『社会を越える社会学』(ジョン・アーリ)

2008.07.24 Thursday 09:21
井庭 崇



「再構成された社会学の中心には、社会(ソサエティ)よりも移動(モビリティ)を据えるべきだ」(p.368)

この本で、まず面白かったのが、「場所」についての次の指摘だ。

「「場所」という単一の範疇は、すでに確立しているというよりはむしろ、主催者、ゲスト、建物、モノ、機械が特定の時刻に特定の場所で何らかのパフォーマンスをおこなうためにたまたま寄り集まるというような複雑なネットワークのなかで、その意味が示されることになる。そして場所はパーフォマンスのシステム、すなわち、他の諸組織や建物、モノや機械とのネットワーク化されたむすびつきを通して現実のものとなり、しかも意図せざる結果として安定的なものとなるようなシステムを介して(再)生産される。それゆえ、場所はダイナミックなもの――「動きの場」であり、ひんぱんに移動し、必ずしも一箇所に停泊しない船のようなもの――である。「新しい移動」パラダイムでは、場所それじたいが人間、非人間の行為主体からなるネットワークの内部で、遅いか早いか、遠距離か近距離かの違いはあれ、旅するものと考えられている。場所は関係のようなものであり、人、物材、イメージ、そしてそれらがおりなす差異のシステムの布置構成のようなものである。」(p.xiv)

場所について考えるとき、まず物理的な場所についてイメージしがちであるが、ここで論じられているのは、社会的な関係性における「場所」である。物理的存在としての固定的な「場所」と、関係性のなかでの浮遊し、ゆらぐ「場所」 ――― 場所について考えるときには、この二重性について考えることが重要だと思う(この場所のもつ二重性については考えていることがあるので、それについてはまた今度書きたいと思う)。この二重性は、やはり「粒子」と「波」の性質を併せ持つ量子の話を思い起こさせる。

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