自ら「つくる」ことで経済から離れる「卒 資本主義」への創造社会ヴィジョン

2020.12.04 Friday 14:08
井庭 崇


image[GradCapitalism.png]

最近、井庭研の大学院生たちと『人新世の「資本論」』(斎藤 幸平, 集英社新書, 2020)や『日本の大転換』(中沢 新一, 集英社新書, 2011)などを読み、資本主義の外部である自然の搾取や、その結果としての環境問題について議論している。資本主義は貪欲に外部を内部に取り込み搾取しながらどんどん拡大していく。もともとそのような運動性を内在していたわけだが、原発という無尽蔵なエネルギー源をもつことで、その拡大はさらに歯止めが効かなくなり、「暴走」に近いような状態となった。このような資本主義に対し、「脱・資本主義」や「脱成長」という議論がしばしば聞かれる。僕らが1990年代に取り組んでいたような話が、再燃しているような印象を受ける。地球温暖化の話題とあいまって、喫緊の課題である危機感はより高い。そんなわけで、最近、昔、環境・エネルギー問題にともに取り組んでいた熱い友人と、どうしたらいいだろうという話をしたりしている。

このような話をしているなかで、僕が一つ不思議に思ったのは、なぜ経済システムだけがここまでの猛威を振るう存在となっているのか?ということだ。僕が依拠している社会学者ニクラス・ルーマンの機能分化した近代社会像で言うならば、経済システムは、並列して動くいくつもの機能システムの一つにすぎないはずだ(機能分化の近代社会像については『社会システム理論:不透明な社会を捉える知の技法』の序章で紹介しているので参照してほしい)。それにもかかわらず、これほど影響が大きいほど、大きな力を持っているのだろうか? まず、そのことが疑問に浮かんだ。そこから考えを深めていくと、社会の新しいあり方へのシフトの糸口がつかめてきた。まだ大雑把な段階ではあるが、そのヴィジョンの覚書として、ここに書き記しておきたい。

[9] >>
-
-


<< Syllabus: DESIGNING SFC SPIRITS (GIGA) 2020 - Keio SFC
2020年を振り返る:成果発表・活動等一覧 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]