発表と記者会見、そしてMBCとSBSのふたつのテレビ局による、この事件に関する疑惑を取り上げた番組の放映となって表れた。 すると国家情報院(1999年に安企部から名称が変わった-以下、国情院とする)はすぐに反応を見せ、報道資料を配布して「歴史と国民の前に、一点の恥ずかしさもない」と反駁した。しかし、マスコミは競争するかのように、この事件の疑惑を報じはじめた。そしてついにこの事件の疑惑に対する国民の共感とほとんどのマスコミが注目し連日、報道するという状況を迎えたのであった。 筆者はこれが事件の真相究明運動のいわば分水嶺であったと考えており、真相究明運動がようやく水面上に浮上する決定的な時期であったと考えている。 名誉毀損、損害賠償訴訟? 事態がこのように推移すると国情院は、小説『背後』が出版されてから6ヵ月が過ぎた昨年の11月21日、国情院捜査官5人の名義で、小説『背後』の作者である筆者と出版社を相手に、名誉毀損を理由に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。 このことで筆者にはとうてい理解できないことがある。それは小説というジャンルに、司法的な制裁を加えようとする、その前近代的発想自体を受け入れることができないからである。また国情院主体の訴訟提起ではなく、当時、事件の捜査を担当した捜査官による訴訟提起であることも理解できない。仮に名誉を毀損されたとするならば、国情院であって、どうして当時の捜査官たちだというのであろうか? 訴訟提起の当事者らが掲げている名誉毀損の根拠は、小説『背後』が、誰もが読めば分かる国情院の捜査官を登場人物としている点を上げているが、筆者は、果たして小説『背後』に登場する誰が、実際の国情院のどの捜査官をモデルとしているの分からない。小説『背後』に登場している人物の誰が、具体的に国情院の実在の捜査官と分かる人物なのか推測さえできないからである。 そして筆者としては、小説『背後』が訴訟を提起した捜査官の名誉を毀損しているのか、はたまた国情院の名誉を毀損しているのかも明らかでないため分からないのである。またどうして国情院が訴訟の主体とならないのかも理解できないのだが? ともかく筆者は名誉毀損で訴えられた以上、この訴訟問題に関して単純な名誉毀損にのみ対応するといった消極的な姿勢をとるつもりはまったくない。 この事件の真相究明の一環として、小説『背後』を執筆、出版した以上、裁判など司法的手続きの全過程を真相究明の場として積極的に活用しようと考えている。それで筆者は殺到するマスコミのインタビューを受ける都度、犯人とされる金賢姫はむろんのこと、捜査の担当者であり当時の安企部部長であったアン・ムヒョクをはじめ第一次長のイ・サンヨン、対共(対共産主義)捜査局長であった鄭亨根(現・ハンナラ党国会議員)、そして1998年に自らこの事件に関する疑惑を提起した当時の安企部の最高責任者であったイ・ジョンチャン氏らを証人として出廷することを申請することを明らかにしてきた。 金賢姫の失踪? その後、筆者は突然、驚くべきニュースを聞くことになった。それは金賢姫は姿をくらましたというニュースであった。報道によれば、対共業務を主管する某機関が、金賢姫が突然、家族とともに姿を隠したため、要員を派遣して追跡しているという。 みなが知っているように、金賢姫は大法院(日本の最高裁判所にあたる)で死刑が宣告、確定されてから半月後のさる1990年4月、政府によって電撃的に特別赦免された。その特別赦免発表は当時の広報部長官であった現在はハンナラ党の代表の地位にある崔秉烈氏によってなされており、特別赦免の理由は、金賢姫を歴史の証人として生かして置くためというものであった。 それならばこの事件に関する疑惑が広範に提起されている今こそ、金賢姫自らが国民の前に現れて、それこそ歴史の証人とおしての「使命」を果たす義務があるといえる。にもかかわらず、金賢姫は正反対にどこかに姿を隠してしまっているのである。 金賢姫は実際には今回ではなく、すでに7年前から事実上、姿を隠していた状態であった。