31437 | 返信 | トラヴェルソ「アウシュヴィッツと知識人」 | URL | 前田 朗 | 2004/12/15 17:29 | |
エンツォ・トラヴェルソ(宇京頼三訳)『アウシュヴィッツと知識人−−歴史の断絶を考える』(岩波書店、2002年) 以前の出版ですが、見落としていて、最近ようやく読みました。 カバーには次のように要約されています。 <アウシュヴィッツに象徴される人種絶滅政策ーー戦中戦後の知識人は、この人類史に類をみない隠された現実をどのように認識し、どのような行動をとったか。ユダヤ人虐殺に関してなされた、ポリーモ・レーヴィ/ハンナ・アーレント/アドルノ/パウル・ツェラン/サルトルをはじめとする同時代知識人たちによる考察を再構成することを通して、歴史の深い断裂をみつめその意味を必死で理解しようと苦闘した知識人の姿を浮かび上がらせる。従来の解釈を批判的に総括し、ホロコーストが特異な出来事であると同時に、人類全体にかかわる「普遍的な」出来事であったことを論じる。人間とは何か、知識(人)とは何か、思想(家)とは何かを考えさせる労作。> 序章 第一章 「火災報知機」−−アウシュヴィッツに対する知識人の類型学 第二章 アウシュヴィッツ「以前」−−カフカからベンヤミンまで 第三章 「地獄のイメージ」−−ハンナ・アーレント 第四章 アウシュヴィッツとヒロシマ−−ギュンター・アンダース 第五章 アドルノの定言的命法 第六章 パウル・ツェランと破壊の詩 第七章 アウシュヴィッツにおける知識人−−ジャン・アメリーとプリーモ・レーヴィ 第八章 知識人の責任−−ドワイト・マクドナルドとジャン=ポール・サルトル 結論−−合理性と野蛮 地獄のイメージ/ベルトコンベヤー/物化された死/アウシュヴィッツと近代性 著者は1957年、イタリア生まれ。ジェノヴァ大学で現代史。1989年、フランス社会科学高等研究院で博士号。パリ第16学国際現代文献資料館研究員、パリ第八大学講師を経て、現在ジュール・ヴェルヌ大学助教授。著書に『マルクス主義とユダヤ人』『ユダヤ人とドイツ』『ジークフリート・クラッカウア』『近代の野蛮批判として』『全体主義−−論争の二十世紀』など。 本書のドイツ語版タイトルは「アウシュヴィッツを思考する」だそうです。これは2つの意味を重ね合わせています。第1に、ベンヤミンからサルトルに至る同時代の知識人がアウシュヴィッツをどのように認識し、どのように論じていたかという意味で明日。第2に、そうした知識人たちの思想的挑戦を、トラヴェルソがどのように批判的に解読したかです。ついでに言えば、その両者を踏まえて、読者はアウシュヴィッツをどのように観念し、戦争と「テロ」の時代に本書を読み替えていくのかが<「アウシュヴィッツを思考する」を思考する>ことになります。 私自身の関心は、本書の最初のほうに登場するアウシュヴィッツ「以前」のベンヤミンと、最後に登場するサルトルについて、著者がどのような分析をしているかでした。 ベンヤミンがクレーの「新しい天使」に触発され、現代史を「新しい天使」の寓意で語り、雑誌「新しい天使」を目指したこと、ベンヤミンの破局の観念もクレーに由来することはよく知られたとおりです。日本でもベンヤミンについては随分と語られてきましたし、近年では、先日亡くなったジャック・デリダを通じての改めてのベンヤミン論が続けられてきました。クレーの天使たちの多くは、ベルン美術館に所蔵されていますから、私はベルンに行くたびに美術館に通ってきました。4度になります。また、2002年にはルツェルンの新しいローゼンバーグ美術館でもクレーの作品群を眺めてきたところです。クレーは1920年代に「バウハウス」の教師をしていました。私の勤務先は「日本のバウハウス」を目標に掲げた学校ですので、いささか関心があったこともあり、クレーはずいぶん生で見ています。 (現在、ベルン市郊外に<パウル・クレー・センター>が建設中で、予定通り行けば来年秋には、各地のクレーの天使たちをできるかぎりセンターに集めることになっています。そして、センターは美術館だけではなく、学生やアーティストたちのための学習・教育・研究・実作のスペースになるはずです。) スペイン国境を密かに越えようとしたが失敗したベンヤミンは、1940年9月26日、ポル・ボウで自殺しましたから、「最終解決」を見ることはありませんでした。しかし、デリダをはじめとして、ベンヤミンが最終解決を予告していたという解釈が試みられてきました。そうした解釈の正当性を「ドイツ悲劇の根源」から「暴力批判論」を経て「歴史哲学テーゼ」に至る精神の軌跡に確認しようとする試みもありますが、著者はそれには疑問を呈した上で、「彼の歴史理論は、その断章的・箴言的な思想的性格を越えた、首尾一貫性を”破局を思考する”試みに見出しているが、この破局とは、歴史の流れを終わらせるのと同時に、近代性に内在するあらゆる破壊的な潜在力を顕現させる、決定的かつ修復不能な破局である」としています。著者はベンヤミンが最終解決や第2次大戦の破局をある意味では洞察していたことを認めますが、その意味にこだわります。 「ベンヤミンはこの光景を、一種の近代版黙示録として、大穴のあいた山々、爆弾の破片、破壊された都市、死体の群れに満ちた、ダンテの「地獄篇」の科学技術的再創造として描いた。確かに、第二次世界大戦は全くその通りだったが、しかし彼は、古い世界秩序が粉々に砕け散った、あの裂け目の内部で新しい「恐怖の秩序」が生まれていることは予見できなかった−−この新秩序とは、死が武器ではなく、「生産構造」の最終結果によってもたらされる、黙して語らぬ、工業化された虐殺という絶滅の秩序である。ガス室は弁証法的想像力の限界を超えていたのである。」 しかし他方で、著者は、同時代人の最後の大物としてサルトルを召喚し、「状況が見えない知識人」の限界を探ろうとしています。 「サルトルが反ユダヤ主義者の心理と精神構造を理解する際に示した分析的洞察力は深いが、絶滅という”事実”に対する全くの無関心さも深い。彼は、通りすがりに、それもどこか遠い国の出来事であるかのように、ヒトラーとポーランドの収容所のガス室に言及している。」 著者にとって、アウシュヴィッツは文明以前への逆戻りではなく、文明の帰結です。それも近代西欧工業文明の一つの現象であり、啓蒙から断絶した現代の道具的合理性の発露にほかなりません。従って、問題は普遍的であり、再現しうる、私たちの具体的な現在の課題となります。そうした問題意識に立ちながら、著者は本書では、その後の知識人を取り上げてはいません。戦後西欧世界を生きた知識人たちが、後に形成されたアウシュヴィッツ像−−「夜と霧」や「アンネの日記」や歴史学が徐々に解明していった最終解決の様相に関する知識−−をもとに、どのように認識し、議論したのか。さらには「ドイツ歴史家論争」をはじめとする思想の闘いをどのように見るのか。著者は本書では、そうした作業を行なっていませんが、ベンヤミンからサルトルまでを分析する過程の論述においてそうした問題意識を十分に織り込んでいるものと思われます。 なお、著者の、ベルトコンベヤーに至る経過認識、ソ連に対する電撃戦の歴史的意味についての認識は、現在の日本ではよりいっそう深い歴史分析を読むことができます。 永岑三千輝『ホロコーストの力学−−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法』(青木書店、2003年)。 |
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