34951 返信 Re:教科書、靖国は国内問題か?あるいは教科書、靖国へのクレームは内政干渉か? URL tpkn 2005/05/09 00:04
> いやまったく、これほど不勉強の上にあぐらをかいた【反論もどき】が返ってくるとは思いもしませんでした。

はいはい、印象操作に必死でつね(w

前回の投稿で予告したように、無駄な部分は一切省きますね。省いた部分は、ゴミ以下の屁理屈と拙い誘導尋問の試み、揚げ足取り、同じ論旨の繰り返しに終始しており「なんの価値もない」部分です。少しでも意味のある部分について、できるだけ丁寧にレスいたします。いや、しかしブサヨはいぢればいぢるほど面白いデツネ(w

> こういうのが【あなたの本気を出した議論】なら、こういう無駄口(あなたの「議論」とやらの事です)におつきあいするのはこれで最後といたします。

そりゃ助かります。面倒なことにつきあうことなく、思う存分あなたを批判できる。

> というわけですから、間違えているのはあなたということになります。もっとも、兼松氏から補足されている部分も無視しなければ、こんな恥ずかしいことは言えないはずですが。

後出しジャンケンですね。兼松氏が「補足」しなければ、あなたは自分が正当であると述べた箇所すら確認できなかったのでしょう(爆笑)。

(結論1)★烏龍茶は、自分がどこに何を書いたかすら、自分では把握できていない。

> >みたびお尋ねします。ドゥーリットル隊の処分は、国際法から見て正当なものであり、東京裁判の正当性を論証するにあたって不可欠なモデル事例ということでよろしいですか?
> すでに書いています。読めないのであれば仕方がないですし、教えて差し上げる義務もございません。

どこにも書いてません(笑)。

「ドゥリットル隊の処罰における空襲軍律の制定(何のために制定されたのかも知らないらしいですね)と、その運用につき問題ない」ということを、「国際法から見て正当なものであり、東京裁判の正当性を論証するにあたって不可欠なモデル事例である」という意味だと解釈してよろしいですね?

(結論2)★烏龍茶は、ドリトル隊の処分について、国際法から見て正当なものであり、東京裁判の正当性を論証するにあたって不可欠なモデル事例と考えている。

> >>ちなみに、空襲軍律の運用について、火の鳥草さんによればそれ自体が東京裁判で裁かれているようですが、「戦後に至るも問題にされていません」というのは事実と違うのではないですか?
> ははは。無差別爆撃であるという認定が問題にされたんですが、何にも知らないと、大変ですね。

「無差別爆撃であるという認定が問題にされた」のに、空襲軍律の「運用につき問題がない」のですか?
つーか、もうレスはしないとのことなので、ここは反論不能と見なします。

(結論3)★東京裁判を正当なものだとする烏龍茶は、ドリトルケースの空襲軍律の運用について、問題があったと考えている。

> >> 1 2つのケースが同様である、という論証(すでにしていますし、告天子さんが「じゃあ」ということで
> >>   評価を変更するのであれば、同様であることにつき同意していることになります)
> >> 2 実体法と手続き法の関係という点で、ドゥリットルケースが正当であるという論証
> >> をすればいいだけの話です。
> (中略)
> >また、2があなた自身のことを言っているのであれば、「すればいいだけの話」などと言ってないで、さっさとやってくださいなってことになるのですが?
> 私と告天子さんの議論の話ですね。自他の区別をしてください。

で、論証はなしですか?(爆笑)

(結論4)★烏龍茶は、自分で「論証すればいい話」と書きながら、論証することはない。


> いいえ。あなた自身が上で書いているように、私はどちらも【法の制定と運用】につき、正当としています。マッチポンプはあなたのしていること、でしょうね。
>
> > もう一回お尋ねしますね?
> > ドリトル隊に対する日本軍の裁きは、国際的に正当な法の執行だったとあなたは評価しているわけですか?
> 無意味な問いですね。

え? あなたは東京裁判もドリトルケースも「どちらも【法の制定と運用】につき、正当として」いながら、ドリトル隊に対する日本軍の裁きが国際的に正当な法の執行だったかどうかについては、「無意味な問い」だと却下するわけですか?

