『芸術と政治をめぐる対話』(エンデ × ボイス)がかなり刺激的だった

2011.01.24 Monday 23:50
井庭 崇



このように、定義も方向性も違っているわけだが、僕はそのどちらにも共感を覚えた。いや、「共感」という言葉では、うまく言い表せていないかもしれない。だって、僕が考えてきたことや考えていることが、まさにそこに文字として書かれていたのだから。

しかも興味深いことに、この対談のやりとりを読んで、3年前の自分と今の自分が対話しているような錯覚さえ覚えた。大雑把にいうならば、3年前の自分がボイスで、今がエンデだ。(恐れ多いが…^^;)

この対談には、魅力的で力がある言葉が詰まっている。少し紹介したい。

「私に言わせれば、創造的であるというのは、要するに、人間的であるということにほかならない。」(エンデ:p.19)

僕の研究の根本的な問いは「創造的とはどういうことか」というものであるが、それは「人間的である」ことだ、と最近行き着いた。要素に還元はできない。全体性との関係でしか定義できない何か。その点について、エンデは、次のように語る。

「美の領域で創造的であるというのが、芸術家の特性なのです。では、美とはなにか、もちろんそれは ???ほかのその種の概念とおなじく???定義できない。美の概念に境界はない。つねに新しくつくりあげられるしかないわけです。真理とはなにか、その定義も不可能です。善とはなにか、その定義も不可能です。ユニバーサルな概念ですからね。全体にかかわる概念ですからね。私に言わせれば、美というものはつねに、???まあ、これも言葉にすぎないわけですが???心、頭、感覚の全体性がうちたてられる場所に成立するのです。いいかえれば、人間がもとの全体性にもどされた場所で、成立するのです。」(エンデ:p.22)


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