1997年12月、金大中氏が大統領に当選するやいなや、10日後に電撃結婚し、それと同時に姿を隠していた。そして今回の事態である。まったく犬も笑う事態とでもいえようか。 韓国の大部分の人々と同様に、筆者もやはり今回の金賢姫の「行方不明」は、実際には「行方不明」ではなく、国情院が姿を隠させたと考えている。 ともかく金賢姫の「行方不明」事態こそ、この事件の実態が何であるかを雄弁に物語っているのではないでだろうか? 現在、筆者は検察の捜査と裁判に対処するため、この事件の真相を究明すという意思をより強くしている。しかしながら、訴訟からすでに80日以上も過ぎているというのに、検察からの呼び出しはなく、さる1月16日に予定されていた民事裁判も延期されたままの状態がつづいている。 捜査資料と裁判記録の公開を命じる判決 その渦中にさる2月3日、ソウル行政法院は、この事件の真相究明において非常に鼓舞的な判決を下した。それは検察が拒否していた、この事件の捜査記録と裁判記録を公開することを内容とした、さる2002年7月にKAL858便家族会が検察を相手に起こした訴訟に対する、公開することを命じた判決であった。 この判決はソウル行政法院第13部による判決であったが、筆者が知ったところによれば、この裁判部の初期の姿勢は検察と同様で公開に否定的なものであったが、最近になって姿勢を転換させたようである。 筆者は裁判部のそのような姿勢の変化の理由が、司法部もやはり最近のこの事件に関する韓国社会の強い関心と世論をいまや無視できなくなったからではないかと考えている。 しかし公開を命じた今回の判決にもかかわらず、検察側は即時に控訴する方針を明らかにし、判決に従わない姿勢を見せている。依然として真相の究明に目を背けているのである。しかしながら、一方ではマスコミと世論の強い非難を受けることが予想され、実際には困惑し狼狽しており、対応に苦慮しているのが明らかである。 未だに金賢姫を「行方不明」とさせた国情院と同様に、検察は判決に対する控訴と再調査に応じないことで真実を隠蔽することに汲々としている。しかしその一方では、最近、家族会が求めた大統領をはじめ、各政党代表、法務部長官、国情院長官との面談はひとつ、ひとつ成就される兆しを見せているのである。 筆者はいまやこの事件に関する再調査は、時間の問題だけであり、真相究明は時代の大勢となっていると確信している。最近、韓国では1971年に発生した「実尾島事件」を描いた映画『実尾島』が韓国映画史上、最大の観客動員数を記録して話題を呼んでいる。当時の中央情報部による非人間的な蛮行を暴露しているこの映画によっても、過去の軍事独裁政権が量産した、ありとあらゆる悪行に対する国民の怒りは高まるばかりである。また、最近これも改めて論議されている、張俊河氏の疑問死事件の真相究明など、過去の軍事独裁政権の実態がひとつ、ひとつ露になっているのである。 近づく真相が究明される日 「私たちは沈黙の海を越えました」 昨年の11月29日、この事件の一六周忌での、このスローガンこそ、この間の「犠牲者家族」の涙と怒り、苦痛を一言で表わしているといえる。 しかし真相究明の日は近づいているのである。筆者はこれこそが真の歴史なのだと叫びたい。長い歳月の流れの中では沈黙もありえるが、歴史にはけっして沈黙はありえないのである。真実は永遠に歴史の同伴者であるからである。 筆者は最近、毎夜、夢を見ている。この事件の真相究明によってこれまでの民族分断の恥辱を一挙に拭いさり、民族の和解と統一へと歩み寄る活力と躍動感に満ちた韓半島の新しい機運を夢の中に見ている。 その夢はけっして筆者ばかりの夢ではないであろう。韓半島にみなの夢に違いないのだ。 それは近づきつつあり、必ずや現実となる。そしてそれは韓半島のみならず、東北アジアの平和と繁栄という、われわれの未来につながるであろう。 (ソ・ヒョヌ 小説『背後』の作者) |
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