36386 返信 1975年、天皇記者会見一問一答の中身 URL inti-sol 2005/08/22 20:24
朝日新聞1975年11月1日朝刊4面より
なお、同紙1面の記事によると、記者会見は日本記者クラブの申し入れで行われ、同クラブ代表31人・宮内庁記者会常勤記者14名・日本駐在の外国記者代表5人の計50人が出席した、とのこと。

(引用開始)
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両陛下公式記者会見の内容
31日午後、皇居宮殿で行われた天皇・皇后両陛下の日本記者クラブとの一問一答の内容は次の通り。

渡辺日本記者クラブ理事長(引用者注朝日新聞副社長) 本日は天皇・皇后両陛下をお迎えして、日本記者クラブの記者会見を催すことになりましたことは、歴史的に見ても画期的な事柄でございます。今日はどうかおくつろぎになったお気持ちで、ご訪米のおみやげ話、その他をお聞かせいただきたいと思います。

天皇 米国訪問に際し、フォード大統領閣下、米国人ならびにわが国民から寄せられた好意に対して、皇后とともに深く感謝します。
このたびの訪米は、もとよりフォード大統領閣下が招請されたことではありますが、私としては皇太子時代から長年念願していたことであります。このたびこれが実現したことは感慨無量であります。訪米中フォード大統閣下、同夫人、ならびに多くの米国官民から温かい歓迎を受けました。それで私と皇后の15日間の旅行が楽しくできました。
このたびの旅行中、米国の実状をつぶさに見、フォード大統領閣下ならびに多くの米国人に会い、日系人たる米国人に接しました。これによって両国の友好親善関係が、ますます親密になると、私は深く信じます。

−今度のご訪米で、印象の非常に深かったことの幾つかをお話しいただけたら幸いでございますが。

天皇 訪問中いろいろ深い印象は受けましたが、おのおの特徴があってその比較はなかなか難しいことではありますが、その中にも、一番最初のアメリカの大統領ワシントンの私邸を訪問したことであります私が初等科に入ったころ、先生からワシントンは非常に正直な人であると話を聞きました。その思い出が深いので、この訪問を一番懐かしく思いました。

−(関連質問=NHK明神正記者) 生物学の研究の分野で、陛下には長年のナゾが解けた分野もあったというふうにうかがっていますが。

天皇 その方面については、スミソニアン博物館、あるいはウッズホール、ラホヤ等の研究所を視察して、いろいろよい標本を見せてもらって有益であった。とくに私の一番研究しているハイドロゾアと、研究所にある標本と比べて非常に参考になったことが多々ありまして、それをこれから先、私の研究所で比べてはっきりした決定をしたいと思っております。いま時間があまりないですから、詳しいことを述べることはよしときます。

−皇后さまは、アメリカでお買い物をなさいましたり、マイケル坊やをお抱きになったり、いろいろニュースもおつくりになったわけですが、とくになつかしく思い出していらっしゃることがございますか。

皇后 どれもこれもなつかしく思うんで、どれからいっていいか−。とにかく、いろいろ変わったものを見せてもらって、たいへん楽しく思いました。

−陛下はかねがね、アメリカの国、アメリカの歴史、あるいはアメリカの国民性などについて、ご勉強になっておいでですが、今度実際に現地においでになりまして、アメリカ人、あるいはアメリカの国というものをどういうふうなご印象でお帰りになりましたでしょうか。

天皇 前にもわたしはたびたび話したことではありますが、アメリカ人は、主張ははっきりしますけれども、つねに具体的であって、さっぱりした国民であると・・・・・・。でありますから、非常に親しみやすい国民であると思っていました。今回、米国人は、いろいろ配慮して、わたくしの旅行を楽しくしましたことで、はっきり、今まで知ったことと、よく、あうことを、よく知りました。

−ご訪米中にそういうアメリカ人の非常に率直で明るい国民性、そういう歓迎ぶりに触発されたこともあったと思いますが、ご訪米中、両陛下は非常にのびのびとお振る舞いになり、まあ、ありのままの姿を、はっきりお見せになったわけでございますが、それが今度のご訪米を非常に成功させた一つの大きな要因にもなったと信じております。日本の国内でも、もっとのびのびと、もっと広く、国民の間にお入りになりますことを、国民がひとしく願っておりますが、その点いかがでございましょうか。

天皇 そういうことができれば、わたくしもよいとは思いますけれども、日本の国民性とアメリカの国民性とは、非常に違うところがありますから、果たしてアメリカで旅行したようなことが、日本で実現するかは非常にわたくしは疑問としております。

−陛下は長いご在位の中で、一番うれしくお思いになったことは何でございましょうか。

天皇 アメリカ訪問はその一つでありますが、そのほかにも、わたくしと皇后と一緒に、ヨーロッパを訪問したことであります。しかし、なお、終戦後、日本国民が努力して、りっぱに日本の復興ができたということが、一番うれしく感じています。

−それとは逆に、ご在位中に最もつらく悲しかった思い出というのはどういうことでございましょうか。

天皇 それは言うまでもなく第二次大戦であると思います。私はこういう悲しむべきことが今後も起こらないことを祈っております。

−不幸な戦争のことでございますが、今度のご訪米中に大統領の晩さん会でのお言葉とか、あるいはアーリントン墓地においでになりましたことで、アメリカとの間で不幸な戦争の問題というものはこれですっかり消えたと存じます。ところで、日本の、今度は国内の方でございますが、不幸な時期に親や子や妻をなくした国民もたくさんございますけれども、その国民が先ほどおおせになりました通り、焦土の中から立ち上がって日本に見事な復興を成し遂げたわけでございますから、陛下がこのさいそういう日本国民に対してお言葉がございましたら、ぜひお聞かせいただきたいと存じます。

