思考の軌跡


「自己変革能力のある社会システムへの道標:
 
複雑系と無気力の心理学の視点から」

井庭崇 (1998年8月)
第四回読売論壇新人賞佳作, 読売新聞社, 1998



1.自己変革能力のある社会システムを目指して

 硬直した巨大システムの中で、途方に暮れる無気力な人々――――これが現在の 日本を象徴する構図である。人々は、自分ではコントロールできないほど巨大化した システムを前に、時代遅れのシステムのルールを仕方なく受け入れ、その状況を変え ようとする気力や手段を喪失している。
 かつてA・ハーシュマンは、社会や組織の変革の力として退出(exit)オプション と発言(voice)オプションの二つの重要性を述べた。退出オプションとは、ある政党 を選択しなくなったり組織を脱退するという退出行為を通じて社会を変える方法であ る。一方、発言オプションとは、その政党や組織に対し直接意見を述べることによっ て社会を変える方法である。この観点から現在の日本を眺めてみると、退出オプショ ンが若干機能しているだけで、発言オプションはほとんど機能していないことがわか る。この社会変革のための退出・発言オプションの選択ができない日本社会は、社会 システムとして自己変革能力に欠けていると言わざるを得ない。
 また、社会変革の中心を担う人間が無気力になっているのも、日本社会の自己変 革が困難な理由の一つである。心理学の分野で研究されてきた無気力の獲得メカニズ ムを現代社会に当てはめてみると、人々を無気力にさせるメカニズムが社会の中に組 み込まれていることがわかる。
 現在表面化している様々な社会問題の背後には、実はシステムの自己変革能力の 欠如と人々の無気力の問題が隠されているのである。今、私たちに必要なことは、シ ステムとそれを構成する人間の相互の関係性を考慮しながら、社会や組織が自己変革 能力を獲得するための処方箋を模索することである。

 自己変革能力をもつシステムで、最も身近なものは生命システムである。生命は 内在する自己変革能力によって、自己を成長させ、また状況に応じて環境に適応する。 これが「生きている」ということに他ならない。私は、自己変革能力をもつ社会シス テムを目指す際には、この生命の「生きている」仕組み、すなわち複雑系のシステム 観を導入するとよいと考える。複雑系とは、システムを構成する要素の機能(役割)が 全体の文脈によって変化するシステムのことである。この複雑系の視点で社会システ ムを再構築することにより、従来の機能固定的なシステム観では実現できない、自己 変革能力のある「生きている」社会システムの構築が可能になるのである。
 本論で私は、複雑系と無気力の心理学の視点から、日本社会に自己変革能力を組 み込むために以下の具体的な提言を行なう。

 (1)自律的なサブシステムへの分権化
 (2)ボイス・アブソーバーの設立、およびポリシー・インキュベーターの役割強化
 (3)効力感を育成する教育への改革
 (4)人々の心理コストを考慮したシステム設計の奨励

 私はこれらの実現により、社会システムに発言オプションを導入でき、また人々 の無気力を回復することができると考える。その結果、自己変革能力を備えた創造的 で柔軟な社会へと躍進できるのである。



2. 硬直した巨大システムと無気力な人々


 現在社会の至るところで、硬直した巨大システムと、その中で途方に暮れる無気 力な人々の姿を発見することができる。腐敗した政治に参加する気も起きず、投票し ても無駄だという無気力感が社会を覆っている。市町村議会選挙の投票率は、一九五 一年の九一・〇%を最高に下がり続け、九五年には五九・六%にまで低下した。同様 に国政選挙でも投票率の低下が著しい。また、子供たちも学ぶことに無気力であり、 学校を嫌っては不登校になる。不登校の小中学生は実に約十万五千人にものぼるとい う。大人も企業の仕組みやルールに疑問を感じていながらも、細分化された仕事の山 に翻弄され、また安定を崩せないために現状を壊すことができないでいる。
 日本社会におけるこれらの問題の根底にあるのが、全体が見えないほど巨大なシ ステムの中で何もすることができない個の姿なのである。不透明な政治と有権者、画 一的な教育方針を押し付ける学校と子供、一方的な雇用条件を提示する企業と被雇用 者。人々は自分のいる環境に対するコントロール感を喪失し、何か行動したとしても 環境を変えることはできないという無力感に支配されている。もはや人々は、自分の 環境に対して傍観者になってしまったのである。
 このような状態は、社会システムとしては健全なものではない。なぜなら社会や 組織という社会システムは人間の集合として成り立っており、そのシステムを変える のはその中にいる人間に他ならないからである。社会の構成員たちは、直接的あるい は間接的に社会を変革する能力をもっているのである。しかし、いまやこの事実は信 じられてはいない。人々は、自分の属しているシステムは自分の力では変えられない と信じて疑わないのである。それゆえ、現状とシステムとの間にギャップを感じてい るにもかかわらず、それを漫然と受け入れ、「シカタガナイ」と諦めてしまうのであ る[1]。
 考えてみると、日本に存在する社会システムは民主的なメカニズムで動いていな いことが多い。このことは、身の周りにある社会システムの制度やルールで、自分が 民主的に選んだものがどれだけあるかを考えてみると明らかである。例えば、企業の 雇用制度や待遇に関するルールの多くは企業内で選挙や直接投票で決められたもので はない。あくまでトップダウン的に決められたものであり、被雇用者はそれに従わな ければならない。教育についても、授業の内容やカリキュラム、授業形式、校則など、 それらのほとんどが参加者である学生の民主的な決定ではなく、トップダウンの押し 付けである。国の制度や規則も、政治プロセスの現状からいって民主的に決定されて いるとは言い難い状況にある。
 社会システム内部の構成員の自律性がなくなった現在、外的要因以外に社会シス テムが変化する方法は残されていない。このような不健全な社会システムにいる私た ちは、今一度、自己変革能力のある社会システムについて考え直さなければならない のである。



