30494 返信 自主的思考の放棄と個人崇拝 Re:第3世界主義者の神話 ほかRe:読解力と思考力の不足 Re:БиХ(BiH)その他について Re:「イスラエル」支配地域はすべて「占領地」Re:処刑された死者にも死後の人権はある。 URL 森永和彦 2004/10/31 09:55
残念ながら、にゃ5さんは自主的思考を放棄し、ドグマに固執するだけなので生産的議論が成長しませんでしたね。論争を読みもしないで「Ленин(Lenin)が正しかった」と主張するだけでは何の進歩も見込めません。



> >  アチェの独立運動派は、「イスラーム法の施行」をインドネシア全体に要求しているわけではない。また、チェチェンの独立運動家は「ワッハーブ派の宗教独裁」をロシア全体に要求しているわけでもない。そこにあるのは、被抑圧民族による民族解放の闘いであって、宗教戦争ではないのです。また、抑圧的な宗教勢力の打倒は、アチェやチェチェンの住民によって行なわれるべき性質のものであって、ロシア軍やインドネシア軍などによって行なわれるべきものではないのです。

まず最大の問題は、なぜ「被抑圧民族による民族解放の闘いであって、宗教戦争ではない」といえるのか、また仮に「被抑圧民族による民族解放の闘い」であれば常に支持されるべきなのか否か、という検討がまったくなされていないことです。

何度もいいますが、MarxやEngelsは、オスマン帝国を支持し、オスマン帝国に抑圧された南スラヴ諸民族を決して支持しませんでしたし、チェコ人やクロアチア(Hrvatska)人を「生来の反革命的民族」と呼んで、彼らへの抑圧を支持していました。被抑圧民族であれば支持されるべき、というような主張は、感情に基いたものであっても科学的主張とはいえません。

すでに触れたRoza Luxemburg (Róźa Luksemburg)は、Україна(ウクライナ)の独立について、「Шевченко(シェフチェンコ)の反動的な詩のほかには何の独自の文化もないような民族がまともに独立できるわけがない」と辛辣に批評しました。やはりその通りでした。

「被抑圧民族は常に正しい」などという根拠のない主張は、科学的思考とも史的唯物論とも無縁のものです。

> パソコンの前で観念的なおしゃべりをする日本人左翼って一体誰のことだよ、と笑いが止まらなくなる駄文ですが、特に後半の文章には笑わせてもらいました。チェチェン独立派はワッハーブ派の宗教独裁をロシア全体に求めているわけではなく、チェチェンだけを対象に宗教独裁を求めているからいいのだ、ということであるならば、特定地域の多数派が個人の権利を抑圧する体制を作っても、外部からそれに対して文句をつけたり、反対する少数派を援助することは許されないということになってきます。にゃ何とかによれば、例えばフィリピンのムスリムの権利をどこまで認めるかは「フィリピン人」の決めることであり、ムスリムの権利がほとんど認められないとしても外部から干渉することは許されない、ということになります。また、チェチェン人は同時に「ロシア連邦国民」でもあるわけで、「ロシア連邦」が「われわれのことはわれわれで決めるので、関係ない日本人に口を出してほしくない」といわれたら、返す言葉がなくなります。抑圧的な宗教勢力の打倒に外部勢力が関わるべきでないという主張は、「アムネスティ・インターナショナル」のような連中に真っ先にいってやったほうがいいでしょう。大笑いされると思いますが。


Чеченに関していえば、なぜ「Чечен独立」に同情的な左翼がこれほど多いのか、私には理解できません。おそらく病的な個人崇拝から、Ленин(Lenin)の「民族自決権」論を、まったく状況の異なる今日に機械的に適用する結果でしょうか。Ленин(Lenin)の「民族自決権」論は、当時としてはそれなりに根拠があったものでしょうが、今日の状況に適用できるようなものではありません。

Чечен人が、帝政が倒れてから80年以上経っても、世俗化・近代化に失敗し、ワッハーブ派のムラーの指導下で、近代国家に反乱して宗教国家の建国を目指しているとするならば、それは要するに歴史的生命力を持たない民族であるということを証明しています。いかなる進歩的未来ももたない民族に独立国家を恵んであげても無意味でしょう。ロシヤの勝利による近代化・世俗化以外に希望はないと思います。MarxやEngelsであれば、そう主張したであろうことは疑いの余地がありません。

