32477 返信 無防備地区宣言とは何か URL 前田 朗 2005/01/26 14:52
これまで無防備地区宣言運動について、いくつか書いてきました。

1)「無防備地区(地域)宣言とは何か」『法と民主主義』394号(日本民主法律家協会、2004年12月)

2)「平和運動の新しい風 無防備地区宣言運動」『救援』429号(救援連絡センター、2005年1月)

3)「地域から平和をつくる無防備地域(地区)宣言運動を広げよう」『青年法律家』2005年1月25日号(青年法律家協会)

4)「無防備地域宣言とは何か」『世界』736号(岩波書店、2005年2月)

実際に書いた順番は、3−2−4−1なのですが、掲載号との関係で公刊されたのは1−4−2−3の順になりました。2,3,4はいずれもごく短いもので、まとまった文章は1です。

以下に1を全文紹介します。

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法と民主主義394号(2004年12月)

無防備地区(地域)宣言とは何か
   --憲法九条を守る運動ではなく、憲法九条を実現する運動を

前田 朗

一 広がり始めた住民運動
  ――大阪市民の挑戦

 二〇〇四年、各地で「無防備地区(地域)宣言条例」を求める住民運動が立ち上がり、徐々に広がり始めた。

 「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」のウエッブサイト(1)には、大阪府大阪市、枚方市、高槻市、東京都荒川区、国立市、神奈川県藤沢市、兵庫県西宮市、滋賀県大津市等の取り組みが掲載されている(一二月一三日現在)。東京都板橋区、鹿児島市、奈良市などでも準備活動が始まっているという。

 最初に走り出したのは大阪市民であった。

 「無防備地域宣言」。二〇〇四年春のことだ。当時はほとんど誰も知らなかったこの言葉をでかでかとチラシに書き、ポスターを貼りまくり、ハチマキを巻き、幟を立て、大阪の繁華街や市内各所に陣取り、条例制定要求の署名活動を始めたのだ。

 住民が地方自治体に条例制定を求めるには、住民の五〇分の一の署名を得なければならない。 「無防備地域宣言をめざす大阪市民の会」は、ジュネーヴ諸条約第一追加議定書の学習会を重ね、国際法を市民が活用するための工夫を凝らし、有事法制・国民保護法に対置する市民の安全宣言をめざして走り始めた(2)。

 無防備地区(地域)宣言条例づくりというほとんど前例のない運動(一九八五年に奈良市[*訂正――天理市の誤り]、一九八八年に小平市で取り組まれたという)を、大阪のような大都市で実現できるのか。無防備地域宣言を訴えて、果たして署名が集まるのか。期限は四月二四日から一ヶ月、目標は法定数の四万二〇〇〇。実は筆者は「もっと小さな都市で始めて実績を作ってから、大阪で挑戦したほうがいい」などと考えていたが、大阪市民は見事に目標を大きく上回る六万一〇四七人の署名を集め(3)、無防備地域宣言を盛り込んだ平和条例案を大阪市に提出して、条例制定の直接請求にこぎつけた。

「大阪市非核・無防備平和都市条例(案)」第一条は、「戦争と武力を永久に放棄するとした日本国憲法の平和主義の理念、国是である非核三原則」を掲げ、「市民の平和と安全を保障することを目的とする」としている。同第二条は平和的生存権を確認している。同第三条第一項は「大阪市は、戦争に協力する事務を行わない」とし、同第五条第一項は「戦争の危機に際しては・・・・無防備地域宣言を行い、その旨を日本国政府および当事国に通告する」とし、第二項は平時において無防備地域の条件を満たすよう努力することとしている。さらに、同第六条は平和事業の推進、第七条は平和予算の計上を定めている。

これに対して大阪市長は「自治体の権限を超える」という意見書を出し、大阪市議会は条例案を否決してしまった。「自治体は無防備宣言できない」という日本政府見解を鵜呑みにした拙速な判断である。 

大阪市民の会は、大阪市の無防備地域の解釈自体が誤っている、自治体しか宣言できないという解釈も赤十字国際委員会の解釈に反している、ジュネーヴ諸条約は単に戦争のルールではなく国際人道法である、と批判している。