3. 社会変革のための退出と発言

 社会や組織の変革の力として、A・ハーシュマンは「退出」(exit)と「発言」(voice) の二つの行動様式を提示している[2]。第一の退出オプションとは、不満のある商品 や政党を選ばなくなったり、あるいは組織から脱退することによって、反対の意思表 示を行なうというものである。度重なる退出オプションの行使によって、経営者や政 党は自らの欠陥を間接的に知らされることになる。第二の発言オプションとは、不満 のある商品やサービス、政治、組織などへの反対や異議の表明を、直接あるいは世間 一般に対して行なうというものである。ここでは、経営者や政党は、直接的に指摘さ れた自らの欠陥を修正することになる。
 社会システムを変革するために個人が行なえることには、この二つのオプション があるわけだが、現在の日本ではこれらは有効に機能していない。第一の退出オプシ ョンは、もともと社会の経済的な側面の行動様式であるが、日本の社会では行使が困 難なオプションである。例えば、雇用が完全に流動化していなければ企業に対し退出 オプションを行使するのは困難である。また退出オプションは淘汰の犠牲によって無 駄が生じることを前提としているため、来るべき環境福祉国家にはそぐわないオプシ ョンであるといえる。政治の場面においては、特定政党への投票行為が他の政党への 退出オプションの行使にあたるが、各政党の提示する政策ミックスが似通ったもので あれば、退出オプションの効果を有効にはたらかせることはできない。以上のことか ら、現在の日本社会の社会変革の力として退出オプションに大きな期待をかけること はできない。
 しかしそのもう一つの選択肢である発言オプションも、現在の日本では行使する ことが困難である。なぜなら、社会や組織に対して発言オプションを行使するための 仕組みがほとんど存在しないからである。これは、日本社会の同質性や調和の信念、 そして経済成長という共通の方向性が長期にわたり続いたことから、発言オプション の行使の仕組みを整備することを怠ってきたことに起因している。
 社会が自己変革するためには退出オプションと発言オプションの行使が不可欠で あるが、日本社会はこれらのオプションの不完全性によって、自己変革能力が備わっ てないといえる。そこで、社会の自己変革能力を機能せさるためには、発言オプショ ンを可能にする社会装置と、退出オプションが正当に機能するための社会的多様性を 生み出す仕組みを実現しなければならない。その実現にあたり、同時に考慮すべき問 題がある。それが社会変革オプションを行使する、社会の構成員が陥っている無気力 の病についてである。