Acehにしても同じことでしょう。Aceh人はIndonesiaという近代世俗国家に参加する機会を与えられたにも関わらず、近代化・世俗化を拒否し、宗教国家の建設を目指している。こんな「民族」が独立したところでどういう未来があるのか。この地域の天然資源を考えるならば、独立後のAcehは、アラビア湾(ペルシア湾)のいくつかの王国のような、欧米日の石油植民地のようなものになるほかはないでしょう。Acehの人々が、世俗国家Indonesiaの国民として、進歩的未来を切り開く可能性が、長期間にわたって失われてしまうのです。そんなことを許してもいいのだろうか。

さまざまな問題はあるにしても、近代世俗国家であるIndonesiaから離れるという愚かな道を選択してはなりません。Engelsは、スイス(Helvetia)が独立したことを、「視野の狭い愚かな牧童の反乱」であり、その代償として「数世紀に渡って文明から切り離された」と指摘しました。もしAcehが独立すれば、数世紀とはいわないまでも数世代にわたって欧米日の石油植民地として、世界の労働者階級の闘争から切り離されてしまう。まさにクワイトやブルネイ・ダルサラームのように。

> >  バルト三国とウクライナでの抵抗運動とパルチザンはその後も1950年代初めまで活動していました。バルト三国で活動したのは「森の兄弟」と呼ばれるパルチザン軍です。

「森の兄弟」は、ナチスに協力したファシストです。ソ連政府がこれを徹底的に掃討したのは当然です。それとも、ファシストであっても反ソなら支持すべきということでしょうか。

> ソ連がバルト諸国を併合した経緯はにゃ何とかの説明を待つまでもなく有名なことですが、それでは、バルト諸国から志願してドイツ軍、特に武装親衛隊に参加した将兵のことはにゃ何とかにはどのように映っているのでしょうか。ウクライナも同様で、ドイツ軍の指揮下で行動したいわゆる「ウラソフ軍団」や武装親衛隊内部のレット人、エストニア人その他の部隊の運命はよく知られています。にゃ何とかにとっては、これらの人々の行為は、抑圧的なソ連の支配に対する英雄的な抵抗運動なんですか?それともファシストに協力する憎むべき反動ですか?単純な善悪二分論で何でも片付くとおもっているから、いい加減な話が平気で口をついて出てくるのでしょう。

言うまでもなく、「ファシストに協力する憎むべき反動」にほかなりません。Roza Luxemburg (Róźa Luksemburg)が予見したように、「民族自決」という反動的空語のなかから、ドイツの銃剣が這い出してきたのです。(論創社『ロシア革命論』)


> レーニンの都合のいいところだけを引用して何かいったようなつもりになるところは、左翼気取りのにゃ何とからしいふるまいです。レーニンが民族単位の共和国による連邦制を支持したことは事実ですから、そこまではいいでしょう。しかし、そのレーニン自身が民族運動が「反革命」の側に立ったとき、それに対しては容赦ない鉄槌を振るったことは周知の事実(例えばウクライナのラーダ政権)です。また、コミンテルン第二回大会に向けたレーニン「民族・植民地問題に関するテーゼ」(1920)の中で、レーニンは、
> 民族政策は、地主、ブルジョワジーに対する共同の闘争のためのものだとしていること、
> 連邦制は、あらゆる民族の勤労者の完全な統一への過渡的形態であるとしていること、
> 諸民族の同権を保障できるのはソビエト体制だけであり、他の政治形態をとることが各民族独自の権利であるなどという主張はまったく認められていないこと、
> は、おそらくにゃ何とかは聞いたこともないのでしょうね。

上記の通り、「民族自決権」というのは「絵に描いた餅」以外のものではありませんでした。

ソ連憲法において、各共和国は連邦を離脱する権利があるとなっていましたが、各共和国の政府はソ連共産党が握っているのですから、この「権利」を行使することなどできようがなかったし、またグルジア(Sakartvelo)の場合のように、反ソ的政権が成立した場合は赤軍が潰したのです。Бухарин(ブハーリン)を始め左派は、民族自決などは「絵に描いた餅」にすぎず、混乱をまきちらすだけだから廃止すべきだと主張しましたが、Ленин(Lenin)らは「絵に描いた餅」であっても被抑圧民族の反ロシヤ的感情を静めるためには意義があると考えてこれを維持しました。結局、後の歴史はБухарин(ブハーリン)が正しかったことを証明したと思います。


> スターリンとレーニンの民族問題に関する相違は単純な民族共和国創設の可否などではないことは明らかです。にゃ何とかはレーニンがバスマチ運動をどう扱ったか、スルタン・ガリエフがどのような運命を辿ったのか、何も知らないようですが、せめて森永さん程度には勉強してから「反論」するべきじゃないですか?