中動態で表されるべき「創造」(深い創造)

2021.02.13 Saturday 13:07
井庭 崇


最近の僕の「創造の研究」において、創造と中動態の関係について考えていて、とても重要な気づきがあったので、そのことを書き留めておきたい。

中動態で表されるべき「創造」(深い創造)の話である。

今回は「深い創造の原理」の話は省略するが、中動態に関わる面だけを取り上げて、わかりやすくシンプルに述べていきたいと思う。

image[DeepCreation_MiddleVoice.png]

スティーブン・キングは、小説を書くときのことについて、次のように語っている。

「結末を想定している場合もあるが、作中人物を自分の思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうではない場合も少なくない。」(スティーブン・キング『書くことについて』)


日常的な感覚では、にわかには信じられないことであるが、実は多くの作家・芸術家が同様のことを言っている。つくり手は、頭の中にあるものを外化しているというわけではなく、自分が「ああしよう、こうしよう」と考えていることを文字や絵で表現しているといわけでもないと言う。

そうではなく、つくっている何か・作品そのものが展開し成長するのに寄り添い、伴走し、それを見守り、支援する、そういうことをしていると言うのだ。

つまり、それは、「創造」というものが、単に能動態で表されるような事態ではない、ということを表している。

他方、こういうことを言う作家もいる。

[9] >>
-
-


<< 2021年春学期 井庭研「ナチュラルにクリエイティブに生きる未来に向けて」シラバス
慶應義塾大学SFC「パターンランゲージ」2021シラバス >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]