二〇〇四年八月二七日、今度は枚方市民が走り始めた。「枚方非核・平和・戦争非協力(無防備)都市条例を実現する会」が、法定数の三倍を上回る二〇五〇六の署名を集め、条例案を市議会に提出した(4)。こうして無防備地区宣言を求める運動が各地に波及していくことになった。


二 軍隊のない地区
  ――ジュネーヴ諸条約第一追加議定書

 それでは、無防備地区(地域)宣言とは何か。

 日本政府が今年第一五九国会において「ジュネーヴ諸条約第一追加議定書(以下、第一追加議定書)」を批准した。第一追加議定書第五九条第一項は「無防備地区を攻撃することは、手段のいかんを問わず、禁止する」としている(これまで「無防備地域」と訳されてきたが、公定訳は「無防備地区」なので、以下これを用いる)。

 無防備地区の定義は第二項に規定されている。同条第二項は「紛争当事者の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地区であって敵対する紛争当事者による占領に対して開放されているものを、無防備地区と宣言することができる」として、次の四つの要件を列挙している。

a すべての戦闘員が撤退しており並びにすべての移動可能な兵器及び軍用設備が撤去されていること。
b 固定された軍事施設の敵対的な使用が行なわれないこと。
c 当局又は住民により敵対行為が行なわれないこと。
d 軍事行動を支援する活動が行われないこと。

 軍隊や軍事施設の存在と活動が問題となるが、同条第三項は、この地区にジュネーヴ諸条約で保護される者や警察が存在することは条件違反ではないとしている。戦闘行為のためではなく、もっぱら治安維持のために存在する警察との区別である。

 同条第四項は宣言の手続きを定め、紛争当事者の適当な当局が、「敵対する紛争当事者に対して」申し入れることとし、無防備地区の境界をできるかぎり特定することとしている。宣言通告を受けた紛争当事者は受領したことを知らせ、条件が守られているかぎり無防備地区として扱わなければならない。つまり、攻撃してはならないのである。

 無防備地区とは「軍隊のない地区」である。

国際法は、軍事目標主義を明示している。武力紛争において軍隊が攻撃するのは、敵の軍隊であり、軍事施設である。軍事的合理性の観点に立てば、武力紛争においては敵軍の戦闘能力を効率的に奪うことが最大目標である。それ以外のものを攻撃するのは時間の無駄であり、弾薬の無駄である。人道法の観点に立てば、軍事目標以外のものを攻撃すること、つまり民間人や民用施設を攻撃することは人道違反であり、許されない。軍隊のない地区を攻撃する理由はまったくなく、許されない行為である。

かつてスイスの平和運動が「軍隊のないスイス」を掲げて国民投票に挑戦したことがある。残念ながら実現しなかったが、平和運動の新しい形態を追及したものだ(5)。同様に、軍隊のない地区、戦争協力しない地区をつくりだすこと、それが無防備地区宣言運動の課題である。

三 無防備地区攻撃は戦争犯罪

 無防備地区を攻撃することは許されない。もし攻撃すればそれは戦争犯罪となる。

国際刑事裁判所(ICC)規程第八条第二項b(v)は「手段のいかんを問わず、無防備で、かつ、軍事目標となっていない都市、村落、居住地または建物に対する攻撃または爆撃」を戦争犯罪としている(6)。

 これは歴史的には一九〇七年のハーグ陸戦法規慣例規則第二五条の「防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス」に遡る。訳文の日本語表記方法が異なるが、英文は一箇所「軍事目標となっていない」を除くと、同じ表現である。

ハーグ規則第二五条について、ジャン・ピクテは「これは、住民が敵対行為を行なわないために発砲なしにその地域を占領できる場合は、不必要な危険と破壊から住民を守らねばならないというものである。長い間、軍事的性質をもたない都市を、開放都市と宣言することは慣習となってきた」として、「代表的な戦争法の中核」であると位置づけている(7)。

 旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷規程第三条は「手段のいかんを問わず、無防備の都市、村落、居住地または建物に対する攻撃または爆撃」を「戦争法規慣例違反」の戦争犯罪としている。「軍事目標となっていない」という部分がない点でICC規程第八条第二項b(v)と異なるが、その他は同じ表現である。

