29990 | 返信 | 金賢姫は「偽者」である 速やかな再調査を行なうべき (統一評論9月号) Re:森永さん、金賢姫のほうです | URL | 森永和彦 | 2004/10/11 01:46 | |
統一評論9月号 KAL機事件「再調査反対」に反論する −速やかな再調査を行なうべき− 玄 俊煕 さる7月4日、開かれたウリ党のチョン・ジョンベ院内代表が「KAL機事件再調査」に言及した後、事件に関する再調査問題が浮上している。 しかし一方で、疑問死真相究明の対象を拡大する法案を提出したハンナラ党のウォン・フィリョン議員は「一般常識をもつ人ならば、KAL機事件を公権力による死亡(疑問死)とはとらえていないだけに、この事件が真相究明の対象となるとは見ていない」と(再調査に)消極的な姿勢を見せている。 それが国民感情かも知れないが、この事件を17年間にわたって追跡してきた私の脳裏には「天動説」と「地動説」が浮かんでくる。 「地球は宇宙の中心だ。なぜならば高貴であるからだ」−紀元前ギリシャ時代から中世の暗黒期までヨーロッパを支配してきたのが「天動説」であった。そしていま、いまひとつの「天動説」はこうだ。「韓国政府を115人が犠牲となった事件と関連づけることができるというのか。なぜなら、大韓民国は自由・平和を愛する国であるからだ」 しかしこのふたつとも、それを立証する証拠はない。ただあるのは情緒のみである。 一方、「地動説」は科学である。ただ1000年にわたって支配してきたドグマを恐れてコペルニクスは臨終(1543年)間際になってやっと「地動説」について語ることができた。その「禍」はブルーノ、ガリレオなどの後学たちが味わわねばならなかった。 1987年11月29日、大韓航空機(KAL858便)がアンダマン海で消えた事件が起きた当時、私は日本にいてこの事件に関する資料を自由に収集することができ、事件を逆追跡した結果、「(当局の発表とは)違う」との判断を下した。しかし「北韓による爆破事件」として結論づけられた「天動説」が恐ろしく、その後の14年間、発表しなかった。 南北和解時代となった2001年9月になって『内外ジャーナル』創刊号に「北韓によるとする証拠も、爆破したという証拠もない失踪事件である」との「地動説」を発表することができた。 では安全企画部(安企部)が事件を捏造したのか? 捜査権を持たない私としては捏造事件だと断定することはできない。ただ捜査結果がでたらめであるので再調査すべきだというのが私の考えである。いまや執権与党代表の口から再調査問題が提起されるほどに疑惑は確実に存在する。第一ラウンドは終わった。いまは再調査を行なうべきときであり、その結果によって捏造如何もはっきりとするからだ。 騒ぎ出す事件関連者たち とくに当時、事件の捜査に直接関与した安企部(現在は国家情報院−国情院)、検事、弁護士らが大騒ぎしている。当時の安企部捜査責任者はハンナラ党の鄭亨根議員であり、検事は李サンヒョン検事、弁護士は安ドンイル、鄭ジエホン国選弁護士らだ。最近、マスコミで報じられている彼らの主張は次のようなものだ。 金賢姫を起訴した李サンヒョン弁護士は「大明天地に(白昼にみなが見ているとの意味)国民115人の命にかかわる問題を捏造できるなどと考えるのは憶測に過ぎない」「証人の金賢姫氏が生存していることは、ほんとうに幸いだと考える」としている。 また安ドンイル弁護士は「16余年間にわたって遺族らの恨は理解できるが、KAL機爆破事件が北韓によるテロ行為であるという本質は変わらない」としながら、真実究明の動きについて「疑惑を増幅させることを反復しているに過ぎない」と非難している。そして「確定判決が出ている事案を再調査することは(法)体制を否定する、軽率な行動だ」と主張している。 鄭亨根議員も同様だ。 「初動捜査の過程で金賢姫の陳述に依存したため、枝葉的部分においていくつかの過ちがあったかも知れないが、再調査しても結果は大きく変わらないであろう……2002年9月の(朝日)首脳会談時、金賢姫の日本語教師である李恩恵を拉致したことを認めているではないか」 事件の奥深さを知らない者にとっては「そのとおり」と思わせる発言であり、国民感情にも合致する発言かも知れないが、重要なことは彼らの主張は証拠によって裏づけられた主張ではないという事実である。