4. 社会に潜む無気力発生のメカニズム

 日本社会を覆っている無気力化の現象は、自己変革能力のある社会システムを目 指す上で避けて通ることはできない問題である。システムをいかに整備しても、人々 が行動を起こす気にならなければ、社会変革は起こり得ないからである。社会変革の 内発につながる自発的な社会参加を促すためには、人々の心理メカニズムを考慮した システムデザインを行なわなければならない。ここでは、心理学における無気力の研 究を参考に、現在の日本社会に潜む無気力発生のメカニズムに注目したい。
 無気力の研究によると、人々は生まれながらにして無気力なのではなく、社会的 に無気力にさせられているという[3][4][5]。この後天的な無気力になると、学習・ 適応しようとする意欲が低下する「動機づけ障害」、新たな事柄でもコントロール不 可能だと考えてしまう「認知障害」、元気がなくなり無感情になる「感情障害」など の症状を示すといわれている[3]。これらの症状を社会における個人の行動と照らし て考えると、動機づけ障害は投票行動や自分の職場への意見を述べることが億劫にな ることにあたる。また、「どうせ自分が行動しても何も変わらない」と信じてしまう ことは認知障害といえる。視野が狭くなり、時につかみどころのない怒りや不安を抱 くという感情障害は、若者の元気のなさや、自分でも理解できない無感情な暴力や犯 罪などに表れているといえるだろう。
 私は、人々がこのように無気力になっているのは、日本社会に人々を無気力にさ せるメカニズムが潜んでいるからであると考える。この無気力発生の社会的メカニズ ムは、大きく二つに分けられる。第一は、コントロール感の喪失による無気力の生成 メカニズムである。人間は、自分の努力が成功に結びつなかいという経験を何度も繰 り返すと、状況に対するコントロール感を喪失して無気力になることが知られている。
 例えば企業ではつい最近まで、被雇用者がその企業ルールに対して発言をしても、そ れが取り入れられることは稀であった。歴史的経緯や既得権益、変革のコストなどの 理由で硬直したシステムを暗黙のうちに押し付け、そこから逸脱することを許さなか ったのである。そして、幾度かの行動の失敗を通じて人々は妥協することを覚えるこ とになる。企業の場合に限らず、教育や政治の場面でも、このような通過儀礼(イニ シエーション)を通じて、人々はコントロール感を喪失してしまうのである。
 無気力の生成メカニズムの第二は、行動と無関係な報酬によるものである。人間 は自分の行動と無関係に報酬を与えられると、無気力になることが知られている。例 えば、能力や功績に関係なく年齢だけで賃金が決定される年功序列の給与体系は、人々 の能力向上や努力に対する動機づけを失わせることになる。
 今述べてきたような日本的雇用慣行は一部では既に変化してきてはいる。しかし、 社会全体としては他の多くの場面で、依然として無気力発生のメカニズムが働いてい るのである。社会の自己変革能力を向上させるためには、社会に潜む無気力発生のメ カニズムを浮き彫りにし、排除していく必要がある。



5. 求められる効力感の生成メカニズム

 人々の自発性ついての問題に取り組む上で重要なことは、無気力化の社会的メカ ニズムを排除することと同時に、既に無気力になった人々のリハビリテーションをい かに実現するかという問題を考えることである。無気力になった人々に対しては単に 「個人の意識改革」を叫ぶだけでは効果はない。人々が社会システムの変革に積極的 に参加するためには、単なる意識や姿勢だけでなく、その各々が社会に対する効力感 をもつことが必要だからである。
 効力感とは、自分の行動によって目標の達成が可能であるという自信のことであ る[3]。この効力感をもつためには、無気力の発生メカニズムとは反対に、自分の行 動や努力によって環境を変化させるという成功経験を蓄積しなければならない。しか も、その行動や努力が他者からの命令ではなく、自分が主体であり発端であるという 自律性の感覚が決定的に重要なのである。若者を中心にボランティア活動が活発なの も、ボランティアでは自分が行動の主体であるという感覚によって効力感が得られる からであろう。
 実は日本にも、昔はこの効力感を獲得するメカニズムが備わっていたといえる。 統合されないが故に分散していた社会では、効力感の獲得のためのトレーニングの場 である小さなコミュニティが存在していたからである。それはある程度の規模をもっ た大家族や、村や町、小さな規模の学校であったり、子供の遊びの仲間などであった。
 しかし近年、これら効力感獲得のための場は急速に失われてきた。社会の中の様々 なものが統合されて巨大化するに従って、規模の小さいサブシステムが変容し、巨大 なシステムに個人が直接接続されている構造になってしまったのである。例えば、受 験に取り組む子供たちは、その学校内での出来によって誉められることは少なくなり、 全国規模の巨大な土俵の上でトップの座を目指さなければならなくなった。また家庭 という場も、三世代同居の大家族から核家族、さらに家族のネットワーク化(若者の 一人暮らしや単身赴任の増加)という構造変化や一人っ子の増加によって、社会にお ける最小コミュニティではなくなってしまった。さらに学校や地方自治体をみてみて も、地域間格差の是正や全国に及ぶ利害の複雑化のために独自の変革は難しくなり、 それらの小さなサブシステムでの成功経験が蓄積されなくなってしまったのである。
 結局、巨大なシステムにおいて中央集権的で政策決定や意思決定を行なうという ことは、本来ならば育成されるはずの効力感の獲得機会を剥奪することになる。そし てそれは人々を無気力にさせることでもある。なぜなら、巨大なシステムの変革はリ スクも大きく、また大規模ゆえの利害調整の困難さや施行にかかるコストの理由から、 個人の斬新な意見による試行錯誤の政策は却下されることがほとんどだからである。 また仮に巨大システムに対して政策が執行されたとしても、タスクが分散されるため 手応えがなく、またその政策効果の評価も困難であることから、効力感の獲得にはつ ながらないことが多い。つまり、自分で環境を変えることができるという効力感を養 うメカニズムは、社会の巨大化によって失われてしまったのである。
 自己変革能力をもつ社会では構成員の自発性が求められているため、効力感の 獲得が不可欠である。それゆえ社会システムを設計する際には、効力感の生成 の仕組みを考慮に入れる必要があるのである。



