| 27727 | 返信 | Re:新資料「百人斬り競争」野田氏の手紙: その意味 | URL | 渡辺 | 2004/05/11 23:42 | |
| 元投稿:27640 『新資料「百人斬り競争」野田氏の手紙』 渡辺 2004/05/09 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=27640&range=1 ------ (27704番[2004/05/11]の投稿に誤植がありましたので、訂正して再投稿いたします。) 『週刊金曜日』 2004年4月23日号(N.505)に掲載された『大阪毎日 鹿児島沖縄版』昭和十三年一月廿五日付記事は、執拗に繰り返されてきた記者による「創作」「虚構」説を根底から覆すものです。 本多勝一氏らを被告とした裁判では、原告側弁護士が、記事はすべて虚構と主張し、被告側に立証を丸投げしました。しかし、記事自体は野田・向井両少尉の発言が報道されたという通常考えられる結論に、今回新たな野田氏自身の手紙という証拠が加わったわけです。 もともと、このように年月を経た事実は、歴史探求の自由が優位に立つ(城山三郎『落日燃ゆ』裁判[1])という判例があり、原告請求の棄却は確実と思われるのですが、今回の記事が発見されたことにより、「虚構」を主張し続けることは益々困難になりました。原告代理人の杜撰な歴史認識が裏目にでたようです。 今回発見の記事からは「百人斬り」が、誰を対象にどう行なわれたか知ることはできませんが、その実態はどうであったかという議論が、名誉毀損を理由に妨げられるようでは近代史を論ずることなどできなくなってしまいます。 さて、今回、星徹氏によって明らかにされた記事で、私が注目したのは次の3点です。 1)野田氏は手紙の中で、「南京入城まで百五斬つたです」と述べている。 「百人斬り」記事に関わった、浅海、鈴木、佐藤記者が、本人から聞いたものを記事にしたとの証言をしており、野田・向井両少尉の発言が記事になったと考えるのが普通である。 一方、これを、浅海記者らの「創作記事」「虚構」などと山本七平氏が論じ、今回の裁判でも、原告側弁護士・稲田朋美氏は「戦場に派遣された新聞記者が捏造したものです」[2]などとしている。しかし、「南京入城まで百五斬つた」と野田氏自身が手紙に書いていた。 2)「千人斬りをやらうと相手の向井部隊長と約束した」 野田氏の手紙は「百人斬り競争」に向井氏が参加していたことを前提にしている。 3)百人斬り競争の歌の作者は「戦友の六車部隊長」である。 阿羅健一氏によれば、「野田少尉の名誉を回復する田代町民の会」で「<当時>みんなで百人斬り競争の歌を歌ったと口ずさむ人もいた」[3]とあり、「百人斬り競争の歌」の存在が知られていた。今回、その歌と歌詞の作者が明らかになったわけである。 歌詞の作者は「戦友の六車部隊長」とあり、これは、野田氏とは同期(49期)の、第16師団歩兵第9聯隊(京都)第1大隊副官(少尉)・六車政次郎氏と考えられる。[4]従って、別の大隊でも「百人斬り競争」が知られていたことになる。(野田氏は第3大隊。) なお、六車政次郎氏は、『楷行』昭和59年11月号で証言しているが、「百人斬り」については、述べていない。[5](ゆうさん教示) 以下、『週刊金曜日』 4月23日号, p.32 の一部を引用いたします。関心のあるかたは、正確を期すために、同誌を購入いただくか、図書館でご覧ください。 ----- 『大阪毎日 鹿児島沖縄版』昭和十三年一月廿五日 二百五十三人を斬り 今度千人斬り發願 さすがの“波平”も無茶苦茶 野田部隊長から朗信 <一部省略> このほど豪快野田部隊長が友人の鹿児島縣枕崎町中村XX氏あて次のごとき書信を寄せたが、同部隊長が死を鴻毛の軽きにおき大元帥陛下万歳を奉唱して悠々血刃をふるふ壮絶な雄姿そのまゝの痛快さがあふれてをり、“猛勇野田”の面目躍如たるものがある−− <以下手紙本文> <一部省略> ...敵も頑強でなか/\逃げず だから大毎で御承知のように百人斬り競争なんてスポーツ的なことが出来たわけです、<途中省略>南京入城まで百五斬つたですが、その後目茶苦茶に斬りまくつて二百五十三人叩き斬つたです、おかげでさすがの波平も無茶苦茶です、百や二百はめんどうだから千人斬りをやらうと相手の向井部隊長と約束したです、<途中省略>戦友の六車部隊長が百人斬りの歌をつくつてくれました 百人斬日本刀切味の歌(豪傑節) 一、今宵別れて故郷の月に、 冴えて輝くわが剣 二、軍刀枕に露営の夢に、 飢ゑて血に泣く声がする 三、嵐吹け/\江南の地に、 斬つて見せたや百人斬 <以下7番まで掲載されているが省略> まだ極楽や靖國神社にもゆけず、二百五十三人も斬つたからぼつぼつ地獄落ちでせう、<以下省略> [『週刊金曜日』 2004年4月23日号(N.505), p.32] ----- 引用者註: < >記号内は引用者による註。 「中村XX氏」は実名が書かれているが、引用者の判断で名前をXXに置き換えた。 縦書きの繰り返し記号は「/\」と表記した。例えば、「なか/\」は「なかなか」と読む。 [1]「落日燃ゆ」謝罪広告等請求事件控訴審、『判例時報』918号, p.23、抜粋は『季刊 中帰連』27号, p.16 [2]稲田朋美『「百人斬り」大虚報に頬かむりしてきた朝日・毎日の報道責任』『正論』平成15年7月号, p.63 [3]阿羅健一「名誉回復のその日まで」『正論』平成15年12月号, p.150 [4]昭和12年8月1日現在弟16師団編成表、楷行社『南京戦史資料集�機�, p.698 [5]畝本正巳編「証言による『南京戦史』(8)」『楷行』昭和59年11月号, pp.7,8 |
||||||
![]() | ||||||