そのような彼らの主張に関してはこの間、筆者、犠牲者家族会、市民団体、テレビ三社などが内外で集めたいくつもの証拠によって撃破されているにもかかわらず彼らはそれを反復しているに過ぎない。 しかし彼らがいかに再調査に反対しても無意味だ。不審な部分はひとつ、ふたつではないのだ。そのようなことを捏造できるだろうか? などと主張しているが、KAL機事件が起こる一年前の「金剛山ダム事件」(北が金剛山に巨大なダムを建設してソウルを水没させようとしているとして、それを防ぐ「平和ダム」を建設する募金運動騒ぎまで起こしたが、事実ではなかった事件−編集部注)はいったい誰の捏造作品であったのか? そして同じ年の「スージー金事件」(北の工作員によって妻を殺害されたとしたが、実際には夫が殺害していたという事件−編集部注)はどうか? 政府が金賢姫を生かしておいた理由は、後に捏造疑惑などが浮上したときのために、生き証人の役割を果たさせるためであったろう。ところが彼女はいざ状況が騒がしくなると、昨年の12月、姿を晦ましてしまった。 金賢姫が北韓の工作員であるという証拠として鄭議員は、(朝日首脳会談で)北が李恩恵の拉致を認めたように脚色して「万能薬」のように使用している。李恩恵は金賢姫が主張している、彼女の日本語教師につけられた韓国名である。7月11日に放映されたMBC−TVの日曜討論番組でも鄭議員はそのこと(朝日首脳会談で北が認めたという主張)を強調している。 果たしてそうであろうか。北韓は田口八重子という女性を拉致したことを認めた。しかし田口八重子が李恩恵であるとは認めてなどいない。日本政府、韓国政府の公式的立場も同様である。ところが「梅雨になったと排水をたれ流す」(絶好の機会との意味−編集部注)とばかりに脚色する鄭亨根議員。彼は先の番組の中でKAL機が消えた海域の水深は3000メートルもあり、そのためにブラック・ボックス(フライトレコーダー)を探すことができなかったと説明した。しかしアンダマン海域はわが国の西海のように水深の浅い海である。実際に事件発生から2年後が過ぎてから、KAL機の残骸なるものが引き上げられた地点の水深は40メートルに過ぎなかった。 自分の写真も分からなかった金賢姫 私はKAL機事件でもっとも残念なことが、この残骸問題だと考えている。引き上げられた残骸はこの事件の唯一の直接的物証となりえた。通常、機体の各部分の裏面には製造番号が記されているからだ。 最近(4月)、フランスのマルセイユの海岸で航空機の残骸が発見されたことがあった。その残骸には製造番号が記されており、それでその該当航空機が1944年に偵察飛行に飛び立ったサンテグジュペリ(フランスの作家、飛行家。『星の王子さま』の作者−編集部注)の機体であることが確認されて話題となった。ところが安企部の管理不足(?)により、この重要な物証はスクラップ業者に売られてしまった。 国情院や鄭議員は「初動捜査におけるいくつかの枝葉的な過ちに過ぎない」と、とるに足らないことだとしているがとんでもないことだ。例えばいまや、張基永に花束を贈った少女の耳が、金賢姫の耳の形とは違うということは周知の事実である。つまり金賢姫は犯人ではない。犯人ではないということは枝葉的なことではなく、事件そのものを覆す重要なことである。 重要なことはそのような事実が、一審判決文では抜けているということだ。金賢姫は少女の写真を見て「自分だ」と自白し、裁判でも「(その写真は)平壌の自宅にもある」と証言しているのに、どうして抜けているのか? 金賢姫が嘘をついているからなのか? それとも真実が明らかになることを恐れて? この問題は重要な問題である。 ところが安ドンイル弁護士は最近、『私は金賢姫の実体を見た』(『東亜日報』発刊)という本まで出版し、「疑惑を解明」したと主張している。そうであるならば、どのような疑惑をどのように解明したのか、具体的に、個別に提示してほしい。また(疑惑提起は)「体制否定」などとの「色分け論」まで展開している。大法院(最高裁判所)の判決が、中世紀の教会のドグマでもあるというのであろうか。 彼は「私が弁護した金賢姫がでっち上げられた偽者であったというならば、私は偽者のために弁護したことになる。私が偽者のためにあれほど熱心に弁護したというのか。そうならば耐えられないことだ」と、執筆の動機について述べている。 彼の表現そのままに(その弁護は)「耐えられないこと」なのだが、今回はより慎重であるべきであろう。なぜならば、提起されている疑惑は証拠によって裏づけられているからだ。