6. 自己変革能力のある社会システムへの提言

 社会や組織が自己変革能力をもつために、社会システムをどのような構造にし、 どのような仕掛けを組み込むかについて提言を行ないたい。ここで重要なのが、自己 変革能力のある社会システムは、生命システムの場合と同様に、システム内部の構成 員の相互作用によって変化していく「生きている」システムであるという視点である。 そのようなシステムに対しては、従来の固定的なシステム観とは異なる視点が必要で あり、「複雑系」の視点が有効である。
 複雑系とは、システムの構成要素の振る舞いのルールが全体の文脈によって変化 するシステムのことである [6]。社会や組織を複雑系としてとらえる場合、システム というのは社会や組織のことであり、構成要素とは人間やグループということになる。 例えば、ある人の役割は社会・組織全体の状況に応じて時々刻々と変化していく。人 は生まれながらにして一つの決定された役割だけを担うわけではないのである。
 この複雑系型の社会、つまり自己変革能力が内在する社会システムの実現に向け て、(1)自律的なサブシステムへの分権化、(2)ボイス・アブソーバーの設立、およびポ リシー・インキュベーターの役割強化、(3)効力感を育成する教育への改革、(4)人々の 心理コストを考慮したシステム設計の奨励という、四つの具体的な提言を以下に行な っていく。

(1) 自律的なサブシステムへの分権化

 自己変革能力をもつ社会を構築するためには、まず前提として巨大化した社会シ ステムを、自由度の高いサブシステムに分け、分散型の組織構造をつくる必要がある。 これは近年議論されているように、国であれば地方分権にあたり、企業であればカン パニー制やプロジェクト制のような意思決定の分散化にあたるといえるだろう [7]。 この分散化によって、複雑系型の創造的な社会システムを構築することができる。 ここでは、現存する社会システムからの移行可能性を踏まえた上で、より柔軟な構造 へと変化するための方法について提言する。
 役割や機能が流動的な複雑系型の社会を実現するためには、権限のヒエラルキー 構造が残らない最適規模のサブシステムを実現する必要がある。具体的には分割され たサブシステムをさらに小さなサブシステムに分割し、数人〜十数人程度のプロジェ クト単位になるまで分割を行なう。全体としてはフラクタル構造のような形になるが、 これは権限のヒエラルキーを意味するのではなく、情報流通のための自由で柔軟な連 結として考えるとよいだろう。
 分散化によって十数人以下になったサブシステムでは、各人に固定的な役割を担 わせず、流動的なタスク処理を基本とする。そこでは活発な意見交換や議論が期待さ れ、それを円滑に進めるためのコーディネーター的な面も各人が担うことになる。グ ループごとの人の移動は必ず自由にし、多様性の保持と活性化を促すことも重要であ る。
 それぞれのサブシステムは可能な限り下位のサブシステムに権限委譲し、その代 わり情報開示の義務を課する。つまりある程度のことは逐一上位システムに相談する ことなく実行でき、そのプロセスや結果が上位システムがいつでも参照できることが 重要なのである。また、サブシステム内で議論が収束しなければ、問題を一つ上位レ ベルのサブシステムへと移行することができる。
 ここで特に重要なのは、サブシステムは刺激反応的ではなく自律的に動くという ことである。従来のヒエラルキー構造のように、すべてのタスクを上位システムから 命令されるというのではなく、自律的に自分たちの取り組むべき問題を発見し、解決 していく姿勢が重要なのである。そのため、それぞれのサブシステムは時と場合によ り、様々な役割を担うことになるのである。
 以上のような構造では、二つの意味で複雑系型の構造であるといえる。まず一つ は、全体のシステムを複雑系としてとらえる視点であり、全体のシステムの動向によ って構成要素であるサブシステムの機能(役割)が変化する構造になっているとみるこ とができる。もう一つは、各サブシステムを複雑系としてとらえる視点であり、その 内部に属する人間が構成要素として機能を変化させていくという視点である。
 このような二重構造は、巨大システムの分散化の実現可能性を考慮したものであ る。ベンチャー企業のような小規模の組織ならば、単純な複雑系型の組織構造が可能 である。実際、活発なベンチャー企業や昔の活発な企業というものは、一人の人間が 多くの役割を同時にこなし、しかもその与えられた役割を超えたことにも自発的に取 り組むという複雑系型の組織形態になっている。しかし、ヒエラルキー構造をつくり、 全体として効率的な役割分担をしなければならなかった大企業の場合は、マネジメン トの問題や扱うタスクの規模の問題から、単に小規模の企業のようなフラット化を推 し進めるということは現実的ではない。そのため、複雑系の二重構造という形で、あ る程度のヒエラルキー構造を残しつつ、柔軟なサブシステムへの分散化を行なってい くことが望ましいのである。
 ここで提言したサブシステムへの分散化は、効力感の育成のためにも不可欠なこ とである。既に述べたように、効力感が育成・維持されるためには、社会的システム の中で絶えずOPT(オン・ザ・プロブレム・トレーニング)ともいえる問題解決と 試行錯誤の過程が経験できる仕組みになっていなければならない。全てが巨大化した 社会においては実現が難しい効力感の生成メカニズムも、分散化された緩やかな「あ そび」のある社会においては組み込みが可能なのである。人々はサブシステム内での 試行錯誤によって、効力感の育成を行なうことができるようになるのである。