 無防備地区の解釈例としては、下田事件東京地裁判決が知られる(8)。広島原爆投下の違法性を提起した訴訟で、東京地裁は、例えば、次のように判示している。

 「防守都市・防守地域に対しては無差別爆撃が許されているが、無防守都市・無防守地域においては戦闘員及び軍事施設(軍事目標)に対してのみ砲撃が許され、非戦闘員及び非軍事施設(非軍事目標)に対する砲撃は許されず、これに反すれば当然違法な戦闘行為となる」、「防守都市とは地上兵力による占領の企図に対し抵抗しつつある都市をいうのであって、単に防衛施設や軍隊が存在しても、戦場から遠く離れ、敵の占領の危険が迫っていない都市は、これを無差別に砲撃しなければならない軍事的必要はないから、防守都市ということはできず、この場合は軍事目標に対する砲爆撃が許されるにすぎない。これに反して、敵の占領の企図に対して抵抗する都市に対しては、軍事目標と非軍事目標とを区別する攻撃では、軍事上効果が少なく、所期の目的を達することができないから、軍事上の必要上無差別砲撃が認められているのである。このように、無防守都市に対しては無差別爆撃は許されず、ただ軍事目標の爆撃しか許されないのが従来一般に認められた空襲に関する国際法上の原則である」。

 第一に、下田判決は、無防守都市(無防備地区)への攻撃は許されないことを確認している。この点は当然のことであり、本判決は日本の法学界においては大変有名で、しかも大変評価の高い判決で、多くの判例評釈が出ている。しかも、国際法の重要判例として海外にも紹介されている。

 第二に しかし、本判決は防守都市への無差別爆撃は許されているとする。これはハーグ条約以後の国際法の流れに沿わない議論である。ハーグ条約や第一追加議定書は、無防備地区以外であっても、民間人・民用施設への攻撃を否定している。無防備地区以外なら無差別爆撃が許されているという東京地裁判決には、疑問がある。

 ICC規程の解釈について、ウィリアム・フェンリクは、「無防備」には技術的な意味も含まれ、「合法的な軍事目標」概念に左右されることを指摘している。駐屯地、分離隊駐屯地、敵軍の占領地や通過地を意味する。医療部隊だけが占領している場合、無防備地区とはならないとする(9)。

クヌート・デルマンは、ICC規程八条二項b(v)の戦争犯罪(無防備な都市村落等への攻撃)の例として無防備地区を掲げている(10)。デルマンは、無防備地区の要件を完全に満たしていない場合は、無防備地区としての保護を得られないが、その場合であっても、攻撃することはICC規程第八条第二項b(i)(ii)(iv)といった戦争犯罪となることがあると指摘している。

ミヒャエル・ボーテも、第一追加議定書第八五条第三項dが「無防備地区及び非武装地帯を攻撃の対象とすること」を「この議定書に対する重大な違反行為とする」と規定していることを確認した上で、ICC規程の起草者は無防備地区を第一追加議定書よりも広い範囲に変更することは考えていなかったとする。つまり同じ範囲である。また、無防備地区宣言が行なわれたことが戦争犯罪成立要件であるのか否を検討して、形式的見地からは宣言がなされたことは必要ないとする。宣言がなされていなくても無防備の場所を攻撃すれば戦争犯罪だからである。ハーグ規則等は宣言を要件とはしていなかった(11)。

また、デルマンは『米軍マニュアル』を引用している(12)。

 「ハーグ規則第二五条における無防備な場所は、敵軍が接触している地帯の付近又はその中にある居住地区であって敵対当事者による抵抗がなく占領に対して開放されているものである。無防備と理解されるためには、次の条件が満たされていなければならない(四要件が引用されているが、省略する)。」

 デルマンは『英軍マニュアル』も引用している(13)。

 「無防備の町または開放された町とは、敵が戦闘や死傷者を出さずに、その内外に出入りし、場所を確保できる完全に無防備の町である。」

このように米軍も英軍もマニュアルに無防備地区の説明を入れてきたのである。

四 憲法九条と無防備地区

  ジュネーヴ諸条約第一追加議定書とICC規程を活用して、日本の市民が無防備地区宣言運動を始めたが、これまで世界に無防備地区宣言を行なった例はないと言われている(14)。

