中動態で表されるべき「創造」(深い創造)

2021.02.13 Saturday 13:07
井庭 崇



建築家のクリストファー・アレグザンダーも同様のことを述べている。

「あなたの頭は一つの媒体である。そこでパタンと現実世界との間の創造の火花をちらすことができる。あなた自身は、この創造の火花の単なる媒体にすぎず、その発生源ではない。」(アレグザンダー『時を超えた建設の道』)

「人は単なる媒体にすぎず、そこでパタンに生命が吹き込まれ、ひとりでに新しい何かが生み出されるのである。」(アレグザンダー『時を超えた建設の道』)

「だが、いったん肩の力を抜き、自分が媒体になったつもりで、自分を通してその場のさまざまな力を作用させてみれば、何の助けも借りず、ランゲージがほとんどすべての作業を行い、建物が自力で形成されることが分かるのである。」(アレグザンダー『時を超えた建設の道』)


このように、「創造」が自分を場(座・媒体)として起きるのである。

createという動詞がインド=ヨーロッパ語や、古代ギリシア語、サンスクリット語などでどのような態で使われどのような意味を持っていたのかは、いまの僕にはわからない(なので、サンスクリット語を勉強しようと思って、最近いろいろ入門書や文法書を買い集めている。インド=ヨーロッパ語や古代ギリシア語なども、わかる人がいたら教えてください)。

しかし、僕が思うに、おそらくcreateというのは、中動態に合う動詞であっただろうと推察する。

もともと動詞は、人間の行為ではなく、出来事を表す言葉であったことが知られている。のちに能動/受動のフレームのなかでは、それが主語に紐づけられ、主語の行為を表す品詞として定着することになった。「創造」とは、行為ではなく、出来事を表す言葉だったのではないだろうか。

[7] << [9] >>
-
-


<< 2021年春学期 井庭研「ナチュラルにクリエイティブに生きる未来に向けて」シラバス
慶應義塾大学SFC「パターンランゲージ」2021シラバス >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]