(2)ボイス・アブソーバーの設立、およびポリシー・インキュベーターの役割強化

 社会が自己変革を遂げるためには、どのように変革するかのビジョンがなければ ならない。しかし、日本社会にはビジョンの創造力が圧倒的に欠如している。この社 会的欠陥を修復するために、社会的なコラボレーションの仕組みを構築する必要があ る。そこで私は、「ボイス・アブソーバー」(声の吸収装置)という社会装置の設立、 および「ポリシー・インキュベーター」(政策孵化装置)という役割の強化を提案し たい。
 ボイス・アブソーバーとは、人々が考えたシステム改善のアイディアなどを吸収 し、公表していく組織である。ここでいうボイスとは、人々のニーズや工夫、意見、 理論など、思考の断片のことである。ボイス・アブソーバーは、発言オプションのボ イスをアブソーブ(吸収)する目安箱のような存在といえる。
 ボイス・アブソーバーが受け入れるボイスの内容は、政治システムや生活、欲し いサービスやビジネスに関する意見など、様々な領域をカバーする。例えば、「投票 をすると千円もらえるのならば人々はもっと投票に行くのではないか」、「○○駅周辺 は学生の一人暮らしが多いため、健康的な惣菜屋が欲しい」、「空缶・空き瓶を毎日捨 てられるようにして欲しい」などの身近なものから、国政に関するものまで、あらゆ るものが提案できる。このようにボイス・アブソーバーでは、会社員であれ、主婦で あれ、学生であれ、それぞれの立場から出てきたアイディアを有効に活かすことがで きるのである。
 ボイス・アブソーバーでは、提案されたあらゆるボイスをフィルタリングせずに 公開する。そして、一般市民や後に述べるポリシー・インキュベーターからのアクセ スを受け入れ、それぞれの要求に応じた検索を行なえるような情報システムを備えて いることが重要である。二十四時間いつでもボイスを受け入れたり、あらゆる手段に よって受け付ける必要がある。電話やFAX、電子メールで送ることもでき、直接訪 ずれることも、また街の中継所やスーパーなどで書き込むこともできるようにするな ど、人々の心理コストを軽減するための配慮が求められる。そして、ボイス・アブソ ーバーは、様々な手段で提出されたボイスを、一貫した情報データベースになるよう に管理するのである。
 このボイス・アブソーバーという社会装置は、政府や民間企業が行なっても構わ ないが、中立性を保つ意味でも複数のNGOが設立することが望ましいと思われる。 いずれにしても、このボイス・アブソーバーの組織が日本全国に存在することにより、 日本社会に欠けていた発言オプションを実現することができ、社会の自己変革能力を 支える柱となる。
 次に私が強調したいのは、ポリシー・インキュベーターという役割の強化である。 ポリシー・インキュベーターとは、社会や組織の政策をインキュベート(孵化)させ る役割の組織・人を指している。ポリシー・インキュベーターは、ボイス・アブソー バーの情報をもとにボイスを実際の政策提言や組織づくりに活かす役割を担う。具体 的な主体は、政治家、官僚、経営者、研究機関、学者、マスコミなどが考えられる。 様々な人々が提案した一貫性のないアイディアの山を参考にして、一貫性のある政策 に加工するのである。このポリシー・インキュベーターを機能させるために、優れた 政策集団の育成や教育改革などが早急に必要であるといえる。
 ここで、創造性を引き出すためのプロセスを考慮に入れて、ボイス・アブソーバ ーとポリシー・インキュベーターの位置づけについて考えてみたい。創造性(クリエ イティビティ)とは、関係ないものを結び付け、それに意味付けができることといえ る。創造的な思考プロセスは、発散思考段階と収束思考段階に分けて考えることがで きる [8]。
 発散思考段階は、自由な発想で断片的なアイディアを多く持ちより、多様性を生 み出す段階である。一方、収束思考段階は、一見関係ないように見える断片どうしを をつなぎ合わせ、その意味や有効性を考える段階である。一人の人間が行なう場合に は、なかなかこの奇抜な結び付けや意味付けに気づきにくいが、複数人で行なう場合 には、異なる視点や世界観が有効に働く。発散段階で知識を共有したりアイディアを 出し合い、収束思考段階ではそれらを元に最終的なコンセンサスを生み出すのである。 特に、複数の人間が発散段階に参加した場合には、ちょっとしたアイディアが共鳴反 応を引き起こし、他の人の発想に刺激を与えることになる。そしてその人の発言が、 さらにまた他の人の刺激になる、というコラボレーションにおける共鳴効果が期待で きるのである。
 社会において新しい仕組みや概念を生み出す創造的な過程は、いわば「ソーシャ ル・コラボレーション」と呼ぶことができる。特に、その過程の中で、発散思考段階 のことを「ソーシャル・ブレインストーミング」と呼ぶとすると、ボイス・アブソー バーは、このソーシャル・ブレインストーミングのためのメディアという位置づけに なる。これに対し、政策作成を行なうポリシー・インキュベーターの強化は、収束思 考段階を担うものであるという位置づけになるのである。