二度も騙されてはそれこそ「耐えられない」ことだ。ところが彼の本は嘘つき・金賢姫を弁護する内容で一貫している。そして金賢姫と彼女の子供たちに関するヒューマンストーリーが各所に描かれている。しかし彼が真に金賢姫のためを思うならば法廷で「金賢姫は犯人ではない。耳が違うではないか」とたたかうべきであった。しかし彼の本はこの決定的証拠に目をつぶったまま、同情論で一貫されている。それはなぜなのか? とくに読むにたえない部分は本の19頁にある。彼はこう 書いている。 「私は『自白が証拠の王様』というのではなく、自白もそれを裏づける証拠なくしては(自白が)有罪の証拠とはならないという刑事訴訟の基本原理をより大切に考えている人間である。KAL機爆破事件の証拠は金賢姫の実体、それそのものであるといいうほかはない。それだけ金賢姫の自白は信憑性があり、完璧であるからだ」 安弁護士はテレビを見たことがないのか。まるで第二次世界大戦が終わったことも知らずに、ジャングルから出てきた旧日本軍の敗残兵のようだ。 当時の安企部捜査官さえも、金賢姫の自白のみに依拠したために、(初動捜査で)間違いがあったと認めているではないか。それも一度や二度ではない。 つまり金賢姫は本人が意識しようがしまいが、稀代の嘘つきであるのだ。安弁護士は金賢姫の自白が何を根拠に信憑性があるのかということを明らかにする責任がある。北韓の戸籍でも確認したとでもいうのか? そんなことは本の中に書かれていない。では当時の安企部の発表にある、アンゴラ駐在北韓・金元錫が彼女の父親であることを確認したのか?そのことも書かれていない。 当時、安企部の発表に対して日本の『朝日新聞』が「現地で確認したところ、そのような人物はいない」と報じると、安企部は「確認中」として曖昧にし、17年が過ぎた今も曖昧にしたままである。 八カ国にわたる彼女の「破壊工作への旅」も数多くの嘘に満ちている。日本人ジャーナリストの野田峯雄氏の現地取材によって嘘が明らかになると、金賢姫は自分の手記を、野田氏の指摘にそって数カ所も書き直している。 金賢姫はバーレーンで服毒自殺を図ったとされている。当時のマスコミ報道や金賢姫の手記によれば、彼女は服毒自殺(青酸カリ)を図り、3日間も意識不明で生死の境をさまよったという。ところが当時、現場に立ち会った日本人外交官の目撃談によれば、金賢姫は意識がはっきりとしていた。 金賢姫はなぜ存在しない人物を父親だといい、関係のない少女が自分だと嘘をついているのか? この稀代の嘘つきの実体は? このようなことは、いってみれば「ヤクザ社会」で「悪いようにはしない」との「約束」で、下っ端が罪をかぶって監獄に入るといったようなシナリオがあってこそ説明がつくことである。 金賢姫の実体を知るためには、シナリオにはない金賢姫に会って見る必要がある。次に紹介する事例は任意性が高いだけに純度99%の話と信じてよいと考える。 まず林秀卿さんとの面会の話だ。1989年8月の訪北によって逮捕された林秀卿さんは安企部の特別面会室で金賢姫と3時間にわたって面会している。当時、安企部は姉の歳である金賢姫をして「あなたは北韓の実情を知らないのよ」といわせて林秀卿さんを「改心」させようとしたのだが、林秀卿さんの姿勢は確固としていて失敗に終わった。当時、林秀卿さんの金賢姫に対する印象は、おしゃべりでテレビなどで見たつつましく清純可憐な面影は少しもなかったという。 また金賢姫は67キロのバーベルを持ち上げ、射撃も名手で水泳も2キロはゆうに泳げる「鉄人」で、拳は固く肩にはナイフの傷がある必殺のテロリストであると報じられた。安弁護士もそのことを確認している。 「私がなぐさめようと彼女の肩に手を置いた。若い女性のしなやかな肩を想像していた私は一瞬、驚いた。重量挙げ選手の鍛えられた肩のように感じられたからだ」(安弁護士の本『私は金賢姫の実体を見た』26頁)。 しかし犠牲者家族会の車玉貞会長の経験は正反対だ。 「金賢姫がソウル・麻浦区西橋洞の教会に来るという情報をえて、教壇から下りてきた彼女につかみかかり、『おまえがスパイだというのか、本当のことをいえ』といった」 そのとき一緒にいたボデイーガードたちが両者を引き離そうとしたが、その間の恨みが超人的な力となった車会長は金賢姫を捕まえてしばし離さなかったが、金賢姫は何もいえずされるがままであった。その姿は鍛えられた筋肉の持ち主という話とは違って、か弱い女性そのものであったという。 