(結論5)★自分が2行上で書いたことを「無意味」と切り捨てる烏龍茶は、統合失調症の疑いがある。

> 手本になるような法理、というのはよけいな形容ですね。要するに当時の国際慣習に従っていた、というだけです。

ではあなたはなぜ東京裁判の正当性を論じるのにドリトルケースなどを持ち出してくるのでしょう? 法理を論ずる際に「手本にしてる」のはあなたなのですが?

> だけではなく、「手本になるような」というよけいな形容の勝手な挿入が問題なわけです。

あなたが「手本にしてる」から、それはほんとに手本になるようなものなのか?と尋ねてるわけですが?

> >ちょっと待ってください。「法の制定と運用という点で問題にならない」というのは、どういう意味でしょうか?「正当なものだ」と言い切ることはできないということですか?言い切れないとしたら、どの点が言い切れないのでしょうか。
> 判決の部分、ですが?調べてからものを言わないと、【教えてくん】ですし、知らないのにあれこれ自分の脳内で勝手な理屈をつけてその上にふんぞり返るようでは、これはもうお話にならないわけですが。

えーっ! ドリトル隊の処分については「判決の部分」について正当だと言い切ることはできないのに、《どちらも【法の制定と運用】につき、正当》 と考えているのですか? 「法の運用でない判決」など、この世に存在するのでしょうか?

頭オカシイのでは?(爆笑)

(結論6)★烏龍茶は「法の運用ではない判決」が存在すると考えている。

> 議論の場で命令形とは、あなたは私の指導員ですか?

「勉強してください」も命令形ですよ?(爆笑)
もう一回小学校からやりなおしてください(命令)。

(結論7)★烏龍茶は、基本的な日本語文法および敬語法について無知である。

> >> 同上であります。旧来の戦争法、即ち交戦法規とその違反行為に裁判所の管轄を限定する必要がどこにあるのでしょう?
> > 同上であります
> あなたがよく読まないで書いたが故の勘違いでしょうね。

いえ、あなたが旧来の戦争法を唯一の根拠に語っている限り、「旧来の戦争法、旧来の戦争法、即ち交戦法規とその違反行為に裁判所の管轄を限定する必要がどこにあるのでしょう?」というのは明白な矛盾です。

> >旧来の戦争法に話を限定しようとしているのは、不戦条約と空戦法規を「同列に扱」い、したがって極東軍事裁判条例は正当であり、東京裁判も法的にも手続き的にも問題ないとする烏龍茶さんでしょう。
> ちがいますよ。斜め読みに基づく誤解です。上記で説明しました。

あなたは「必要がどこにあるのでしょう?」としか言っておりませんが? あなたの場合、説明と質問は同じものなのでしょうか? で、「必要がどこにあるのでしょう?」という問いに関しては、私は答えておりますけど?

(結論8)★烏龍茶は、「斜め読み」と言えばなんでも論証せずにすますことができると考えている。

> ここで「正しい」と言う言葉を使っているのはあなたです。【正しいのですか?】と質問をしているのもあなたです。で、どういう定義でそれを使っているのか、と問うのはあたり前の話ですね。自他の区別をしてください。

定義は前の投稿でも示しておりますね、「国際社会に対して胸を晴れるほど正当なものと言えるのか?」ということです。 それに対して、余計な形容だのなんだのと文句をつけていたのは烏龍茶さんですね。

> 勝者が裁く事も【正しいのか?】と言われる。日本の参加する国際社会が、第一次大戦の戦後処理依頼それを正しいとしてきた、とわたしはしていますが、それも正しいのか?とあなたは言う。では一体何に基づいて正しい正しくない、とあなたはしようとしているのか、この点を尋ねることのどこが問題ですか?自分で言えもしないことで相手に言いつのっているのはあなた、ということになりますよ。

後ろでも説明しているように、「公正なのか?」ということですよ。

> 正義ではないという根拠は何でしょうか。勝った側が裁く、という世界的に承認された国際慣習があることをわかっている上で始めた戦争でしょう。裁かれる側に立ったときにのみ【正義ではない】などといって、それが理屈として通るとでも思うんですか。

要するに、「負けたほうが悪い」って理屈ですね(爆笑)