(3)効力感を育成する教育への改革

 社会システムが自己変革能力をもつためには、システムの改革だけではなく、そ の構成員である人間が効力感をもたなければらないということは既に述べた通りであ る。この効力感を育成するためには、根本的な教育改革を推進することが必要である。 これは子供の教育だけに限らず、社会人の大学・大学院への再入学や生涯教育など、 あらゆる世代に関する広義の教育に及ぶ。
 効力感を育成する教育では、暗記型の学習だけではなく、発見や驚きを自分で探 し出し、その意味を自分自身で組み立てていくプロセスを体験学習させることが重要 になる。従来の暗記型学習にように、教科書に書いてある問題や答え、そしてその意 味・解釈などを従順に吸収するだけではなく、自分のアングルで世界を眺め、小さな ものでもよいから自分なりに問題を発見し、解決のために試行錯誤することが重要な のである。このような過程を通じて得た小さな成功体験の積み重ねにより、人は効力 感をもつようになり、より大きな問題へと挑戦・参加する気が起きるのである。
 授業では、実際に街やフィールドに行って自ら体験するフィールドワークや、人 とのコラボレーションの場であるグループワークを増やすような方針をとるとよいだ ろう。特にグループワークは、他の人の視点との違いや議論の有効性を実感するだけ でなく、効力感を高めるためにも有効であることが知られている [3]。これらの新し いタイプの教育についてはさまざまな研究や提言がなされているので、現在、それら を実際にいくつかの学校で導入していく時期にきているといえる[3] [9] [10] [11]。
 このように、教育改革は社会の自己変革能力にもとめられる個人の自発性や創造性を 引き出すための重要な鍵になるのである。

(4)人々の心理コストを考慮したシステム設計の奨励

 社会におけるシステム設計の際には、人々の行動を誘発する工夫を組み込むこと を奨励したい。人々が心理コストを感じずに参加するためのシステムの工夫や、イン センティブやモチベーションを高める仕組みをつくるべきなのである。従来言われて きたような「べきだ」論を中心としたモラルに頼るシステムは、ある意味傲慢である といえる。それはシステム中心の考え方であり、その中で動く人間のことをシステム 側に引き寄せようとする思想がある。人々が自発的に社会に参加するためには、シス テム中心の思想から人間心理中心の思想に移行しなければならない。
 人々がコストを感じることなく、自律的に動けるような仕組みは、ちょっとした 工夫で実現できる。例えば生活レベルでは、最近、「缶・瓶」、「雑誌」、「その他」の 三つのごみ箱を一体化させたごみ箱によって、心理コストを感じることなくゴミを分 別することが可能になった。また企業のシステムにおいても、アメリカでは今年千社 以上の企業が、株主総会においてインターネットを利用した参加を認めたところ、株 主が参加しやすくなったという事例がある。政治に関しても、一九九八年の参議院選 挙で、不在者投票の時間帯が延び、さらに従来の出張や冠婚葬祭・入院中といった不 在の理由の選択肢にレジャーやボランティア活動などが加わったことから、不在者投 票が四百万人に達したという報告は記憶に新しい。
 結局のところ社会を構成するのは人間であり、社会を変革するのも人間自身であ る。そのために必要な自律性の獲得・維持を、社会への効力感の育成メカニズムと、 システムの工夫によって支援することができるのである。



7. 自己変革能力のある社会システムのラフスケッチ

 ここでは、提言の具体的なイメージを示すことによって、期待される効果のラフ スケッチを提示したい。自己変革能力を内在させる社会システムの実現のために、私 は次の四点の提言を行なった。

