パースのアブダクションとパターン・ランゲージ

2014.05.04 Sunday 15:53
井庭 崇



それゆえ、観察・経験からパターンを捉えるということは、機械的な作業では断じてないのである。パターンを捉えるということは、創造的想像力を駆使しながら論理的操作を行うという知的・創造的な営みなのである。パターンも、ヘンペルが科学的仮説や理論について述べた「観察された事実から【導かれる】のではなく、観察された事実を説明するために【発明される】ものである」ということになる。

パターン・コミュニティでよく、「パターンは発明(invent)するものではなく、発見(discover)するものである」ということが言われるが、この言葉を聞くときに、僕はいつも違和感を感じるのは、以上の理由による。

もちろん、アブダクションは「発見の論理」であると言われるように、発見の仮説形成における拡張的推論である。それゆえ、「発見(discover)するものである」に含まれるわけであるが、他方で本来は発明(invent)の要素も多分に含まれているはずなのである。

それゆえ、「発明」か「発見」かという二分法はミスリーディングである。そのため、僕はこの二分法で語ることはしないようにしている。パターンを捉え・書くということは、(アブダクションの意味で)「発見」であり「発明」なのである。

以上見てきたように、パターンをつくるときにも、それを用いるときにも、アブダクションによる遡及的な推論が重要な役割を担っている。このことから、パターン・ランゲージはプラグマティズムで言われる「探究」(inquiry)のためのメディアであるということもできるだろう。

[7] << [9] >>
-
-


<< アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチとパターン・ランゲージ
パースのプラグマティズムからみたパターン・ランゲージ >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]