32661 | 返信 | 「正統の假名遣ひ」の幻想 #1/3 | URL | 渡辺 | 2005/02/02 10:55 | |
「正統の假名遣ひ」の幻想1 別掲示板にかつて投稿したものを、一部手直ししてこちらに掲載します。 なお、この投稿は、在話題となっている議論とは、独立した内容です。 -- 最初の問い(命題) -- また今私が使用してゐる假名遣ひは歴史的假名遣ひと云ひますが、これは日本の傳統の中で生まれた正統の假名遣ひです。それを變へてしまつた。このことで文語との聯關は斷ち切られ、過去の文章を讀みづらくさせ、先祖との精神的な聯關を斷ち切られたのです。 -- -- わたしは戦前の資料をたくさん読んでいますが、かな使いでこまったことはありません。そんなものは誰でもすぐ読めるようになるのです。 繁体字もほとんど辞書を引く必要はありません。それよりも、現在ではほとんど使わない「奠都」というような語に困ります。ただし、これは戦前に教育を受けた人でも読めるとは限りません。 戦前は、教育の機会が均等ではないので、教育の機会に恵まれなかった人の国語力は現在よりもはるかに低いものです。 これは、兵士の陣中日誌をたくさん読んで気がついたことです。兵士の陣中日誌に誤字脱字や貧弱な文章力はめずらしくありません。一方インテリの書いたものでは、国語力はもちろん分析力もすぐれた日記があります。 ところで、「正統の假名遣ひ」をしているという人でも漢字にかなをふれといわれたら、どれくらいの人ができるでしょうか? 調子、町人、重宝、肝心、勧進帳 など、ちゃんとかながふれるのでしょうか?(正解は末尾[くわいたふ]にあり。) 「正統の假名遣ひ」の最大の幻想は、活字にされた文章が「正統」の「文語」だと誤解している点にあります。 まず、漢字ですが、むかしは一般には草書で書くのが普通でした。すなわち現在では草書で書かれた漢字を活字にするとき、わざわざ繁体字にしているのです。 次に、かな使いは必ずしも一定したものではなく、古典として活字で目にするものは専門家の較正を経て「歴史的假名遣ひ」にされているのです。 古典の読解を困難にしているのは、文法、語彙、背景となる世相や文化なのであって、かな使いなどではありません。 「正統の假名遣ひ」での、発音と極端に異なるかなの歴史は100年ほどしかなく、たとえば明治の頃までは菓子を実際に「くわし」と発音していたのです。発音と違うかな使いをすることが伝統や文化ではありません。 結局、ことばや標記は時代によって変化するというにすぎません。 ちなみに、天皇の神格化に使われている「日本書紀」は古典中国語で書かれているのですが、中国語をもっと日本に普及させないと「文語との聯關は斷ち切られ、過去の文章を讀みづらくさせ」ているということになるのでしょうか。 [くわいたふ] てうし、ちゃうにん、ちょうほう、かんじん、くわんじんちゃう |
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