 (1)自律的なサブシステムへの分権化
 (2)ボイス・アブソーバーの設立、およびポリシー・インキュベーターの役割強化
 (3)効力感を育成する教育への改革
 (4)人々の心理コストを考慮したシステム設計の奨励

 まず、(2)のボイス・アブソーバーの設立は、政治や経済に対する新しい刺激とな ることは間違いない。従来、政治への働きかけといえば投票行動が基本であった。投 票は、表明された複数の政策ミックスの中から望むものを選択する行為であるり、ハ ーシュマンの社会変革オプションの視点でいうならば、退出オプションの行使という ことになる。また、創造的思考プロセスの視点でいうならば、選択肢の絞り込みであ る収束思考段階への参加ということになる。つまり、人々は表明された政策案の質が 悪くても、基本的にはその中から選択しなければならず、全く新しいアイディアや政 策案を盛り込むということはできないのである。
 従来は政策案を作成するという創造的な行為は一部の知識人や政府だけによって 行なわれてきた。その複雑で専門性の高い作業内容から、プロフェッショナルに任せ るのが当然であると思われてきたためである。しかし、創造的作業を発散思考段階と 収束思考段階とに区別して考えるならば、プロフェッショナルではない人々も発散思 考段階には参加できるのではないだろうか。いや、むしろ参加すべきなのである。 なぜなら、個々人が積極的に発言することなしに、大規模な社会システムが全体 の状態を正しく認識することは非常に困難なことだからである。数人のグループなら ば、お互いが何を考えているかはなんとなく理解できるであろうが、もはや一億人を 超えた国では、黙っていては社会がどのような状況で、何を望んでいるのか、という ことなどわかるはずもない。戦後からの高度経済成長時代のような経済成長一本槍の 時代には、人々の向いている方向が同様であるから、この問題はそれほど深刻なもの ではなかったのだろう。しかし価値観の多様化が進んだ現代では、人々の多様な指向 のすべてを暗黙のうちに反映することは不可能である。社会システムの自己認識のた めにもボイス・アブソーバーが非常に有効なのである。
 またボイス・アブソーバーは、経済分野に対するインパクトをももっている。今 までサプライサイドの視点しかなかったニュービジネス論において、デマンドサイド を考慮に入れた新しい展開が期待されるのである。人々は商品やサービスを選ぶこと で、サプライサイドの企業と商品・サービスを選択し、退出オプションを行使してい るのであるが、この商品選択というのは投票の例と同様にあくまで供給されたものの 中からの選択にすぎない。つまり欲しいものがない場合には、人々は代替物を購入す るか、あるいは諦めるということになる。ここにビジネスチャンスがあるのだとすれ ば、需給の不一致は社会経済にとっても購入できなかった人々にとっても損失だとい えるだろう。また、他の人の提案によって、心のどこかでは欲していたが自分ではイ メージできなかった商品やサービスが明確化されることもあるだろう。これはソーシ ャル・コラボレーションの共鳴効果の一例といえる。生活のふとしたときに欲した商 品やサービスをボイス・アブソーバーに提案することができれば、それをチェックし ている起業家は新しいビジネスを開拓できるだろう。このように、ボイス・アブソー バーの設立は、社会にとって様々な面で刺激になるのである。
 次に、地方分権について、(1)の自律的なサブシステムへの分権化の視点から具体 的な提言を導きたい。それは、地方分権の暗黙の前提となっている全国一律の分権化 という発想を捨てるべきであるというものである。
 現在日本にある三三〇二の自治体の首長に対するアンケートによると、現状の態 勢で地方分権に十分に対応できるのは大都市を中心に一一・五%、周辺自治体などと 連携すれば対応できるのが二三・六%、都道府県の協力があれば対応できるのが二六・ 二%であるという[12]。逆にとらえると、約四割の自治体が自治に対応する自信がな いと解答していることになる。現状では、小規模な自治体は財源や人手の不足を理由 に地方分権に不安を抱いており、また中央省庁側にも自治能力の面から地方分権の困 難を主張する見解もある。
 実際問題として、自治体によっては自治という荷が重過ぎるところもあるだろう。 だからといって地方分権を放棄してしまったり、底辺に基準を合わせるということを してしまっては、分権化の意味がなくなってしまうのである。この現実を踏まえた上 で、地方分権においては全国一律の分権化という発想を捨て、自らの基準を定め自発 的に分権を引き受ける自治体から徐々に分権化を始めていくべきなのである。このこ とは「与えられた分権」から脱却し、自ら獲得する分権の視点への移行を意味してい る。これは自治体の効力感の側面からも有効な手段であるといえる。官官分権に限ら ず、その機能を民間やNGOに分権してくことも可能であるため、実質の伴ったPF I(Private Finance Initiative)の導入なども推進することが望まれる。
 今求められている複雑系型社会のためには、構成要素である自治体は従来のよう な指示待ち体質ではなく、自らを束縛するルールの変更さえを提案する自律的な自治 体であることが強く望まれているのである。そうである以上、ナショナルミニマムは 目標ではなくあくまで前提としてとらえ、その上に積み上げる地域間の付加価値には 格差が生じて当然である、と考えていく必要があるだろう。もともとすべての自治体 は、規模や人口構成、気候、交通や地域インフラなどが異なるのであるから、望む政 策や実行可能な政策は多様なはずである。ローカリティ(局所性)のもつ本来の意義 を再び考え直すことが重要である。
 そして、複雑系型の分権社会の構造においては、中央省庁は指示を与えるディレ クターではなく、自治体がそれぞれの基準で政策決定を行なえるように大枠の調整を 行ない、個々の活動が円滑に進むようにサポートするプロデューサーとしての役割を 担うべきなのである。