天皇 そのことについては、毎年8月15日に私は胸が痛むのを覚えるという言葉を常に述べています。いま、これらの非常に苦しい人たちが、いま述べたように日本の発展に寄与したことはうれしく私は感じております。

−(関連質問=ロンドン・タイムス中村浩二記者)天皇陛下はホワイトハウスで、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておりますかおうかがいいたします。

天皇 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます。

−陛下はこれまでに戦後国内各地をご巡幸になっておられますが、まだ沖縄にはおいでになっておらないようでございます。戦後、日本に復帰してきた沖縄をご訪問になるご希望がございますでしょうか。

天皇 戦後、私はいま言われたように各地を巡幸して激励しましたが、沖縄県には残念ながら行かれなかったのであります。機会があるならばいま言ったように近い・・・・・・行きたいと私は希望しております。沖縄県は過去においていろいろ問題があったとは思いますが、今度、立派に沖縄県が発展することを私は祈っております。

−(関連質問=中国放送秋信利彦記者)陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない、我々はこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならないと述べられ、以後昭和26年、46年と都合3度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられましたが、原子爆弾投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか。おうかがいしたいと思います。

天皇 この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています。

−わが国は、戦争の最中にアジアの隣近所の国に、大変迷惑をかけたわけでございますが、陛下はヨーロッパとアメリカをご訪問になりましたが、今後、中国を含むアジアの国々をもお訪ねになるお気持ちでいらっしゃいましょうか、どうでしょうか。

天皇 いま述べたことについては、アメリカの記者が「平和条約が出来たらば、中国を訪問しますか」という質問があったので、私はそういう機会があれば、中国を訪問するつもりである、と答えたように記憶しています。
そのほかにも訪問しなければならない国が多々あるように思いますが、まだわが政府は、決定していません。

−両陛下とも長いご在位の中で、たいへんなご苦労の時期をおすごしになったわけでございますが、お見受けいたしますと、大したおさわりもなくて、大変お元気でいらっしゃいますが、これはなにか特別ご健康のご秘けつでもおありになるのでございましょうか。

天皇 その健康については、非常な秘けつがあるというわけではありませんが、那須や須崎で散歩をして、足を丈夫にし、また医者の意見を聞いて食物に対しても、いろいろ調整をしているのであります。

−(関連質問)ただいまの天皇陛下のご健康のことにつきまして、皇后陛下におうかがいしますが、日ごろからなにかご健康の維持というようなことについて、皇后陛下からアドバイスされるというようなことがございましょうか。また最近、そういうような例がございましたでしょうか、おうかがいいたします。

皇后 別に、これということはありません。

−両陛下の日ごろのお暮らしの中で、いろいろとお楽しみもあると思いますが、ご研究だとか、あるいは皇后様の場合は絵とか、いろいろございますがテレビなんかもよくご覧になると思いますが、例えばどういうような番組をご覧になりますか。お楽しみのことについてもおうかがいさせていただきたいと思います。

天皇 私は一番楽しみにしておるのは、前にもいったように、国民が努力して、日本の発展に貢献しておることであります。また、公務の余暇には生物学を研究して楽しみにしております。テレビは、いろいろ見てはいますが、放送会社の競争がはなはだ激しいので(笑い)、いまどういう番組を見ているか、ということには、答えられません。(笑い)

−予定の時間も大分過ぎましたので、大変お名残惜しいのでございますが、これをもって両陛下との記者会見を終わらせていただきます。
お疲れのところ、長い時間お話をうかがうことができまして、大変ありがとうございました。国内の新聞やテレビとのご接触は、これからの皇室と国民の間をつなぐ重要な太いパイプであると、私ども信じておりますので、きょうだけでなくて、どうぞこれからも折にふれまして、われわれとお会いいただくことを、強く、私ども心から期待しております。
きょうはどうもありがとうございました。

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(引用終了)
※数字だけは引用者が漢数字からアラビア数字になおしました
質問者によれば、天皇はこのときまでに1947年・51年・71年と3回広島を訪問し「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない、我々はこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」という「お言葉」を言ったとのことです。このときの発言で、「やむをえなかった」などと言ったのでしょうか。おそらく言ってはいないだろうと私は推測しているのですが。

さて、同紙の3面にはこの記者会見の解説記事が掲載されていますが、その下の方に小さく、宮内庁長官の発言が報じられています。

(再び引用開始)
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宇佐見宮内庁長官は31日夜、天皇陛下の記者会見でのご発言について、「ご自分から質問なさることはあっても、質問を受けることには慣れておられないため、お考えを十分お述べになれなかったきらいがあった」と、次のように語った。
1.広島の原爆を「やむをえなかった」と言われた点をはじめ、2・3言葉が簡単すぎた気味があった。しかし、「遺憾なことだった」「広島市民には気の毒」と二度も繰り返されたことや、戦争についての初めの方のお答えなど、全体の文脈を考えてもらえば、天皇陛下のお気持ちは拝察できるのではないか。「やむをえなかった」というのは「原爆投下そのものに限っていえば、自分にはどうしようもなかった」という意味だと私は受け取っている。(以下略)
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(引用終了)

宮内庁長官がわざわざこのようなかたちで天皇の発言を弁明(と言って悪ければ補足)したということは、弁明(または補足)しないとまずい発言だと宮内庁自身が考えていた、ということではないかと私には思えます。