金賢姫は北韓出身なのか? 金賢姫が北韓出身というのは本当であろうか? ひとりの目撃談は10人の証言よりも正しいというが、私は金賢姫とバクダッドからアブダビまでともにKAL858便機に乗っていた同機のパーサーである朴キルヨン氏の目撃談に注目している。 朴氏は当時、70歳代の病弱な老人(金勝一)と20歳代の美人(金賢姫)という奇妙なカップルが目につき、注目していたと語り、機内食を食べた後、金賢姫がタバコを吸う姿を目撃している。 「食後の一服」は愛煙家にとってはたまらない。この場面の重要な理由は、北韓もまた厳しい儒教社会であるということからだ。韓国の場合も、1960〜70年代頃まで未婚の女性が公の場所で喫煙などしようものなら、嫁に行けないといわれたものだ。とりわけ祖父といってもおかしくない70歳代の老人の前でタバコを吸うことなど、北韓の女性ならば考えられない行動といえる。 しかし在日同胞や中国・朝鮮族ならば考えられ、喫煙はタブーではない。このことひとつ見ても、私は彼女が北韓出身者とは考えられない。 ではどのような女性なのか? このことに関しては金賢姫の話す中国語を分析した日本音響科学研究所の鈴木氏の分析資料がある。指紋と同様に声紋も個人を特定することができるが、鈴木氏によれば金賢姫は少なくとも小学校までは北京語圏で暮らしたという。北京語圏といえば朝鮮族の居住地域も含まれ、彼女が朝鮮族出身である可能性は高い。 金賢姫のイメージは彼女の手記『いま、女として』など三編の手記によって人々に植えつけられている。私はそれらの本を読むたびにゴーストライターの影を感じるのだが。それはともかく読書百編義自見(たくさん読めば真実が見えてくる)もので、決定的な「代筆」の証拠を探した。『いま、女として』に出てくる話だ。 安企部による捜査発表(1988年1月15日)の数日前のある日。連日、取り調べを受けていた金賢姫は気分転換のために捜査官らと徳寿宮(李朝の王宮)に出かけてそこにある世宗大王の銅像を見る。そして世宗大王がハングルの創始者であるという説明を受けてショックを受けたと書いている。では北韓ではハングルの創始者を「馬鹿温達」(高句麗時代の武将。幼いときは愚か者と人々に馬鹿にされていたが、時の平原王の娘と結ばれ大兄の地位まで出生した人物−編集部注)とでも教えていたとでもいうのか。 金賢姫はこのことのみならず、手記の各所で北韓を蔑む表現を記しているが、ハングルに関す限り北韓は国粋的ともいえるほどハングルを使用している。ハングルの日を、ハングル創世日を基準に1月15日(韓国では10月9日)としているのが違うだけである。おかしな話しはまだまだある。 1988年1月15日以前は金賢姫ではなく「真由美」 彼女ら一行は徳寿宮を見た後、東大門市場に行っている。ところがそこで洋品店のアジュモニ(女性)たちが「あの女は金賢姫では」と騒ぎ出したために急いでそこを抜け出している。次に行ったのは冷麺店が多く有名な中区五壮洞。 食事が出てくるのを待っていた金賢姫は、隣りの席のお客たちが自分のことを話しているのを聞く。 「それはともかく、あのKAL機の金賢姫だが、あいつの顔をよく見たか?」 「見たさ。あの女、男好きの顔をしているな。 ここで注意すべきことは、一般の人々が金賢姫という名前を初めて知り、その顔をはっきりと見たのは1988年1月15日の安企部による捜査発表時であったということだ。それまでは捜査上の極秘事項であった。ところが市場のアジュモニたち、食堂のお客たちがどうして彼女の名前と顔を知っていたというのか。 もはやいうべきこともないほどだ。金賢姫は「偽者」であると、私は考えている。再調査すべきである。 KAL機事件の真相究明は国内問題ではない。統一という次元から見るべきだ。北韓の犯行とされているが、今からでも証拠を探して謝罪させるか、あるいは証拠がなければこちらが謝罪すべきだ。 いまのように曖昧にして置いては、統一は遠のくばかりでなく、金正日国防委員長のソウル訪問も不可能だ。どのような事態が発生するか分からないからだ。再調査すべき−これがKAL機事件に関する疑惑提起を「金正日国防委員長のソウル訪問を実現するための」「軟着陸謀議」と主張する鄭亨根議員の「疑惑提起」に対する私の答えでもある。 (ヒョン ジュンヒ) |
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