8. 創造的社会へ

 従来の経済は大量のインプットによって発展してきた経済社会であった。つまり 大量の資源を投入し、膨大な人材や労働時間を投入することによって成長を遂げるこ とが可能だったのである。これは日本に限らず多くの先進国の歩んできた道でもある。 海外からの投資や技術移転によって急成長したアジア諸国も、知的人材の流入による 人的資源や環境資源を投入して成長してきたアメリカも、同様に大量のインプットに よって成り立っている社会なのである。
 しかし現在私たちは、資源枯渇や環境破壊という環境問題や、高齢化・少子化の 問題によって、大量投入型経済の限界に直面している。しかも、人々は生活必需品を 一通り買い揃えたため、モノが売れなくなってしまっているというのも事実である。 しかし、そのような事情とは裏腹に、私たちの社会はモノを作り続けないと存続でき ない社会なのである。
 これから将来、私たちはモノを作らなくても巧くまわる社会を模索していかなけ ればならない。それは、おそらくサービスや知的財産などに経済の中心をシフトして いく社会であろう。そのような社会では、いかに少ないインプットだけで創造的なア イディアを生み出すか、という人的資源の活性化、創造性の開拓という方向性が見え てくる。このためには、多くの発想やアイディアを生み出すための社会システムや、 人々の創造性を育成する教育などが求められるのである。
 最近私は、戦後の日本社会は経済発展のカラオケを歌っていたのだと考えるよう になった。言うなれば、欧米のつくった経済成長という歌をよりうまく歌うための技 術を磨いたにすぎなかったのである。カラオケとはお手本により近づくための最適化 でしかなく、日本が得意の最適化、効率化の思想であったのである。しかし今私たち に求められているものは、既存の歌をいかにうまく歌うかではなく、自分たちの歌を いかに創り出すのかということである。これは想像力が貧困になった社会には大きな 試練であるが、避けて通ることはできないものである。
 創造的社会への変革は、多くの人々の社会的なコラボレーションによってはじめ て実現する壮大な社会プロジェクトである。そのための仕組みづくりを、今私たちは 始めなければならない。
 一体、私たちはどのような社会を目指していくのか。そのこと自体を私たちは社 会的なコラボレーションを通じて紡ぎあげていくのである。創造性、これこそが鍵で ある。


参考文献

[1] カレル・ヴァン・ウォルフレン、人間を幸福にしない日本というシステム、毎日新聞社、一九九四
[2] ハーシュマン、組織社会の論理構造、 ミネルヴァ書房、一九七五
(邦訳では"voice"を「告発」としているが、本論では、邦訳者の三浦隆之も訳注で代替案として提示している「発言」の訳語を採用する。)
[3] 波多野誼余夫、 稲垣佳世子、 無気力の心理学、 中公新書、 一九八一
[4] 宮田加久子、 無気力のメカニズム、 誠信書房、 一九九一
[5] セリグマン、 うつ病の行動学:学習性絶望感とは何か、誠信書房、一九八五
[6] 井庭崇、 福原義久、 複雑系入門 、 NTT出版、 一九九八
[7] 週刊ダイヤモンド編集部+ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス編集部 共編、 複雑系のマネジメント、 ダイヤモンド社、 一九九八
[8] 印南一路、すぐれた意思決定、 中央公論社、 一九九七
[9] ロバート・B・ライシュ、 ザ・ワーク・オブ・ネーションズ、ダイヤモンド社、一九九一
[10] 半田智久、 知能環境論、 NTT出版、 一九九六
[11] 宮台真司、透明な存在の不透明な悪意、春秋社、 一九九七
[12] 共同通信社内政部 編、 全国自治体トップアンケート '98 、 共同通信社、 一九九八