 しかし、軍隊のない地区宣言は、もともと日本国憲法第九条に明示されていることである。憲法第九条は「軍隊のない国家」を宣言しているから、無防備国家宣言ということになる。無防備国家のはずの日本の政府が、憲法に違反して自衛隊を創設し、膨大な軍事予算をつぎ込み、挙句の果てに海外派兵を強行している。その日本政府が「自治体は無防備地区宣言をできない」などと主張しているが、疑問である。

 第一追加議定書五九条は、手続きの主体を「紛争当事者の適当な当局」としているが、この「当局」は英文では複数形である(appropriate authorities of a Party)。つまり、日本政府以外の主体
を含むことが想定されている。国家意思が分裂していることを想定はできないから、政府の一部局が勝手に宣言はできない。むしろ、地方自治体がこれに当たることになる。外交問題は政府の専権事項だとしても、地域住民の平和と安全と人権を守るのは地方自治体の責任であり権限である。平和憲法のもとでは平和行政こそ追及するべきである。憲法の理念を実現し、しかも憲法に従って条約を誠実に遵守すればいいのである(15)。

 日本政府は、「適当な当局」に自治体が含まれる可能性を全面否定しているわけではないようだが、有事法制が制定されている以上、これに抵触する無防備地区条例を自治体が制定することはできないとしている。

 しかし、有事法制は憲法に違反している。憲法九条に照らして容認されない(憲法九八条第一項)。また、「締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」(憲法九八条第二項)のであるから、国家の最高法規である憲法の第九条と、日本政府が締結した第一追加議定書五九条に従うのが当然である。無防備国家宣言をしている憲法の理念に即して第一追加議定書五九条の国内法化を進めるべきである。

 日本政府は、防衛・外交が政府の専権事項であることを前提として、武力攻撃を排撃するのは国全体の立場に立って判断するべきで、自治体が全体に影響を及ぼすような判断をするのは適切ではないとする。

 しかし、そもそも防衛が政府の専権事項であるという主張には憲法上の根拠がない。

仮に防衛が政府の専権事項であるとしても、防衛の方法は憲法九条に合致した方法でなければならないのに、日本政府は憲法違反の既成事実を積み重ねてきた。

 次に、一般的な外交権はたしかに政府にあるが、だからと言って自治体による平和行政を否定することにはならない。地域住民の安全と生活に責任を有する自治体が、そのための施策として平和行政を行なうのは当然の責務である。日本国憲法と地方自治法のもとでは、法令解釈権は自治体にあると考えられる。ここには国際法、憲法、地方自治法の三者の重なりあいと矛盾があり、加えて国民保護法の制定によって事態が複雑化されているように見える。

 しかし、憲法九条の理念と、第一追加議定書の思想と、無防備地区条例との間には、何ら矛盾がない。矛盾しているのは憲法違反の日本政府だけである。

五 国民を保護しない政府

 第一追加議定書五九条を根拠に無防備地区宣言に取り組むのは、憲法九条の理念を地域で復権させることである。せっかく憲法九条がありながら、政府がそれを守らず、形骸化・空洞化の一途をたどってきた上、ついには有事法制において国民無視の「国民保護法」を制定した現在、日本社会の中でも憲法九条の理念が忘却されつつある。既成事実に押し流され、仕方がないと諦め、憲法改悪の流れに乗せられそうな日本社会に、自らの頭で平和について考えなおすことを求めることが必要である。

 そこで次に検討の素材とするべきは国民保護法ということになる。

 日本政府は、自衛隊海外派兵を進めるとともに、国内における総力戦体制を構築するために、「武力攻撃事態」などの「危機」をあおりながら軍事優先・戦争協力の社会風潮をつくってきた。その総仕上げが有事法制であり、社会との関係では国民保護法である。

 それでは国民保護法は「国民を守る」のだろうか。実はそうではないことがすでに憲法学者によって指摘されてきた(16)。
 国民保護法のもとでの政府と自治体の関係は、総務庁および消防庁を介在して編成される。現実には消防庁の提供する情報に基づいて自治体が各種の取り組みをすることになる。そして、国民保護法は、都道府県知事や市町村長に対して、国民保護のための訓練・物資の備蓄・体制整備などを網羅した「国民保護計画」を策定することを義務付けている。「国民保護計画」のモデルケースとして知られるのは、ミサイル攻撃やテロ攻撃への対処を想定したものである。

