パースのアブダクションとパターン・ランゲージ

2014.05.04 Sunday 15:53
井庭 崇



しかしながら、可謬性の高い推論であるとはいえ、仮説はでたらめにつくられるのではない。「アブダクションはたんなる当てずっぽうな推測ではなく、それはある明確な理由または根拠―つまり『そのように考えるべき理由がある』、『そのように考えるのがもっとも理にかなっている』、『そのように考えざるをえない』というふうに納得できる合理的な理由または根拠―にもとづいて、仮説を提案しています。このようにアブダクションは意識的に熟慮して行われる思惟(reasoning)であり、そういう意味で論理的に統制された推論(inference)である」(米盛)。

パース自身も「仮説(アブダクション)はあらゆる意味において推論である。正当なものであれ不当なものであれ、ある理由があって採用されているのであり、そしてその理由は、そのようなものとして考えられる場合には、仮説に対してもっともらしさを与えているからである」という。

このように、アリストテレスによる演繹の論理学と、F・ベーコンとJ・S・ミルらによる帰納の論理学に加えて、パースによってアブダクションによる探究の論理学が創設・確立されたのである。


パターン・ランゲージを「つかう」過程におけるアブダクション

ここで考えてみたいのは、パターン・ランゲージとアブダクションとの関係である。第一に、パターン・ランゲージがどのようなアブダクションをもたらすのか、第二、パターン・ランゲージをつくるときにはアブダクションがどのように行われているのか、ということである。

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