ちなみに私は「裁かれる側」になど立ったことはありません。私もあなたも、この問題に関しては国家と自分を同一視することなく冷静な第三者として論ずることができるはずです。それができないのは、あなたがいかに国家主義者であり、公正さや個人の権利について無頓着な全体主義者であるかということを示しているにすぎません。

> >結局のところ、「戦争に勝った者が正しい」というのは「国際社会が認めるもの」であり、「日本も、勝った側にいたときに同様のことをしている」、そのことについて、あなた自身は正邪の判断を避けるわけでしょう?
> ではないですね。上記の通り、あなたの言う【正しい】の意味がわからないので返答のしようがないのです。

つまり、誰かが「正しい」の定義をしなければ、自分では「これが正しい」と言うことができないということですね。「イデオロギーの」の正体を見た思いがいたします。

> >そうです。あなたの言っていることはそういうことに「すぎない」。つまり、日本や日本国家、あるいは日本人の行動について倫理的な断罪を下す資格など、あなたにはないということです。
> いいえ。「倫理的な判断」など下していません。法的観点からの評価をしているだけです。

倫理と法が完全に別物であるはずがないのですが? あなたは、悪法でも法は法、とにかく従えという立場なのですね。こりゃ、あらゆる権力にとってこれほど好都合な人もおりますまい。

(結論9)★烏龍茶は、正邪の基準をなんら持たずに他者を「犯罪者」呼ばわりする卑劣漢である。

> 国によって正義は異なるし、国益の衝突も普通にある、それでも少しでも正義に近づくために
> 多くの、不断の努力がなされてきているわけです。日本だけが裁かれるのは不当だそんな物は認める必要などない、という論理では、そうした遅々とした進歩すら否定してしまうのですね。

つまり、あなたや五番街さんの論理には「少しでも正義に近づくために」という姿勢がまったくない、ということです。「法でこう決まってたから正しいのだ」と言ってるにすぎません。そんな人が、国際法がどうのこうのと偉そうに講釈を垂れていることを、皆に笑われているわけです。

> だから、そうした不公平が是正されるように、戦後も不断の努力が注がれてきたのでしょうが。

あなたの論は、その「不断の努力」と真っ向から対立するものですね。思考停止、知的怠惰、傲慢、僭越、自己満足…すべて自己正当化と自己慰撫のためのツールでしかないでしょう。盗人猛々しいとはこのことでしょう(爆笑)

> 裁かれなかった者がいることは不公平であるが、裁きそのものは公平であった、というのが私の主張です。もう何度も書いていますが。

何度読んでもおかしな理屈ですね。これはですね、私が言ってるのは、たとえば駐車違反で自分だけ切符切られた、とか、殺人犯のすべてが逮捕され裁かれないのは不公平だとか、そういう理屈じゃないわけです。「犯罪」を現認しているにも関わらず、ある者は裁き、ある者は裁かないような「裁きそのもの」が、なぜ「公平であった」と言えるのかということですね。しかも、東京裁判では「何を犯罪とするか」について、すでにその公平性が失われているわけです。同じことをやっても人によって犯罪となったりそうでなかったりするというのに等しい。そういうものについて「裁きそのものは公平であった」と言えるのは、「公平」という言葉の意味自体を理解していない人だけでしょう。

> そうですね。侵略戦争を計画し、というのが訴因に含まれるわけですから。しかし、実際計画者が裁かれない事例は東京裁判に限ってもそれほど珍しくもないわけです。その意味では公平とすら言い得るわけですが。

これ、「公平」ということについて烏龍茶さんがいかに誤解しているか、そして、人権というものについていかに無頓着であるかということがよくわかる文章ですね。あなたにとって公平とは、数の問題でしかないのでしょう。全体主義者の恐ろしさをヒシヒシと感じます。この程度の不公平は不当のうちに入らない、これが「不断の努力」とはまったく逆の暴論です。

(結論11)★烏龍茶にとって「公平」とはあくまで数がナンボという問題でしかなく、そこにfairnessやjusticeという概念の介入する余地はない。

> >> 日本は、自らの犯罪行為を認め反省し、二度と同じ過ちを犯さないという誓いを国際社会に向けて厳粛に宣言したからこそ、核兵器廃絶に向けて【唯一の被爆国であるという立場で発言すること】の説得力を得るのではありませんか。
> >日本の反核運動は、あの有名な「あやまちはくりかえしませんから」に象徴されているように、「相手国の戦争犯罪を追及」というものとは性格が全く違いますよ。だからこそ、多くの人に訴えかけることができるわけです。あなたは、反核運動の意義さえ理解していないのですね
> 誰が日本の反核運動に話を限ったのでしょうね。
> 例として日本の反核については言及しましたが。

ほらほら、マッチポンプ開始ですね。

日本の反核運動に話を限ったのは「唯一の被爆国であるという立場で発言すること」が説得力を持つとした烏龍茶さんでしょう。「唯一の被爆国である」ことで発言に説得力を持たせることのできる国など、地球上には他に例を見ないでしょう?