 しかし、実際には住民の保護など実現できない。消防庁と自治体とが緊密に連絡体制をとって、できうる限りの努力を行なったとしても、日本のような人口密集地で住民が避難することはできない。仮にミサイル攻撃が予測されるとして、いったい誰がどのように情報収集して、避難方法と避難場所を判断し、住民を誘導して避難させるのか。少しでも考えれば、非現実的な話であることがわかる。

 一九九五年の阪神淡路大震災や二〇〇四年の中越大震災の現実を見れば明らかなように、この国では地震や火山噴火などの「災害」時に、住民が被災現場で耐え忍び、懸命に生きぬくしかないのである。政府や自治体ができる限りの努力を行なったとしても、現実の災害救助は遅れに遅れて登場するしかない。

 武力攻撃事態等となれば、いっそう矛盾が露呈する。なぜなら、「災害」時には自衛隊も住民救出に役割を果たしてきたが、武力攻撃事態等において自衛隊は住民保護を行なわないからである。自衛隊は防衛出動と称して軍事行動に専念してしまうからである。自衛隊の協力を得られない状態での、しかも緊急非常事態において、自治体がいかにして住民保護を行なうことができるだろうか。まして、軍事行動を優先させる自衛隊にとって、住民避難活動は阻害要因とみなしかねない。

 「国民を保護する」ことを考えるならば、日本政府はまず何よりも「武力攻撃事態等」を発生させないように日ごろから徹底して平和外交を展開するべきである。ところが、日本政府は、日米安保条約を締結してアメリカの核の傘に入り、アジアに敵対してきた上、朝鮮半島や中国での緊張を高める帰結をもたらしてきた。自衛隊イラク派兵によって、日本はアメリカ軍事戦略に加担し、アジア敵視政策をいっそう露骨に取り始め、危険な「武力攻撃事態ゲーム」をもてあそぶ姿勢である。


  六 運動を飛躍させるために

 国民保護法は、その名称とは裏腹に、戦時動員法であって、国民を保護しない。それどころか、戦争協力しない国民を排除し、異端視する。まして「国民」ではない住民を抑圧する。

 平和と安全を求める地域住民は、国民保護という上からの統制に踊らされるのではなく、自らの力で平和と安全をつくり出すために、平和の文化を鍛えなければならない。地域の平和を守るためには、紛争を予防し、起させないための平和行政を推進し、地域発の平和住民外交を展開していくべきである。軍隊で平和を築くことはできない。軍隊のない地区をつくり、軍隊のない世界を目指しながら、非暴力による平和づくりのネットワークを作り上げる必要がある。

大阪市民の会は、市議会で否決されたものの、条例制定運動により市民が市議会を動かしたとして次のように総括している。第一に、平和条例案の一点を議案にして臨時市議会を開催させたこと。第二に、本会議で条例制定請求代表者が二五分にわたる意見陳述を行った。第三に、四時間に及ぶ委員会審議を行わせた(大阪市議会では異例の長時間)。

こうした自覚的な運動を基礎に、憲法の理念を再獲得していくことが必要である。無防備地区宣言運動は、市民が国際法を活用して、憲法九条の理念と地方自治の本旨を実現するために取り組むという点に重要な意義がある。

 現在、奈良、大津、西宮でもウオーミングアップ中である。関東でも、国立、荒川、板橋、藤沢などで声が上がり、手が上がっている。荒川区では、二〇〇五年一月一四日に署名集めをスタートさせる予定である。

 無防備地区宣言運動を各地に広め、憲法前文の平和的生存権と憲法九条の戦争放棄・平和主義を地域に定着させ、憲法改悪反対運動へつなげていくことが必要だ。「憲法九条を守れ」と主張することは重要だが、「守れ」といい続けてきて守れなかった歴史を考えるならば、「守れ」というのと同時に「守らせる政策提言」をしていく必要がある。

 無防備地区宣言運動は市民主体の地域の平和運動だ。しかし、条例制定運動であるから、条例案の作成、市議会へのアクセスなど法律家にも役割がある。日本政府見解の誤りを追及し、市議会に条例を制定させるために、一人でも多くの法律家が運動に加わることを期待したい。



(1)

(2)

(3) 「無防備地域宣言の条例化−−地方から広がる非戦運動」神戸新聞二〇〇四年八月二〇日。澤野義一「広がる無防備地域宣言運動」法と民主主義三九〇号(二〇〇四年七月)。

