瞑想とオープンダイアローグ:ティク・ナット・ハン『ブッダ「愛」の瞑想』を読んで

2018.03.09 Friday 09:41
井庭 崇


ティク・ナット・ハン師の『ブッダ「愛」の瞑想』を読んだ。瞑想についての理解が深まるだけでなく、そこに書いてあることは、オープンダイアローグに通じる話であった。

僕はこれまでも、オープンダイアローグの状況においては、対話のなかでマインドフルネスの状態が起きているだろうと感じていたが、ティク・ナット・ハン師のこの本のなかで、まさにそれに関係する記述を見つけた。やはり通じていると思う。

サンスクリット語で「サムヨジャーナ」というう「苦しみのかたまり」についての箇所で、次のように語っている。

「『サムヨジャーナ』とは、わたしたちの心の中にあう『苦しみのかたまり』のことであり、『心のしこり』とも訳されます。」(p.60)

「わたしたちの日々の言動の中には、愛する人の中にしこりを残すようなものもあるかもしれません。そのままにしておくと、その苦しみや痛みのかたまりは大きくなっていくことがあります。すると、あなたの愛する人はいつ爆発してもおかしくない、爆弾のような存在に変わってしまいます。たったひと言二言が引き金となって怒りを爆発させるので、そのうちそばに近寄ることも話しかけることもこわくなってしまいます。実はその人は苦しみでいっぱいだから、爆発してしまうだけなのですが---。」(p.60)

「ふだんの生活の中で深く聴くことは、瞑想そのものです、気づきの呼吸を実践し、自分の中に平和で安定した生きた慈悲を持ちつづけたいと本気で願うなら、深く聴けるようになります。」(p.61)

「人の苦しみは、誰かに本当に話を聴いてもらうまで終わりません。あなたが愛する人にとって、それができるのはあなたです。あなたこそ、その『だれか』なのです。」(p.61)


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