Creative Reading:『探求の共同体』(マシュー・リップマン)

2014.12.30 Tuesday 00:28
井庭 崇



まさに、井庭研のプロジェクトで起きていることそのものである。

そして、興味深いのは、「その対話の流れは、思考の流れに似てくる」という指摘である。そして、参加者は「その対話の流れこそが思考であると考えるようになっていく」という。これが、コラボレーションによる創造である。僕に言わせれば、その「コラボレーションによる創造」と「思考における創造」は、単にアナロジカルに似ているというのではなく、創造の観点からみるとそれらは同じ過程である。そのことを直接的に指摘するのが、僕の「創造システム理論」である。

それはどういうことかを、以下の引用を出発点として考えてみたい。

探求のテーマとなった事柄については、私たちはもはやそれまでの信念を持ち続けることができない。一度探求が始まれば、信念をいったん保留させるような証拠が提示され、探求が締めくくられるまでは、何事も疑ってかかることが行われなければならないからだ。探求を進める中でたえず自己修正を繰り返し、それがいろいろな形で落ち着くことによって、むやみな懐疑主義に陥る土壌も徐々になくなっていくだろう。あるテーマについての探求の終わりに、問いが解決されて結論に至ることで、また探求の結果、再構築され、さらに練り上げられた新たな信念を持つこともできるようになるだろう。(p.60-61)


ここが、本書のベースとなっているチャールズ・S・パースのいう「探求」(探究:inquiry)と、僕の「創造システム理論」が重なる部分である。創造システム理論では、何かをつくるとき、何らかの発見(気づき:discovery)が連鎖的に続いていく。ここでいう発見というのは、「科学的発見」や「発明」というような「大きな発見」(Discovery)というよりは、そのプロセスにおける小さな気づき(discovery, finding)のことを指している。どのような大発見も、その過程においては、小さな発見(気づき)が無数生じている。それらの発見は、あらゆる発見が起き得るのではなく、その当該の創造に関わる発見だけが、その創造において意味をもつ。それをシステム理論的に捉えるならば、創造は発見の連鎖であり、その発見は現在進行形の創造の要素として生じるという意味で「オートポイエティック」(autopoietic)であるというのが、創造システム理論で主張していることの本質である。発見の連鎖が創造プロセスの本質であるが、その発見は現行の創造に依存している。この円環的な関係を表すシステム理論の概念が「オートポイエーシス」(autopoiesis)なのである。

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