(4)

(5) 伊藤成彦『軍隊のない世界へ』、同『軍隊で平和は築けるか』(いずれも社会評論社)。

(6) 国際刑事裁判所規程第八条第二項bは、民間人や民用施設等に対する攻撃を戦争犯罪としている。「(i)一般住民または敵対行為に直接参加していない民間の個人に対する意図して攻撃を加えること、(ii)民用物すなわち軍事目標ではない目的物に対して意図して攻撃を加えること、(iii)国際連合憲章に則り人道的援助または平和維持活動に関与する人員、施設、物資、部隊または車輌であって、武力紛争に関する国際法において文民または民用物に対して与えられる保護に値するものに対して意図して攻撃を加えること、(iv)攻撃が、予期された具体的かつ直接的な軍事的利便に照らして明らかに過剰となる、民間人の生命の損失もしくは負傷または民用物への損害もしくは自然環境に対する長期的重大な損害を付随的に含むことを知りながら、意図して攻撃を加えること」。

(7) ジャン・ピクテ『国際人道法の発展と諸原則』(日本赤十字社、二〇〇〇年)。戦前日本におけるハーグ条約の理解については、前田朗『民衆法廷の思想』(現代人文社、二〇〇三年)第四章参照。

(8)  東京地裁判決一九六三年一二月七日(下民集一四巻一二号二四三五頁、判時三五五号、判タ一五五号)。本判決は原爆投下の違法性を指摘した点で高く評価されているが、「無防守都市」への無差別都市爆撃が許されていると述べている点は疑問である。なお、樋口一彦は「五九条で規定される無防備地域及び六〇条で規定される非武装地帯は、この無防守都市とは全く別の制度である」と述べている(樋口一彦「原爆投下の違法性」国際法判例百選・ジュリストNo.156)が、根拠を示していない。後掲註(10)のデルマンは同じ制度と見ている。

(9)  William J. Fenrick, War Crimes, in: Otto Triffterer (ed.), Commentary on the Rome Statute of the Internatinal Criminal Court. Observes' notes, Article by Article, Nomos Verlagsgesellschaft, 1999, p.197-198.

(10) Knut Doermann, Elements of War Crimes under the Rome Statute of the International Criminal Court, ICRC, Cambtidge,2002, p.179-182.

(11) Michael Bothe, War Crimes, in: Antonio Cassese, Paola Gaeta & John Jones (ed.), The Rome Statute of the International Criminal Court: A Commentary, Volume 1, Oxford, 2002, p.401.

(12) Doermann, p.182. デルマンからの再引用である。その出典は以下であるという。US Department of the Army, Field Manual, FM 27-10, The Law of Land Warfare(1956), No.39, as amended on 15 July 1976.

(13) Doermann, p.183. これもデルマンからの再引用である。The Law of War on Land being Part III of the Manual of Military Law (HMSO,1958),p.97.

(14) 「世界にない戦争非協力のまち 高い壁でも市民は模索」朝日新聞二〇〇四年一一月二〇日。二〇〇四年六月三日に赤十字国際委員会本部(ジュネーヴ)を訪れて取材した矢野秀喜さん(無防備地域宣言運動全国ネットワーク)によると、同委員会法規部の担当者は無防備地域の具体例について情報を持っていなかったという。

(15) 澤野「広がる無防備地域宣言運動」前掲。

(16) たとえば、岡本篤尚「国民『保護』という幻想」世界七二四号(二〇〇四年)、水島朝穂「『国民保護』法制をどう考えるか」法律時報七六巻五号(二〇〇四年)、本多滝夫「『有事法制』と『国民保護法案』」法律時報七六巻七号(二〇〇四年)。なお、斉藤貴男「『自警団』か『無防備都市』か」法学セミナー五九九号(二〇〇四年)。さらに、藤中寛之「自治体による『無防備地域』宣言の意義と課題――『国民保護法制』における沖縄戦の教訓の制度化とジュネーヴ諸条約追加第一議定書第五九条」沖縄大学地域研究所所報三〇号(二〇〇三年)は、「反戦思想」だけでなく、軍事的合理性もあわせて考慮した自治体による無防備地区宣言の検討を追及している。