33240 返信 Re:植民地主義は理想主義 URL とほほ 2005/02/27 01:01
> しかしこのように悪い面だけしか見れないようでは歴史を正確に認識することが出来ないと思います。
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> 植民地主義と言うのは「伝道」「布教」と同じく、理想を実現しようとした活動でした。
> 未開の地に文明をもたらそうという善意の活動家が沢山居たことを忘れてはいけないと思います。

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植民地からの独立をヨーロッパ中心の視点からのみ見ると、それはいわゆる一種の進歩史観におちいってしまう。すなわち先に進歩した西洋が非西洋を征服したが、やがて西洋に追いついた非西洋が植民地主義を克服して独立し、近代国家の仲間入りをしたという物語になるのだ。こうしたヨーロッパ中心史観が決定的に欠いているのは、歴史を世界大の視点から捉えなおす想像力である。いわば「ヨーロッパを地方化する」(ディペシュ・チャクラバルティ)こと。

つまり、他より進んだヨーロッパが殖民支配の原動力としてもともと存在したのではなく、殖民支配の歴史が特殊な地域としてのヨーロッパを形作ってきた、という認識が必要なのだ。
---ポストコロニアリズム、本橋哲也著、岩波新書、序12P---

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隷従から自由へ

「カニバル」と言う語によって、他者の野蛮さや劣等性を代表させること。これこそ自らの暴力的な植民地経略を正当化しようとしたヨーロッパ人にとって欠かせぬ言葉の武器であった。たとえばイーデンが1555年にイギリス語に翻訳したペーター・マルティールの『年代記』の序文には、こうした正当化への欲望が見える。マルティールによれば、先住民がスペイン人に隷属するのは、

【以前の自由な状態よりずっと好ましいことのはずである。なぜなら以前の自由は残酷なカニバレスへの従属状態であり、自由というより恐るべき放縦と言ったほうが正確だからだ。無垢な人々にとってはこのような恐ろしい隷従こそが実態で、自分たちの怠惰のせいで彼らはこうした人々を獲物とする狼たちの犠牲になる危険にいつもさらされていたのである。(Ibid., P. 50.)】

スペイン人によって先住民は「残酷」で「放縦」な「カニバレス」から解放され、真の自由を得る。カニバレスへの隷従からヨーロッパ人支配下の自由へ。「無垢」で「怠惰」で従順な先住民の同意に基づく正当な支配をもたらすのに、カニバレスはあらかじめ存在していなければならなかったのである。こうした対象を作り出す構図は、二〇世紀にいたるまで植民地支配を正当化するために使われ続けたのではないだろうか。「食人種」をめぐる記号の使われ方に私たちが注目すべき理由もそこにある。

---ポストコロニアリズム、本橋哲也著、岩波新書、35P〜37P---