35837 返信 日本語の起源についての考察4 URL 2005/07/03 14:07
1.縄文人はもともと独自の言語を持っていたが、朝鮮半島からアルタイ系言語を持った語族と南からのオーストロネシア語族の影響を同時に受け、縄文中期以降、アルタイ系言語とオーストロネシア語の混合言語を話すようになった。これが原日本語となる。
弥生人は日本に少数しか移住せず、やがて弥生人の子孫も日本語を話すようになった。

2.縄文人はもともと独自の言語を持っていたが、縄文中期以降オーストロネシア語化した。そこにアルタイ系言語を持った弥生人が移住し、日本語はアルタイ系言語とオーストロネシア語の混合言語になった。

3.縄文人はもともと独自の言語を持っていて、朝鮮半島にはアルタイ系言語を持った民族が複数いた。縄文人はオーストロネシア語を話すようになり、朝鮮半島のアルタイ系民族の一つも南からのオーストロネシア語族の影響を受け、朝鮮半島南部でアルタイ系言語と南島語の混合言語を話すようになっていた。
そこへ、中国から水稲稲作技術が伝わり、アルタイ系言語とオーストロネシア語の混合言語を話す弥生人が、オーストロネシア語を話す縄文人の言葉を駆逐し、弥生人の話す
アルタイ系言語とオーストロネシア語の混合言語が日本語となった。
朝鮮半島では、もう一つのアルタイ系民族の言葉が話されるようになり、弥生人の言葉は朝鮮半島から消えていった。


> 言語的には他の言語を駆逐してしまったインド・ヨーロッパ祖語者の遺伝子は、現代ヨーロッパ人に引き継がれているのだろうか?
> もともとヨーロッパに存在していた狩猟採集民の遺伝子は、現代ヨーロッパ人に引き継がれているのだろうか?

この問いの答えは、武蔵の一住民さんに指摘していただいたように、ブライアン・サイクスによれば、上部旧石器時代の欧州の現生人類と現代欧州人との遺伝的関係については、母系・父系の双方ともに、現代欧州人の遺伝子プールの約8割は上部旧石器時代の欧州の現生人類に由来している、となっています。
これを現代日本人の遺伝子プールの約35%が縄文人、約65%が弥生人という仮説と比較すると、日本での弥生人の影響力はインド・ヨーロッパ語族よりも強いため、当然のことながら弥生人の言語が、縄文人の言葉を駆逐し原日本語になったという3の説が有力に思えてきます。

A.3の説についての検討

しかし、私はヨーロッパ先住民(バスクを除く)とは異なり、縄文人の言語は駆逐されることはなかったと考えます。
まず、弥生人が水稲稲作技術を携えて日本列島にやってきて以降ずっと、縄文人が水稲稲作を拒否し続けるという選択をおこなった場合について考えてましょう。
中国、タイの少数民族の例にあるように水稲稲作民に包囲された状況下でも山岳地帯等の水稲稲作に不向きな土地に移住する、あるいは水稲稲作が不可能であった北海道等に移住すること等によって現在でも少数民族として生き残ることが可能であったと思います。まして有史以前の1000年以内に民族として消滅することはなかったと考えます。
ロマのように故郷の北インドを離れ1000年間も迫害を受け続けても民族としての独自性を維持し続けたという例もあります。
また、現在消滅の危機にある言語の多くは長い間狩猟採集民であり続けたために話者の数が非常に少なかったということがあります。
これは、狩猟採集から農耕への移行には栄養状態の悪化等の障壁があり、なかなか農耕への移行に踏み切れなかったということがあるようです。
それに対し、縄文人は縄文時代中期からアサ、ヒョウタン、リョクトウ、ゴボウ、ヒエ、ヤマノイモ、アブラナ、サトイモ、イネを栽培していたと考えられ、10万人の人口があったという説もあり、水稲稲作を拒否する心理的障壁は少なく、また現在消滅の危機にある近代まで農耕を拒否し続けた元狩猟採集民とは異なり、人口も多く、かつある程度の言語的統一があったと考えられます。
以上の理由により、私は3の説とは異なり縄文語は消滅しなかったと考えます。

B.1の説についての検討

弥生人は日本に少数しか移住しなかった可能性もあるが、縄文人が水稲稲作技術を取り入れたとしても弥生人の人口増加率は縄文人よりも高かったと考えられます。
生産技術、文化、軍事において縄文人よりも優位にあった弥生人が、自らの言語を簡単に捨てるとも考えにくい。
日本語におけるアルタイ的性質を弥生人の渡来以前に限定するするのにも無理があるように思う。

私は2の縄文人と弥生人との混合言語が、原日本語になったという説がより有力であるように思います。

しかし、
縄文人の言語はどのようなものだったのか?
縄文人の言語はどのようなものだったのか?
そしてその混合比率はどのくらいだったのか?
5で検討してみたいと思います。