36963 | 返信 | 日本の殉教画「アッツ島玉砕」(藤田嗣治)の展示 | URL | 火の鳥草 | 2005/09/24 07:20 | |
今、東京近代美術館で藤田の「アッツ島玉砕」が展示されている。 4〜5年ぶりの公開。 藤田の「サイパン島同胞臣節を全うす」とあわせ、我が国の殉教画とも評される。 ちなみにアッツ島の方は、昭和18年の公開当時、絵の下に賽銭箱がおかれ、傍らに立った画伯が賽銭を投げ入れる人々にその都度深く頭を下げ、また、老女が絵の前で正座し合掌して念仏を唱え続けるという情景があった。 (参考) http://www.ippusai.com/hp_home/sunset/fujita.htm ●『アッツ島玉砕』と賽銭箱 昭和18(1943)年5月30日、大本営はアリューシャン列島アッツ島守備隊の全滅を発表しました。戦死者2,638名、この全滅を「玉砕」と言い換え、山崎部隊長を「軍神」と讃えて、敗北を糊塗したのです(最初の公式な「玉砕」認定。国家による悲劇的《英雄譚の創出》!)。 その3か月後の「国民総力決戦美術展」に藤田嗣治の『アッツ島玉砕』が出品されました。 北の島での戦いを描いたこの絵は、敵も味方も定かではない。ただ凄惨な殺し合いがあるだけの残酷な(ある意味で戦争の実態を描いた)絵画である。この頃から藤田の戦争画は酸鼻なだけで、かえって国民の戦意を喪失させるだけだ、との意見が軍部から出始めていた。 軍部の考えていた戦争画とは、戦争記録画であり戦意高揚画(=プロパガンダ絵画=《英雄譚》)だったからです。 しかし、軍部の意見とは逆に、国民からの藤田戦争画の「人気」はかえって高まっていきます。それはなぜでしょうか? ここに戦争画の本質を解く、一つの鍵があるような気がします。 それを考える前に、実際の「国民総力決戦美術展」の有様を見てみよう。一般の美術展では考えられないような光景が目に入るはず。 藤田の『アッツ玉砕』の前には賽銭箱が置かれている。そして作者がその横に立ち、賽銭が投じられるたびに頭を深く下げる。 そう、これは美術展ではなく、宗教行事の場なのです。 キリスト教で磔になったキリストや、それを嘆き悲しむマリアを描いた絵画に対するのと同様に、美術展を訪れる人々は、アッツ島で戦死した人々に対して、鎮魂の儀式を行っているのである。そして、その意味を作者である画家も知っている。自分の《絵画に対して》ではなく、《絵画を通して戦死した人々に対し》敬意が払われていることを。 これはまさしく「殉教画」なのです。 |
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