パースのプラグマティズムからみたパターン・ランゲージ

2014.05.05 Monday 00:03
井庭 崇



「信念」は、パースの言葉を借りると「私たちの知的生活というシンフォニーを構成するひとつの楽句をくぎる半終止」だということができる。

しかしながら、「信念は行動のための規則(a rule for action)であって、この規則を行動に適用すればさらに疑念が生じ、したがってまた思考が生じるので、信念は思考の終着点であると同時に新しい出発点である」という側面も併せ持っている。

別の言葉でいうならば、信念とは、「我々の本性の内に我々の行為を決定する何らかの習慣が確立していること」(パース)であり、「信念は我々の欲求に応じて何らかの行為を遂行せよという指針を与える効果を有する」(伊藤)のである。

それゆえ、「疑念」から始まり、「探究」によって「信念」の確定がなされた後は、「行為」によって新たな「疑念」が生じ……ということが繰り返されることになる。

パースは「探究の唯一の目的は信念の確定である」という。これは、探究は「真理(truth)の把握を目指すのではなく、信念、つまり行為への傾向性(習慣)の確定を目指す」(伊藤)ということを意味している。

そしてパースは、「人間認識は信念の確定のための認識作用であるかぎり、我々の実際的行為への関わりを明示したものとなって初めて明晰なものとなり得る」とした。これが、パースのいうプラグマティズムの格率(=実践の原則)である。

ここで、「探究」で目指される信念というのは、行為への傾向性、つまり、習慣のことであるから、思考を明晰にするということは「その思考が究極的にはいかなる習慣を規定するのかを明らかにすることである」(伊藤)といえる。

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