Creative Reading:『探求の共同体』(マシュー・リップマン)

2014.12.30 Tuesday 00:28
井庭 崇



さて、本書のテーマは探求であり、それは創造性に関わるので、創造的な思考についての考察も多い。なかでも、橋渡し、転移、翻訳などで求められる「アナロジーを用いた推論能力」についての次の指摘はとても重要だ。

このようなスキルは、科学的領域だけでなく、芸術や人文学の領域でも必要となるものであり、創造的スキルの中では最も包括的なものであり、分析的スキルの中では最も想像力を用いるものである。異なった体系間の翻訳やその中での知識やスキルの転移には、創意工夫に富む、柔軟な知性が必要とされる。そうした知性を育てるには、今私たちがたとえば算数の教育に注ぐのと同じだけの熱心さでアナロジーを用いた推論能力を育む実践に取り組む必要があるだろう。(p.74)


この部分が重要なのは、単に「柔軟な知性」の重要性を指摘しているからではない。そういうことは、これまでにもたくさん論じられてきた。そうではなく、「算数の教育に注ぐのと同じだけの熱心さでアナロジーを用いた推論能力を育む実践に取り組む必要がある」という主張なのである。いまの個別教科・個別分野の勉強と同じくらいの熱心さで、アナロジーによる推論を実践するような教育が必要であるという話なのだ。知っての通り、現在の学校教育では、このような実践はなされていない。

興味深いことに、井庭研ではまさにこういうことを日々実践している。ばらばらな出所の様々な経験たちに類似性を見いだしてパターンとして抽出したり、分野を超えてパターン・ランゲージの方法が活用しようと試みたりしているなかで、まさにアナロジーによる推論を日々実践しているのである。新しいテーマのパターン・ランゲージのプロジェクトを始めるときには、建築について書かれたアレグザンダーの著作を読みながら、学びやプレゼンテーションやコラボレーション、生き方などの話として読み替えてみる、というようなこともする。つまり、リップマンが言うような「算数の教育に注ぐのと同じだけの熱心さでアナロジーを用いた推論能力を育む実践に取り組む」ためには、「自分たちなりのパターン・ランゲージをつくる」という教育がひとつの手段として有力だと考えることができるだろう。

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