アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチとパターン・ランゲージ

2014.05.04 Sunday 15:45
井庭 崇



ここでいう「機能」とは、「ある状態になること」や「何かをすること」を指しており、例えば、充分な栄養を得られること、健康状態にあること、回避し得る病気に悩まされていないこと、早死にしないことといった基本的なことから、自尊心をもてることや社会生活に参加できることなどが考えられる。

センは『正義のアイデア』のなかで、「我々の暮らしを評価する上で、現実の生活スタイルだけでなく、様々な生活スタイルから実際に選択可能な自由についても関心を持つ理由がある」といい、「我々の暮らしの性質を決定することができるという自由」に目を向けることの重要性を説いている。

センは「所得と富は、人の優位性を判断するには不適切な指標であるということは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』でもはっきりと論じられている」と指摘した上で、「富は、それ自身、我々が価値を認めるものではない。また、我々の富を基礎として、我々がどんな暮らしを達成しているかを示す良い指標でもない。」とした。そうではなく、「彼らが享受することのできるケイパビリティ全体を見る必要がある」のである。

「ケイパビリティ・アプローチの焦点は、最終的に実際に行ったことだけにあるのではなく、実際に行うことのできること(実際にその機会を利用するしないにかかわらず)にある」のである。

「功利主義的伝統では、すべての評価を、『効用』という同質的な量に変換し、厳密に一つのものとして『数えること』(多いのか、少ないのか)で、安心感をもたらしてきたが、一方で、多くの異なる『良いものの組み合わせ』を『評価すること』(この組み合わせは、より価値があるかないのか)の取り扱い難さに対して疑念を生み出してきた。」とセンは言う。しかし、「我々にとって価値があると考える理由のあるすべてのものを一つの同質な量に還元することはできない」のである。

[7] << [9] >>
-
-


<< 【映像公開】小阪裕司×井庭崇対談「創造社会論:商い」
パースのアブダクションとパターン・ランゲージ >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]