31930 | 返信 | ノンポリさん、嘘はいけないよ 鞭系編 | URL | ミサキ | 2005/01/07 14:33 | |
> 以下は少々大げさな描写ですが、大筋は外していないでしょう。 > > > 日本人が始めた罪人を訊問する時に用いた刑具の刑板と鞭は、朝鮮王朝が自国民を治めるために備えた古代的な笞刑とは、その性格と内容を全く異にしていた。日本人の刑板は、腹這いになって陰部が届く所に穴をあけ、両腕を十字板にくくりつけて脚と腰を刑板にくくりつけて脚と腰を刑板に縛りつけた。彼らが使う牛の陰茎は鞭の先に鉛をつけてあり、露出した尻をこれで叩けば鉛が肉の中に食い込み、肉片がはがれて血まみれになった。鞭は初め80発が普通だったが、途中で気絶すれば息を吹き返させ、3日後に再び呼び出して更に叩いた。一度叩かれた日には絶対に歩くことができず、人に背負われて出てきた。死んだ場合は、死体はその夜のうちに行方不明になった。こういった鞭を最も多く受けたのは、新作路の賦役に駆り出された関係者だった。 > (「韓国現代史」 宋建鎬 東学者グループ訳 風濤社 p40) いやあの・・・思いっきりでたらめなんですが。 このような事を主張できる学者はいないでしょうねぇ。 岩波新書 日本統治下の朝鮮 山辺 健太郎 著 21ページからは鞭刑を引用しましょう。 受刑者を刑板に縛り付け、 受刑者の号泣が外に聞こえないように、 口に湿った布をあて 臀部を露出して尻を打つという、 すこぶる残虐な刑罰であった。 ううっ、こわいぜ、ブルル。 実際、鞭刑は、残虐な刑罰です。 ただし、 80発が普通・・・嘘でーす。 鉛が肉の中に食い込み、肉片がはがれて、血まみれになった。・・・大嘘でーす。 途中で気絶すれば息を吹き返させ、3日後に再び呼び出して更に叩いた。・・・大嘘でーす。 一度叩かれた日には絶対に歩くことができず、人に背負われて出てきた。・・・大嘘でーす 死んだ場合は、死体はその夜のうちに行方不明になった。・・・死んだ人はいませーん。 さて、岩波新書 日本統治下の朝鮮に戻ります。 例えば綿花の栽培をやらせる時に 「郡庁に郡守を尋ねて御願い致し、栽培者を物色して呼び出し、 必ず綿花を栽培するように厳重に申し渡してもらったのです。 ところが、綿花を植えようとしない。 そこで、郡守は、これに鞭刑を命じ、 始めは軽く打たせておりましたが、依然として承諾しないので、 だんだんと強く打たせ20回臀部を打たせ、 大局部が赤く腫れ上がった頃になりますと、 いよいよ兜を脱いで綿花を植える事を強制しました。 欧米の植民地なら即座に命令し、 口ごたえはおろか、質問しただけでもその場で鞭が飛びます。 いや、言われた通りに働いていたって、もっとキビキビ動けなどといって鞭をふるわれます。 日本は、話、説明して、こういう風にやってほしい、と、お願いする訳です。 植民地支配の中で 話、説明して、お願いする、こんな支配者は、日本だけですね。 また、その鞭の傷も、 大局部が赤く腫れ上がった頃・・・よーするに尻が赤く腫れ上がる程度でした。 ノンポリさんは、 こういった鞭を最も多く受けたのは、新作路の賦役に駆り出された関係者だった。 と、書いていますが、これは大嘘です。 日本ではもっと、働け!などといって鞭がふるわれた事は一度もないのです。 |
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