つーか、なんでこんな汚い議論をするわけ? 自分の屁理屈のダシに、唯一の被爆国として核兵器廃絶に向けてのどうのと中身の全くない紋切り型の美辞麗句を並べたあげく、「日本の反核運動に話を限っ」てない? 

被爆者をなめてんのかおまえは?

野郎の分際で、原爆被害者をダシにするなよ。心底腐っとるな…。

(結論12)★烏龍茶は、屁理屈を正当化するために被爆者をダシに使う、シンスゴや高橋亨同様のドキュソブサヨクの一種である。

> 日本を免責しようとする瞬間に、告天子さん(とあなた)の言うことはソ連の侵略すら追認する謬論になる、といっているのですね。ソ連の侵略について、私が正当であるなどといいましたか?

あなたは常に何も言っていません(爆笑)

「正当か?」と問うと「不当とは言えない」と言い、「不当では?」と問うと、「法的に問題はない」と言う。まあ一種の役人答弁のようなものです。役人でもないのにご苦労なことです。

> >しかし、「東京裁判は不公平」なわけでしょう?不公平な正義などあるのですか?
> 裁かれたこと自体、あるいはその裁かれる法的根拠や手続きに不公正はない、という意味の正義ではない、は間違いである、ですね。東京裁判そのものを公平でないからという点で全否定する態度では、その後の国際法の進展もなかったでありましょう。

自分の論理が「その後の国際法の進展」を真っ向から否定していることに気づいてないのはまあいいとして、「不公平な正義などない」ということについては、反論不能とみなします。

★(結論13)烏龍茶は「不公平な正義」を主張するデムパサヨクの一種である。

> 国内法と国際法では進歩の度合いが違うのですね。また国際社会には国家を超越した権威は存在しないのです。その違いを理解せずにこのようなことを言っても「事実についての正しい評価」など出来ないでしょう。

まあこれは、かつては帝国主義が世界の趨勢だったから、日韓併合には問題はない、とするクソウヨの意見と同じですね。

★(結論14)烏龍茶の主張は日韓併合を正当化するクソウヨの裏返しであり、したがって正しくブサヨである。

> 不公平ではあったが審理そのものは公正であった、とし、さらに公正であった根拠を再三示しているている相手に「法理がまるでない」と言ってもそれだけで反論になるはずがないでしょう。

ある裁判について「不公平ではあったが審理そのものは公正だった」などいうむちゃくちゃな見解が、他人に理解してもらえると考えていること自体がキチガイですね。


★(結論15)烏龍茶の東京裁判の評価は、「不公平だが公正」「不公平だが正義」というものであり、常人の理解の範疇を完全に超越している。


上記の結論1〜15のうち、東京裁判に関するものをまとめておきますね。

(結論2)★烏龍茶は、ドリトル隊の処分について、国際法から見て正当なものであり、東京裁判の正当性を論証するにあたって不可欠なモデル事例と考えている。
(結論3)★東京裁判を正当なものだとする烏龍茶は、ドリトルケースの空襲軍律の運用について、問題があったと考えている。
(結論6)★烏龍茶は「法の運用ではない判決」が存在すると考えている。
(結論11)★烏龍茶にとって「公平」とはあくまで数がナンボという問題でしかなく、そこにfairnessやjusticeという概念の介入する余地はない。
(結論13)★烏龍茶は「不公平な正義」を主張するデムパサヨクの一種である。
(結論15)★烏龍茶の東京裁判の評価は、「不公平だが公正」「不公平だが正義」というものであり、常人の理解の範疇を完全に超越している。

いろいろ「勉強」しても、これじゃ意味ないッスね(爆笑)